【座せる悪魔】ミハイル・ヴルーベリ
>>さて、イエスは、悪魔の試みを受けるため、御霊に導かれて荒野に上って行かれた。
そして、四十日四十夜断食したあとで、空腹を覚えられた。
すると、試みる者が近づいて来て言った。「あなたが神の子なら、この石がパンになるように、命じなさい」
イエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』と書いてある」
すると、悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の頂に立たせて、
言った。「あなたが神の子なら、下に身を投げてみなさい。『神は御使いたちに命じて、その手にあなたをささえさせ、あなたの足が石に打ち当たることのないようにされる』と書いてありますから」
イエスは言われた。「『あなたの神である主を試みてはならない』とも書いてある」
今度は悪魔は、イエスを非常に高い山に連れていき、この世のすべての国々とその栄華を見せて、
言った。「もしひれ伏して私を拝むなら、これを全部あなたに差し上げましょう」
イエスは言われた。「引き下がれ、サタン。『あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えよ』と書いてある」
すると悪魔はイエスを離れて行き、見よ、御使いたちが近づいて来て仕えた。
(マタイの福音書、第4章1~11節)
大分前のことになるのですが、図書館でイルミナティに関する本をぱらぱら読んだことがありました
イルミナティというのは某秘密結社のことで、「信じるか信じないかはあなた次第」系のお話として、名前を聞いたことある方は多いと思います(^^;)
わたしがここで書きたいのは、実在のイルミナティというよりも、陰謀論としてのイルミナティということなのですが、たまたま図書館で見かけて暇つぶしにぱらぱら見ていたところ……大体意味として、次のような文章が目に入ってきたわけです。
それはイルミナティの目的といったことで、イルミナティの背後、そのトップに座しているのは悪魔(サタン)である――的なことが書いてあって、「ふむふむ。そんでそんで?」なんて思いつつ、その続きを読んでいくとですね……そもそもこのイルミナティの目的とは何か、みたいなことが書いてあったわけです。
イルミナティの目的、それは人間世界を戦争などによって混乱させ、無秩序な状態へ陥れること、そうすることで、この世界に神などいないと人間に信じさせること……確か、大体そういった意味のことが書いてあったと思います。で、イルミナティはそれで何か得をするのかと言えば、まあこれは本に書いてあったことではなく、わたしの推論ですが、確かに軍需産業の重役の方など、戦争によって得をする、そしてそうした軍需産業から応援してもらってる政治家も得をする――といった背景はあるかもしれません。それで、これもまた本に書いてあったことなのですが、イルミナティというのは、悪魔(サタン)がバックにいるので、人間世界が混乱し、無秩序な中、ただ金が浪費され、経済が疲弊し、そのことで神などいないと人間に思いこませることを目的としているので、そのイルミナティ自体が得をするとかしないといった機関ではない、みたいなことが書いてあったと思います。
つまり、目的があるように見えて実はまったくないとも言える、というか。人間が意味のないことに人生を費やし、人生なんて虚しい、こんなんで神さまなんて絶対いない、いるわけがない……という風潮を作りだすこと、それが悪魔(サタン)の目的である――「人生に意味なんてない。だから神さまもいない」という、そう思う人間がひとりでも増えれば増えるほど悪魔(サタン)は踊り上がって喜ぶ、という。
そして、この悪魔(サタン)という、旧約聖書の創世記から出てきて、新約聖書の最後の書である黙示録にまでしつこく出てくるサタンさんは、イエス・キリストを十字架につけた時も踊り上がって喜んだのでした。「神の子をとうとう十字架に釘付けにしてやった!どうだ、参ったか!神のやつめ、ザマーミロ!!」と、喜びのあまり、壁かどっかを叩きながら嬉し涙すら流しただろうサタンさん。三日天下、という言葉がありますが、サタンさんのこの喜びは、サタンが人間に与える一時的な喜びと同じで、すぐ終わってしまいました。何故ならその後、イエスさまはお墓から復活されて、甦られたからです。
そして、イエスさまは生前そのように語っていたとおり、ご自分の十字架の血の贖いと復活を信じる者は、ただその「信じる」というそれだけで、すべての罪を赦され、天国へ行くことが出来る――そのことの証しをされたのでした。こうして、悪魔は一時的に勝利を得たものの、その後は永遠の敗北を約束されてしまいました。逆に、一時的に悪魔の策略に敗北したように見えたイエスさまは、神さまにある永遠の勝利を得て、天国へ昇っていかれたのです。
