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深空(mi so ra)

忘れたくないこと、憶えておきたいこと、心に留めておきたいこと・・・
記憶の受け皿に少しずつ並べていく。

2006年3月16日

2006-03-16 22:24:21 | 映画
「アメリカ、家族のいる風景」 監督:ヴィム・ヴェンダース

2時間強の映画だったが、あっという間だった。
遮るものが何もない大きく広がった空と、どこまでも続いていくハイウエイ。アメリカの原風景。
画面に登場する景観がくっきりと際立っていて、景観と共に必ず映し出される青空をつい眼で追ってしまったせいもあるかもしれない。
離れ離れ(といってもお互いに存在を知らなかった父と子なのだが)だった母子と父が20数年ぶりに出会う。
激しく拒否反応を示す息子と、為す術も無く立ち尽くす父親。昔の想いをいっとき蘇らせながらそれでも父親との修復を拒む母親。
そこに舞い降りる、父親のもう一人の子供であろう女性。母親を亡くし天涯孤独の身となった彼女は、自分の兄弟にあたる息子と、父親の距離を近づけようとする。
“舞い降りる”と書いたが、サラ・ポーリーが正に妖精(ニンフ)のようだった。軽やかで寓話的でいて、その眼には澱みがない。
往年の西部劇の俳優役のサム・シェパード、かつての恋人役のジェシカ・ラング、息子役のガブリエル・マン、投資会社社員のティム・ロス等々、出演俳優それぞれの存在感がとても際立っていた。ちなみにこの映画の原題は「DON'T COME KNOCKING」(エンディングに流れる同タイトルの歌もとても優しく心地よい)なのだが、邦題の通り、アメリカ中西部の普遍的な景観の”キャンバス”に或る家族の絵が描き足され、そして、人間の感情がその風景に溶け込んでいく、そして、わだかまっていた何かが氷解していく、、、そんな絵を眺めているかのような心地の良い映画だった。



「WARU」監督:三池崇史

とにかく哀川翔が最初から最後まで格好良い。
真樹比佐夫氏も、既存の俳優にはない何とも味わい深いものがあった。
終盤、哀川翔と石橋凌が屋台でコップ酒をあおるシーンが印象的だった。画面手前の石橋凌が煙草を吸いながら酒をあおり、奥に立つ哀川翔がそれを見つめるカメラワークに、映画の中の二人の関わってきた歳月が体現されているようで、ある種の感動すら憶えてしまった。
哀川翔と石橋凌は個人的にも思い入れの強い俳優なので、尚更かもしれない。二人の共演は「夜桜銀次」以来だと思うが、こんなシーンを撮ってくれた三池監督に感謝したい。

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