ミラヴァル‐カバルデ Miraval-Cabardèsはオクシタニ地方オード県の山間にある小さな村である。
住人は46人(2019年)しかいない。村の家々は渓谷に貼りつくように建てられている
この村は、12世後半から13世紀初頭の吟遊詩人レモン・ド・ミラヴァル Raimon de Miraval が生まれた村として有名である。
正確な生年・没年は不明。生年は1135年と1165年の2説あり。
Vidaヴィーダ(オック語で書かれたトルバドゥールの短い散文の伝記)によれば、「カルカソンヌに属する城の所有権を4分の1しか持っていなかった貧しい騎士で、城のなかには40人もいなかった」とある。 c'était un pauvre chevalier qui possédait seulement le quart du château de Miraval et que dans ce château, il n'avait pas quarante hommes.
さらにミラヴァルの生涯については、ポール・アンドロ― ANDRAUD Paul の La vie et l'œuvre du troubadour Raimon de Miraval, Paris, Librairie Emile Bouillon,
ルネ・ネリ René Nelli は、ミラヴァルの伝記小説を書いたきっかけについて、この岩だらけの山に遺る城跡(下の写真)から着想を得たと述べている。
13世紀初頭のアルビジョワ十字軍の時、ミラヴァルはトゥールーズ伯レイモンⅣ世に仕えていた。トゥールーズ伯はカタリ派を異端とみなすことなくむしろ支援していた。十字軍のシモン・ド・モンフォールはミラヴァルの城を攻撃する。
彼の城の遺跡のふもとには下のような看板が掛けられている。
アルビジョワ十字軍が攻めてきた1209年、ミラヴァルは「私は、歌って仲良くするのが好きだ。」il me plaît de chanter et de me montrer aimable.と歌っている。
吟遊詩人ミラヴァルの作品として読むことができるのは39編のみである。いくつかは古楽器で演奏されている。
この『忘れられた王国』Le Royaume Oublié というCD付の本では、ミラヴァルの詩は3篇、聴くことができる。
さて1209年、この年にミラヴァルの城は完全に破壊される。
その後彼は、アラゴン王ジャック1世に保護され、スペインに行く。1216年にカタロニアのレリダ Lérida という町で死んだとされているが、ルネ・ネリは没年を1218年としている。
城はその後再建されることなく、今は廃墟跡にローマン・カトリックの磔刑キリスト像が建てられている。
この城廃墟の向かいに小さな教会があったので行ってみた。
渓谷の斜面に建てられている。
入り口への道、ローマの十字架が埋め込まれている。外壁は飾り気のまったくない素朴な石造り。
内壁は新しい。第一次世界大戦の死者を弔うプレートが架けられている。
首のない像、胸のカタリ十字が痛々しい。もしかすると、アルビジョワ十字軍によって破壊されたカタリ派の司祭「よき人」Bon Homme だろうか?たぶん違うだろう、新しそうに見えるから。
モン・ノワールから南へ、ミディ運河のあるカステルノーダリに向かう道路、すれ違う車はほとんどいなかった。