深空(mi so ra)

忘れたくないこと、憶えておきたいこと、心に留めておきたいこと・・・
記憶の受け皿に少しずつ並べていく。

その3

2007-04-23 21:40:00 | 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

その2

2007-04-23 21:39:20 | 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ロジョーを聴きながら

2007-04-23 21:38:35 | 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2007年4月11日

2007-04-11 23:40:30 | 
17時半発の私鉄特急に乗る。春が近づいて日が延びたせいかまだ外は明るくて、夕暮れに染まりつつある窓外の景色を眺める。大きい川、小さい川、川を幾つも越えていく。枝葉に別れている川たちも海につながっていくんだな、とぼんやり考える。
電車に乗りながら過ぎていく街並みを見るのが好きだ。家々の波、そして散歩したり自転車に乗っていたりしている其処に住む人たちの姿を見ると「暮らし」というものについて考えずにはいられない。あの家の人はどんな暮らしを営んでいるのだろう、今晩はどんな夕餉が出るのだろう、どんな家族が食卓を囲むのだろう等々つらつら考えるのである。そして一頻り思いを馳せた後、自分にとって「暮らし」とは一体何なのだろうといつも思う。そして変わり映えのない答えが頭の中に反響する。
“今の自分の生活はきっと「暮らし」とは言わない。”
だとしたら、自分にとっての「暮らし」とはどんな姿であるべきなのか。そんないつもの堂々巡りをしていると、30分ちょっとで目的の駅に着いた。駅に直結した百貨店は古いながらも11階建ての大きな造りで、婦人服売り場を覗いてみたら結構な店数が入っている。が、休みの日だというのに閑散としている。先ほどのターミナル駅の百貨店とは雲泥の差だ。地方だから仕方ないのだろう。こんな夕飯時の時間は普通は百貨店で買い物をしないものなのか。それがこの街の人たちの暮らしなのかもしれない。そうだ、地下一階の食料品売り場は見ていないけど、そこには結構な人がいるのかもしれない。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2007年1月23日Ⅱ

2007-01-23 22:08:12 | 
数日前、TMGEのライブの夢を観た。2003年に解散してもうすぐ4年。夢に出てきたのが気になって、久しぶりにラストアルバム「SABRINA NO HEAVEN」を聴く。5曲目の「PINK」は疾走感のある畳み掛けるような4ビートが印象的で、当時ライブでかかるのが楽しみだった。今聴いても、あの頃ライブで感じた高揚感が甦ってくる。次に「ギア・ブルース」にも手を伸ばし、一曲目の「ウエスト・キャバレー・ドライブ」から一通り聴く。このアルバムは今から8年前にリリースされたものだけど、久しぶりに聴くと、当時の色や息づかい、匂いがすっと眼前に広がる。これが“音”の力なんだと思う。当時の時代性をも浮き彫りにするような一音一音が胸に響いてくる。はまりだすと止まらなくなるのは悪い癖なのだが(苦笑)、映像も観たくなって、2000年にWOWOWで放映された、フジロックと赤坂ブリッツのライブ映像を探し出して観てみた。2000年のフジロックでは、グリーンステージでの日本人アーティストとして初のヘッドライナーを飾ったのだが、その時雨の中で演奏された「世界の終わり」が冒頭に流れる。久しぶりに観たら、スポットライトに照らし出されたチバユウスケの佇まいと、観客の熱狂と、歌詞の内容がシンクロして涙が出てしまった。その後映像は2000年6月の赤坂ブリッツでのライブに切り替わるが、この時のライブは自分の中でも強く印象に残ったものだったので、思わず身を乗り出して見入ってしまう。「CASANOVA SNAKE」のリリース後に行われたこの日のライブ。同アルバムに収録されている「プラズマダイブ」から始まって、しょっぱなから飛ばしっぱなし、上がりっぱなしでカオスの渦の中に否応無く引き摺り込まれる。もみくちゃなモッシュ状態の客席と、客席をあおりながらも冷静に演奏を続けるメンバーと、今観ても沸点ぎりぎりの臨場感に圧倒させられる。久しぶりに聴いた音、映像、すべて愛しかった。どれだけ過去のものになっても、こうやって再生できるのが、音楽や映像の永続性と素晴らしさなんだと思う。



