活版印刷紀行

いまはほとんど姿を消した「活版印刷」ゆかりの地をゆっくり探訪したり、印刷がらみの話題を提供します。

島 霞谷の活字づくり

2011-04-29 17:07:32 | 活版印刷のふるさと紀行
島 霞谷(しま かこく1827~1870)この名前をご存知でしょうか。
本木昌造や木村嘉平の名前は知っていても知らないという人が意外に多いので
す。その理由はご本人が画家であり、写真家であり、しかも活字を開発したと
いう多方面で活躍した人であったこと、女流写真家第1号島 隆(りゅう)さ
んが奥さんで有名だったことであったかも知れません。
 男たるもの、あまりあちこち手を出すな、有能な奥さんを持つな。というこ
とでしょうか。

 冗談はともかく、本木や木村嘉平と島との違いは、島は金属ではなく、父型
や母型に木を使ったことです。
 彼が活字製造に成功したのは1870年(明治3)ですから、奇しくも本木
昌造が鋳造活字をつくって「新町活版所」をスタートさせた年と重なっていま
す。霞谷のやり方はこうでした。かわやなぎやドロヤナギのような柳材の小口
に黄楊材に彫った種字を金づちで打ち込んだパンチ母型に鉛、アンチモン合金
を流し込むという方法で三号大の楷書体漢字、カタカナ、欧文の活字をつくっ
たのです。

 島活字は印刷博物館に現存しているし、これからさらに研究が進むものと期
待されるが、彼にとって残念なことは彼のつくった活字で『虎烈刺論』などの
刊行を待たずに亡くなってしまったことです。
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