拡大・縮小を光学的に、あるいはデジタルでできなかった時代の嵯峨本づくりの
大変さには同情してしまいます。
原寸処理という点では「彫字作業」でも「版下づくり」と同じです。
前出の森上 修先生は二字とか三字続きの連続文字の場合を例にして
「こうした類似の字形を版下書きに頼らず、何の苦もなく版下なしで直か彫りが
できる職人衆が同じ工房内にいて…」と想像しておられます。
たしかに、私はベテラン職人の存在を無視しておりました。
同じ時代の蒔絵の工芸作品ですとか、染色の「辻が染め」などでも、感心してい
ると「今の技術ではとても再現は無理です」と聞かされて「そうか、昔の職人さん
は」と驚かされたことしばしばです。
それにしても400年前の工房や職人さんの腕を想像するのはたやすいことでは
ありません。
たとえば、嵯峨本づくりの職人さんはどんな服装でしたでしょうか。たぶん、筒袖
の作務衣ふうの上着にモンペふうの短袴、頭にはハチマキ、上着にはタスキがけ
ではなかったかと想像します。もちろん、男だけの職場、作業は明るい時間帯のみ
です。灯火の関係で夜は無理です。
さて、嵯峨本はどちらかというと、遊びというかアート色が強いものでした。
それに対して、もっと実用に供される活字版印刷はその後どのような歩みを刻んだ
のでしょうか。
活字本出版がいちばん隆盛をみたのは「寛永時代」の1620年代前半で、寺院で
も民間でも木活字を使った出版が盛んに行われました。 それが、なんと寛永時代
後半になると、印刷はふたたび木版、一枚の板木に文字を刻む整版印刷に舞い
戻ってしまったのです。
金属活字のキリシタン版印刷が消え、次に木活字を使った印刷も消えてしまった
のです。「どうした、どうした、それからどうした」ふうにいうと、「本木の昌造さん
が出てきた」となるのですが、本木さんについてはすでに何度も書きましたので、
大木さん以外の活版印刷人について次回から触れてみます。
大変さには同情してしまいます。
原寸処理という点では「彫字作業」でも「版下づくり」と同じです。
前出の森上 修先生は二字とか三字続きの連続文字の場合を例にして
「こうした類似の字形を版下書きに頼らず、何の苦もなく版下なしで直か彫りが
できる職人衆が同じ工房内にいて…」と想像しておられます。
たしかに、私はベテラン職人の存在を無視しておりました。
同じ時代の蒔絵の工芸作品ですとか、染色の「辻が染め」などでも、感心してい
ると「今の技術ではとても再現は無理です」と聞かされて「そうか、昔の職人さん
は」と驚かされたことしばしばです。
それにしても400年前の工房や職人さんの腕を想像するのはたやすいことでは
ありません。
たとえば、嵯峨本づくりの職人さんはどんな服装でしたでしょうか。たぶん、筒袖
の作務衣ふうの上着にモンペふうの短袴、頭にはハチマキ、上着にはタスキがけ
ではなかったかと想像します。もちろん、男だけの職場、作業は明るい時間帯のみ
です。灯火の関係で夜は無理です。
さて、嵯峨本はどちらかというと、遊びというかアート色が強いものでした。
それに対して、もっと実用に供される活字版印刷はその後どのような歩みを刻んだ
のでしょうか。
活字本出版がいちばん隆盛をみたのは「寛永時代」の1620年代前半で、寺院で
も民間でも木活字を使った出版が盛んに行われました。 それが、なんと寛永時代
後半になると、印刷はふたたび木版、一枚の板木に文字を刻む整版印刷に舞い
戻ってしまったのです。
金属活字のキリシタン版印刷が消え、次に木活字を使った印刷も消えてしまった
のです。「どうした、どうした、それからどうした」ふうにいうと、「本木の昌造さん
が出てきた」となるのですが、本木さんについてはすでに何度も書きましたので、
大木さん以外の活版印刷人について次回から触れてみます。