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お父さんのための聖書講座

夫婦関係や子育て・・・、家族のため日々奮闘するお父さんたちに聖書の言葉から励ましのメッセージを贈ります。

No.108 ヨブ(3):家庭の回復

2008-10-28 00:04:40 | ヨブ記
困難な状況の中どのような心持ちでいるかは、全能者によって見られている。
試練を乗り越えた「お父さん」には祝福がもたらされる。
それは家族にも及ぶ。

三人の友人が皮膚病に苦しむヨブの見舞いに訪れた。
ヨブは、彼らの前で自らの身に起きた不幸を嘆き、不当であると不満を言い続ける。
友人たちはヨブを諌めようとするが、議論は延々と続くのであった。

そんな中、転機が訪れる。主が沈黙を破られたのだ。
ヨブの心が変わっていき、ついに以下の言葉が発せられる。



☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
ヨブは主に答えて言った。
あなたは全能であり 御旨の成就を妨げることはできないと悟りました。
「これは何者か。知識もないのに 神の経綸を隠そうとするとは。」そのとおりです。
わたしには理解できず、わたしの知識を超えた 驚くべき御業をあげつらっておりました。
「聞け、わたしが話す。お前に尋ねる、わたしに答えてみよ。」
あなたのことを、耳にしてはおりました。
しかし今、この目であなたを仰ぎ見ます。
それゆえ、わたしは塵と灰の上に伏し 自分を退け、悔い改めます。

  ヨブ記42:1-6
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全能の神の大きさに触れ、
ヨブは悔い改めた。
悔い改めとは神に立ち返ること。

彼にとって神の存在はもはや単なる知識ではなかった。
ヨブは神を仰ぎ見た。



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ヨブが友人たちのために祈ったとき、主はヨブを元の境遇に戻し、更に財産を二倍にされた。
兄弟姉妹、かつての知人たちがこぞって彼のもとを訪れ、食事を共にし、
主が下されたすべての災いについていたわり慰め、それぞれ銀一ケシタと金の環一つを贈った。
主はその後のヨブを以前にも増して祝福された。
ヨブは、羊一万四千匹、らくだ六千頭、牛一千くびき、雌ろば一千頭を持つことになった。

彼はまた七人の息子と三人の娘をもうけ、
長女をエミマ、次女をケツィア、三女をケレン・プクと名付けた。
ヨブの娘たちのように美しい娘は国中どこにもいなかった。
彼女らもその兄弟と共に父の財産の分け前を受けた。
ヨブはその後百四十年生き、子、孫、四代の先まで見ることができた。
ヨブは長寿を保ち、老いて死んだ。

  ヨブ記42:10-17
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神を正しく語らなかったゆえ神の怒りをかっていた三人の友人のため、
ヨブはとりなしの祈りをした。
すると主はヨブを元の境遇に戻された。

彼の資産は祝福され、かつての二倍となった。

新たに七人の息子と三人の娘が生まれた。
娘たちは三人とも美しかった。
財産が豊富だったので息子たちはもちろん、娘たちまでも財産を譲り受けた。

ひ孫を見ることができるほどヨブは長生きした。


一家の主が、神に立ち返り、友人に対する憐れみを願ったことにより、
家庭の状態が一変した。


お父さんの心の変化によって、一瞬にして状況が逆転することもあり得るのだ。



No.107 ヨブ(3):妻の一言

2008-10-23 11:01:12 | ヨブ記
「こういうわけで、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となる。」(創世記2:24)

夫と妻は一体です。
だからこそ、妻の一言は、それが励ましであれ非難であれ、夫にとって大きな影響を与えます。

今日はヨブの続きです。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
サタンは主の前から出て行った。
サタンはヨブに手を下し、頭のてっぺんから足の裏までひどい皮膚病にかからせた。
ヨブは灰の中に座り、素焼きのかけらで体中をかきむしった。

彼の妻は、
「どこまでも無垢でいるのですか。神を呪って、死ぬ方がましでしょう」と言ったが、

ヨブは答えた。
「お前まで愚かなことを言うのか。
 わたしたちは、神から幸福をいただいたのだから、不幸もいただこうではないか。」
このようになっても、彼は唇をもって罪を犯すことをしなかった。

  ヨブ記2:7-10
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無垢で正しい人、神を畏れ、悪を避けて生きていたヨブ。
ヨブの心を破滅させようとサタンはまたも新たな攻撃を仕掛けてきました。

今度の攻撃は、ヨブ自身に対するものでした。
ヨブは全身に及ぶひどい皮膚病にかかってしまいます。

後に、見舞いに来た友人に対し、ヨブは自分の症状をこう語っています。
「肉は蛆虫とかさぶたに覆われ 皮膚は割れ、うみが出ている。」(ヨブ記7:5)
「わたしの皮膚は黒くなって、はげ落ち 骨は熱に焼けただれている。」(ヨブ記30:30)

あまりのかゆみに、ヨブは灰の中に座り、土器のかけらで体中をかきむしらねばなりませんでした。

見るに見かねたのでしょう、ヨブの妻は夫にこう言い放ちました。
「どこまでも無垢でいるのですか。神を呪って、死ぬ方がましでしょう」。

財産の大半が被害に遭い、十人の子供たちを一度に失うという悲劇に見舞われ、
奥さんの心は既にかなり憔悴していたものと思われます。
それに加え、今回の災難です。
彼女の方が先に心が折れてしまっても不思議ではありません。
また、この発言は、苦しむ夫に対する彼女なりの思いやりでもあったことでしょう。

ヨブは妻をたしなめます。
このようになっても、彼は唇を持って罪を犯すことをしませんでした。

ただし、「唇を持って」です。
実はこのとき彼の心の中には何ものかが生じ始めていたのかもしれません。

「お前まで」・・・。
信頼する妻の不信はやはりこたえたのではないでしょうか。

この後、ヨブの心はかたくなになり、訪ねてきた友人たちとの間に議論が生じます。



「しかも、アダムはだまされませんでしたが、女はだまされて、罪を犯してしまいました。」
                                        (Ⅰテモテ2: 14)

まず妻の方からだまされてしまうというのは、人類が誕生して以来の教訓です。


「同じように、夫たちよ、妻を自分よりも弱いものだとわきまえて生活を共にし、
 命の恵みを共に受け継ぐ者として尊敬しなさい。
 そうすれば、あなたがたの祈りが妨げられることはありません。」
                            (Ⅰペトロ3: 7)

しっかりわきまえる。そのうえで舵取りの責任を果たす。
妻に対する理解と尊敬、男としての強い信念とリーダーシップ、その両方が求められます。


荒波の中でも舵を放してはならないということです。

No.106 ヨブ(2):裸で出て、裸で帰る

2008-10-19 18:49:17 | ヨブ記
試練とは、まさに一種のテストなのでしょう。
苦難の時に、その人の本質が明らかになります。

普段は美辞麗句を並べたてておきながら、立場が悪くなると簡単に裏切る・・・、
残念ながら、そんな人が多いのが世の中です。

無垢で正しい人ヨブの人生にも試練が訪れました。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
彼が話し終らないうちに、更にもう一人来て言った。
「御報告いたします。
 御長男のお宅で、御子息、御息女の皆様が宴会を開いておられました。
 すると、荒れ野の方から大風が来て四方から吹きつけ、家は倒れ、若い方々は死んでしまわれました。
 わたしひとりだけ逃げのびて参りました。」

ヨブは立ち上がり、衣を裂き、髪をそり落とし、地にひれ伏して言った。
「わたしは裸で母の胎を出た。
 裸でそこに帰ろう。
 主は与え、主は奪う。
 主の御名はほめたたえられよ。」

   ヨブ記1:18-21
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ヨブの信心を試そうと、サタンがヨブの人生に苦難をもたらしました。