~過ぎてしまったけど、確実にそこに存在したもの~






コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2006年9月4日Ⅱ

2006-09-04 21:23:17 | 
小倉 その2
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2006年9月4日

2006-09-04 21:22:23 | 
水のある街 北九州 小倉
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

6月27日

2005-06-27 19:40:32 | 
川をめぐる旅

ときどきふらっと住んでいる場所を離れたくなることがある。
時間が取れないときは、家の近くを散歩したり、無目的に電車に乗ってみたり。
そして、新幹線や飛行機を見るたびに、ああどこかに行きたいな、と思う(まるで子供なのだけど)。

勤め先で数年前まで所属していた部署では地方出張が多かった。仕事は大概土曜日だったので、土曜日そのまま帰らずに自腹でもう一泊宿を取り、出張先の街をふらふら歩くのが楽しみだった。観光名所に行かなくても街中を歩いているだけで充分に面白い。そこに住んでいる人達の生活が垣間見えて、いろいろな場所でいろいろな人が生きているんだなあ、と実感させられる。

そして、必ずすることは、川を見にいくことである。
水ものが好きな自分としては、やはり川を見ないことには気持ちが収まらない。大抵街中には大小関わらず川が流れているから、橋を渡って向こう岸に行ってみたり、川沿いをひたすら歩いてみたり、暫し徘徊する。川にもその土地それぞれの表情があるような気がするのだ。

新潟にも数回行ったことがあるのだけど、新潟駅から徒歩10分くらいのところに信濃川が流れている。この川は、新潟に行くたびに必ず訪れる大好きな川でもある(ちなみに↑の写真は信濃川の写真ではありません、、、)。
元々街の真ん中を流れている川が好きだった。街を分断する程の存在感のある大きな川。信濃川に架けられた萬代橋から川を眺めていると、川を囲むように人々の生活が成立しているのが見える。川べりは緑地として整備されており、地元の人が散歩したり、ジョギングしたり、キャッチボールをしたり等々、思い思いに興じている。行き交う人々を眺めながら、川に寄り添っている人間の姿っていいな、と思ったりする。

と、こうやって書いていたら、また新幹線に飛び乗りたくなってしまった(苦笑)。

最近、旅とはご無沙汰の日々なのだが、また川をめぐる旅に出てみたいな、と思う。

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

6月20日

2005-06-20 12:10:44 | 
桜島
(上手く撮れてないので伝わりづらいけれど、海の青と空の青のコントラストがほんとうに気持ちよかった)

昨年の秋、友人の結婚式で初めて訪れた鹿児島。宿泊先のホテルの目の前が海で、桜島を間近で見ることができた。快晴の天気も手伝ってくっきりと浮かび上がるその姿に、同行の友人達とホテルの部屋に足を踏み入れた瞬間、窓の向こうに広がる景観に感嘆の声をあげたことを思い出す。
その日は10月にしては汗ばむくらいの陽気で、あわせて雲一つない快晴。タクシーの運転手さんにも「こんな快晴の日に桜島をはっきり見ることができて、お客さん達は運がいい」と言われたほど。正に「本日はお日柄もよく・・・・」を体現したような爽快な日だった。

鹿児島には、また行ってみたいな、と思う。花嫁になった友人が、前に鹿児島の学生時代の思い出話を聞かせてくれたことがあった。中でも、屋久島に仲間達と渡ったときの話が印象的だった。島といえば先週放映が終わったドラマ「瑠璃の島」でも、海が本当に綺麗だった。
海のない場所に生まれ育ったせいか、海への憧憬はかなり強いと思う。海を見たい、と思う一方で、本当に海を見にいったら、砂浜に腰を下ろして、ただひたすら海を眺めることに終始することになるだろう。でも、それは自分にとっては得難い時間でもあり、屋久島にもいつか行ってみたいな、と思っている。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする