つい先日、ラジオから次のようなリスナーさんのメッセージが流れて来ました。ちょっと朝の忙しい時間帯の「ながら聴き」であったため、若干正確性に自信ないのですが……「友達と友達のお父さんと某ハンバーガー屋さんへ行ったところ」、「友達がピクルス抜きを頼んでいたのに、食べたらピクルスが入っていた」、「店員に激怒する友達のお父さん、マジ怖かった」みたいな話で、思わず笑っちゃったというか
これ、よく考えると注文受けた店員さんは中の人に「ピクルス抜きで!」みたいに頼んでいたのに、厨房のほうでいつもの手順でつい作っちゃった、てへ☆的なことだったのかな~と思ったりもして(つまり、おそらく注文受けた店員さん自身は悪くないというか^^;)
もちろんこれ、わかんなくもありません。ピクルス、嫌いな人はほんとに大嫌いだし、好きな人は「ハンバーガーが食べたくて注文するのか、それともピクルスが食べたくてハンバーガーを頼むのか」というくらい、本当に好き。メッセージを読んだDJさんは「自分でピクルス抜けばいいだけなんじゃないですかね」みたいにおっしゃっていて、これも本当にそうなんですけど、ほんとに嫌いな人はピクルスをあとから取っても、その周囲に味が残ってるとかおっしゃいますしね。
とはいえ、「ピーナッツアレルギーだからピーナッツ抜けっつただろう!?うちの娘を殺す気か、ああん!?」というのであればともかく、「そんなに怒んなくても」という怒りの熱と度量だったんでしょうね、たぶん(^^;)
さて、今回のタイトルは「ミュージカル調に悩んでみよう!?」というものだったのですが、この時ラジオ聞いてて、連想的に思いだしたことがありました。
パパ:「♪なんだ、これは~。ピクルス抜きと言ったのに、ピクルスが入っているじゃあないか~」
娘:「♪わたし、ピクルス大嫌い~。許せないから、パパ、怒って~」
店員:「♪(ゼロ円スマイルで)これは失礼いたしました~、すぐに作り直しますので、お許しを~。(ここだけ普通に戻って)『ヘイ!チーズバーガー、ピクルス抜きでワンモアプリーズ!!』」
友達:「♪ピクルスくらいで怒るだなんて、どうかしら~。でも、ここのお金持ってくれるの彼女のパパだし~、わたしがとやこう言うのもどうかって話だわ~。でもとばっちり食った店員さん、カワイソウ~」
……みたいな場面が一瞬にして思い浮かんでしまい、それで余計笑っちゃったというか。いえ、その昔ある俳優さんが「いいとも」に出ていた時、「悩む時はミュージカル調に明るく悩めばいいんですよ」みたいなことをおっしゃっていたことがあって。「♪わたしは今、悩んでいる~。ららら~」みたいにお手本(?)まで見せてくださり……もちろん、だからといってその後わたしがいつでも悩む時には「♪ららら~、なんてことだろう~。そんなことは思ってもいないのに、誤解されてしまった~」だのと、いちいち面倒くさく悩んだりはしなかったものの(笑)、でもちょっと参考にはなりますよね。
そして、ここのブログではいつでも、マーリン・キャロザース先生の「(いいことも悪いことも)神さまに感謝し、讃美しよう」ということを基本に語ってきているのですが、そのことのうちには「アルコール中毒であることを感謝します」、「麻薬中毒のことで、そのことを神さまに賛美します」といったことも含まれたりしており……普通に考えたらまあ、「アホか!?んなこと神さまに感謝したり讃美したりしてなんになる」となると思うのですが、唯一イエスさまからの聖霊さまの働きかけによって、タバコやアルコールや麻薬など、「あの人がやめたとしたら、それこそ奇跡だ」というくらいの方がやめたりといった奇跡が起きる――といったことを、マーリンさんは繰り返し語っておられるように思います。