この日、ほぼ同時に悲惨なニュースが彼のもとに届けられます。
その中で最もショッキングな知らせは、おそらく上記の報告であったに違いありません。

ヨブには七人の息子と三人の娘がいました。
彼らは独立後もそれぞれ順番に宴会を催し、兄弟姉妹を家に招いては一緒に食事をしていました。

この日は、ちょうど皆が長男の家に集まっていましたが、
宴会の最中、突風(竜巻?四方から吹きつけたとあります。)が吹きつけ、家が倒壊し、
報告に駆けつけた僕を除き、全員が死亡してしまいました。

ヨブは一度に十人の子供を失ってしまったわけです。
これほどの惨事があるでしょうか?


ヨブは報告を聞くと席から立ち上がり、着ていた衣を引き裂きました。
そして髪をそり落とします。

彼の悲痛がいかばかりだったのか想像もつきません。


しかし、地にひれ伏したヨブの口から出た言葉は衝撃的なものでした。

「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。」


彼の根本思想がここであらわになりました。

人間は裸で生まれた。いつか裸で帰る。すべては主のもの・・・。


彼はこのような時にも主の御名をほめたたえたのでした。


No.105 ヨブ(1):無垢な父親

2008-10-15 22:45:22 | ヨブ記
「出社拒否症」「帰宅恐怖症」なんて言葉がありました。
皆さんにとって家庭はどんな場ですか?
帰りたくなるような温かい場所であることを願います。

今日から「ヨブ記」です。


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ウツの地にヨブという人がいた。
無垢な正しい人で、神を畏れ、悪を避けて生きていた。
七人の息子と三人の娘を持ち、
羊七千匹、らくだ三千頭、牛五百くびき、雌ろば五百頭の財産があり、使用人も非常に多かった。
彼は東の国一番の富豪であった。

息子たちはそれぞれ順番に、自分の家で宴会の用意をし、三人の姉妹も招いて食事をすることにしていた。
この宴会が一巡りするごとに、ヨブは息子たちを呼び寄せて聖別し、
朝早くから彼らの数に相当するいけにえをささげた。
「息子たちが罪を犯し、心の中で神を呪ったかもしれない」と思ったからである。
ヨブはいつもこのようにした。

  ヨブ記 1:1-5
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ヨブは何者か?
「ヨブ記」はヨブという人を最初の3節で説明しています。
ヨブは、神を畏れる正しい人であり、大富豪の畜産農家であり、10人の子供の父親でした。

皆さんを3語で紹介するとしたら、どうなりますか?
父親であるという部分は共通するでしょうね。他にもいくつか共通項があったらいいのですが・・・。

彼は無垢な人だったと記されています。
たしか、箱舟を造ったノアも同じように形容されていました。

子供は親の背中を見て育つものです。
ノアの子供たちは当時の頽廃に染まらず、無垢な父親に従い大洪水を逃れました。

ヨブの子供たちはどうだったでしょう?

既に子供たちは成人していたようです。
息子たちは持ち回りで宴会を用意し、兄弟姉妹全員を家に招いては一緒に食事をしていました。
なんて仲の良い子供たちでしょう。

複数のお子さんがおられる場合、兄弟仲はいかがですか?

自分の子供たちが、大人になってもよく集まって一緒に食事をしているとしたら・・・、
それは親として嬉しいことではありませんか。

互いを思い合う兄弟関係の醸成に、無垢な父親ヨブが与えた影響は少なくなかったでしょう。

ヨブはこの子供たちの宴会が一巡するたびにしていたことがありました。
息子たち一人一人のために、家畜をいけにえにし贖罪の祈りをしていたのです。
どこまでも神を畏れ、子供たちを愛する父親でした。


私たちの普段の何気ない言動や態度は、家庭の雰囲気はもとより、子供の性格形成に影響を与えます。
子供たちは見てないようで、しっかり見ています。

子供たちのいたらなさを嘆く前に、自分自身のありかたを省みる必要があるかもしれません。