活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

謎の多い天平の都、「紫香楽宮しがらきのみや」

2013-11-15 08:43:00 | 活版印刷のふるさと紀行

 朝から甲賀市の紫香楽宮関連遺跡群調査事務所出土遺物展示室という長ったらしい名前の展示室にお邪魔していました。といっても、市の予算が厳しいせいでしょうか、ビル工事の建築事務所みたいの仮構造物ですから1300年も前の天平のタイムカプセルのなかで、聖武天皇や光明皇后が口惜しがっておられるかもしれません。
 
 展示室の正面ど真ん中に古い太い木の柱が鎮座ましましていたのですが、これが聖武天皇が744年(天平16)に紫香楽宮として日本の都に定めたであろう場所から出土した柱だというのです。いや、もっと正確にいうなら、この柱根の出土からここが紫香楽宮の皇居跡だろうと考えられるようになったようです。

 さっそく、昭和58年から平成24年までの間に40回発掘調査された現地を訪ねました。いまは埋め戻されて田圃になっていて、私としてはさっき見たここから出土した木簡や土器、木製品などから皇居だったことを想像するしかないようです。話は複雑になりますが、この田圃の方を宮町遺跡といっているようですが、次に、史跡紫香楽宮跡としてもうひとつ内裏野地区という丘陵にある遺跡の方を訪ねました。どうやら大正時代から戦後まではこちらだけが史跡になっていた旧顔で宮町遺跡の方が新顔。しかも皇居跡としてデビューしたらしいのです。

 その旧顔の方は塔や鐘楼や講堂や僧坊がある伽藍スタイルの堂々たる遺跡、甲賀寺のあったところのようです。ですから鐘楼跡のきれいに並んだ礎石の上をたどりながら、1300年前の寺鐘の音を想像するのもいいものでした。しかし、都は4年半ほどで平城京に戻ります。紫香楽宮遷都をこころよく思わない平城京擁護派が山火事を頻発させたせいという説もありますが、謎です。私にとっては知識不足で謎の多い天平の都の遺跡めぐりでした。


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