教会で祈っていただく時なども、「タバコをやめられない霊を断ち切る!!」、「アルコールをやめられない霊を断ち切る!!」といったように牧師さんが祈ったりされることがあるので、クリスチャンでない方にとっては「ハァ?大丈夫かな、この人たち……」という感じかもしれませんが、病気の癒しや悩みや苦しみからの解放についても、ポイントは本当に聖霊さまで、聖霊さまによって霊の解放が起きるって、本当に大切で重要なことだと思います。
その~、理屈的なことはどうでもいいのです。祈られたあとに涙が止まらなくなったなどの、聖霊さまを通した解放が起きるということ、それが一番大切なことだと思うんですよね。もちろん、もしわたしに1億借金があって、自殺してその保険金で返済しようなんて考えていた場合……教会で祈っていただいて涙が出たからといって、借金自体は一円も減りもしなければ、その瞬間にも利子が増えてさえいるかもしれない。でも、イエスさまに祈って、聖霊さまを通した声に聞き従っていくと、「脱出の細い道」を主御自身が作ってくださったりと、「これは神さま以外なしえない」という、その人にとっての人生の奇跡が現わされてきたりするわけです。
そして、その基本の最初の一歩が、「感謝できないと思えることも、まずは感情的なことは脇に置いておいて感謝し賛美する」、「踊り上がってそのことを神さまに感謝し賛美する」ということを行なうと、理由はわからないけれど、心のつかえが取れたようになったり、一度に一気にバァ~ッということでなくても、段階的に問題が解決されるようになってきたりする。
もちろんこれはとても難しいことで、わたしも自分がクリスチャンでなく、イエスさまのことを信じ、聖霊さまを受けていなかったら、理屈でそうと聞かされただけではとても実践し続けることは出来ず、間違いなく人間的努力によってのみでは挫折していただろうと思います
けれど、人生は塵も積もれば山となるで、大きな問題がない時でも、ハンバーガーにピクルスが入っていたということくらいでも、人は簡単に怒り狂うことが出来る。最初のパパさんにしても、自分のために怒ったのではなく、娘さんのために怒ったのですから、それもまた別の形での愛かもしれません。でも、こうした小さなこと――「チッ。なんでオレが洗車した翌日には必ず雨が降るんだよ。天気予報じゃ晴れるって言ってたじゃねえかよ」とか、「わたしが新しいパンストおろすと、なんでその日のうちに伝線する率が高いのよお」とか、実際のところ、ひとつひとつはチリのようなストレスって本当に多い。
そういう時、ミュージカル調に悩んでみるっていうのは、結構効果あると思います。クリスチャンの方だったら特に、「♪神さま、イエスさま~、信号機が連続して四回も赤になって止まったことを感謝します~。ららら~」とか、「♪コンビニの店員が不愛想だったことを感謝します~、どうかあの方にも神さまの祝福を~」などなど、心の中で喜びに満ちていられることのほうが多いかもしれません。
この間、アメリカの映画の中で、アイスクリーム屋の店員さんがアイスを渡す時に「ハブアナイスデイ!!」と言っていたのですが、これは向こうではほとんど定型句のようなものであったとしても――本当にそうだなと思いました。その日一日を笑顔で過ごすのも、良い日とするのも悪い日とするのも、「気の持ちよう」と言いますか、そのあたりで左右される部分も結構大きいだろうなとふと思ったわけです(^^;)
なので、これから面白くないことが起きた瞬間、イエスさまにそのことを感謝し賛美するといったことはすでに沁みついているとはいえ、そうした時に+「はばないすでい!!」という言葉を思いだすとさらにいいかもしれない……と思ったり。なんでかっていうと、そうした感情的に下げな気持ちに一日の貴重な時間を奪われたりとか、結局無駄で虚しいことだから、上げな気持ちになるためにも、「すべてのことをイエスさまに感謝&賛美」というのは、本当に本当に大切なことなのです。
それではまた~!!
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