馬屋記ーヤギとクリの詩育日誌

南フランス田舎紀行(18)修道院に宿泊、ヴィルロング修道院abbaye de Villelongue

正式名はヴィルロングのサント・マリ修道院L'abbaye Sainte-Marie de Villelongueである。現在は、個人所有で民泊施設として活用されている。ここに一泊した。

ラングドック=ルーシオンLanguedoc-Roussillon地方のオードAude県、サン・マルタン・ル・ヴィエイユ村la commune de Saint-Martin-le-Vieilにある。マザメから、黒い山モン・ノワールに南下して、カルカソンヌCarcassonneとカステルノーダリCastelnaudaryの中間あたりの山の中にある。わたしが泊まったのは下の写真の、いちばん左に見えている窓がある部屋である。

中から見ると、こんな感じ。

この修道院の歴史は古い。1145年から1149年頃、ギョーム・ド・コンパニアGuillaume de Companiaという名の修道士がモン・ノワールに入って僧院un monastèreを設立したと伝えられる。この僧院は、セサックSaissacやブリュニケルBruniquelの領主から認められ、土地も与えられた。下の古い版画(パリ国立図書館所蔵)の写真は修道院の壁に飾ってあったもの。

1150年に、ギョーム・ド・コンパニアは、ボンヌフォン修道院l'abbaye de Bonnefontから送られてきたアルノーArnaudという名の修道士によって、修道院の最初の石が組み上げられた。そして1151年にアルノー1世として修道院を治め、1152年には、領主のベルナール・カスティヨンBernard de Castillon とその息子達から、現在のヴィルロングの領土を譲り受けて、1159年に修道院領土を確立した。

1208年、アルノー2世が院長を務めているとき、新たな領土が与えられる。その領土は、この土地のカタリ派を攻撃していたアルビジョワ十字軍の指揮官シモン・ド・モンフォールSimon de Montfortによって与えられた。1212年サン・マルタン・ル・ヴィエイユ城le château de Saint-Martin-le-Vieilも受け取ったのである。

まあ、コーヒーでもどうぞ、と庭で迎えられた。

ご主人が詳しく教えてくれた。13世紀頃の修道院院長アルノー2世は、モンフォール率いるアルビジョワ十字軍に協力しその見返りとして、力を確立していったと言えるらしい。

その後、13世紀中葉から14世初頭にかけて、シトー修道会cistercienによって再建されたが、ペストの流行によって衰退する。

現存している最も古い部分は、12世紀に建てられたものであるが、回廊の南側は14世紀のものである。

椅子に座って中庭を見ていると、なんだかタイムスリップする感じ。

この修道院に付属していた教会は、屋根が崩れている。背丈の低い草が芝生みたいに見える。

タルコフスキーの映画『ノスタルジア』のラストシーン破壊された教会を思い出した。

壊れている分だけ、教会堂の骨格とかアーチの造りとかが露骨に顕れている。

屋根が残っているところは、交差ヴォールトと呼ばれる12・3世紀のロマネスク建築の構造となっている。

回廊の前にかなりプリミティブな祭壇が置かれている。

ロビーというか居間というか、客人も家の人もくつろぐサロン。

回廊の中は真夏でも、涼しい。

そしてこの修道院は、ロマネスク彫刻の宝庫である。以下、ロマネスクファンにはたまらない、いとおしい彫刻群の写真。

柱頭の装飾。トカゲのしっぽを加える人の頭が逆さ向き。

この顔は、誰なのか?この彫刻を彫った、石工が遊び心で自画像を彫ったともいわれている。

顔が3つくっついている。怒っているようにも見えるし、笑っているようにも見える。

ロマネスク彫刻では、欠かせない、悪魔あるいは異形のいきもの、架空の異世界が垣間見える。

半分、顔を切り取られた人。装飾としては、かなりおそろしい。

 

微笑むひとの顔、目が、ロマネスクしている。


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