今起きているウクライナの戦争のことで言えば、「何故プーチンは戦争を起こしたのか」と、その理由のところがわからないとよく言われるわけですが、歴史を長い目で見てみると、割と「何故この王さまは戦争など起こしたのだろう」的なことって、結構あると思うんですよね。何を言いたいかというと、王さまになる前までは「心正しく清い」というのか、そこまででなくても、そうした傾向にあった皇帝や王さまでも――権力者の座について以降、彼はだんだんおかしくなっていった……的な話です。これは、キリスト教界では多くの方が認識されていることだとは思うんですけど、今の時代であれば大統領であるとか、権力者の地位にある方というのは、悪魔・悪霊といった勢力から霊的攻撃を受けやすい……みたいに、教会などでは割と普通に信徒同士の方が話すことがあると思います(^^;)
いえ、わたしは「プーチンに悪魔(サタン)が取り憑ついたから戦争が起きた」と言いたいわけではなく、たとえば教会という群れを率いる牧師さんなども、キリスト教界では一般に「霊的攻撃を受けやすい」と認識されています。これはその教会ごとの解釈などにもよると思うのですが、たとえば、「悪魔(サタン)の攻撃を受ける」といったことは、昔はあったかもしれないけれども、今という現代という時代にはありえない……といった教えにその教会が立っていた場合、「悪魔・悪霊からの霊的妨害から守られますように」とか、悪魔・悪霊といった存在はいないものとして、非科学的な存在であるとして祈らなかった場合――その部分の守りが一切ない、ガードががらすきということになってしまうわけですよね。
ゆえに、教会全体が「悪魔・悪霊の攻撃から守られますように」とか、その中でも特に攻撃を受けやすい牧師さんや牧師さんご夫妻ご一家をお守りください……とか、一切祈らないとしたら、その部分はもう本当にノーガードということになってしまうわけです。
もちろん、自分的にもすごく言いにくいことだなとは思います。以前、ある福音派の教会の礼拝で、悪魔・悪霊追い出しについての聖書箇所について、牧師さんが次のようにお説教されていることがありました。ええと、確かイギリスのほうに悪魔の取り憑いている椅子というのがあって、わたしもこれ、たまたまテレビで見て知ってたんですけど……その牧師さんのほうでは「だから、悪魔・悪霊というのは今も現実の存在なのです」と、そうおっしゃってました。
でもその~、なんというか、個人的に思いますのに、その説明のされ方が、少し苦しそうだったんですよね。「悪魔・悪霊などと言って、聖書の解釈がおかしいんじゃないのか、この牧師は」みたいに思われたくないな……みたいな、若干の恐れを感じた、と言いますか。。。
それで、その牧師さんの苦しい気持ちはすごくわかるわけです。わたしも悪魔とか悪霊がどうこうとか書いて、「ここのブログ書いてる人はちょっとおかしいんじゃないか」みたいに思われたくないわけですから(笑)。でも本当に、そのような恐れを持って悪魔・悪霊といった存在のことを扱ってはいけないわけです。
>>ですから、神に従いなさい。
そして、悪魔に立ち向かいなさい。
そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。
(ヤコブの手紙、第4章7節)
>>悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。
私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。
ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。
では、しっかりと立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、足には平和の福音の備えをはきなさい。
これらすべてのものの上に、信仰の大盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます。
救いのかぶとをかぶり、また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。
すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。
(エペソ人への手紙、第6章11~18節)
わたしたちが悪魔・悪霊といった存在に対し、イエスさまに頼ることなく対応しようとするのはあまりに愚かなことですし、あくまで神さま、イエスさまのカバーリングの元、悪魔・悪霊といった存在には対応していく必要があると思います。
また、悪魔・悪霊といった存在の一番賢かったところは、「あんな、黒い毛で覆われた尻尾のある獣で、爪が長くて三叉の矛を持ってるような存在が本当にいると思ってるんですかあ~?あなた、馬鹿なんじゃないですかあ~?」みたいに人々に思わせ、自分の本当の姿を隠したことだ――といったように言われるわけですが、こうしたことって確かに、一見馬鹿らしく聞こえることだと思います。
でも、やっぱり多くの方々が、「神さまってほんとはいるんじゃないかな」と思ってるのと同じように、「理由はわからないし、目で見たこともないけれど、何かそうした悪しき霊の存在のようなものは確かに存在すると思う」と感じる方というのは、「わざわざ口に出してそんなことを言ったら馬鹿だと思われそうだから言わないけれど……」本当はそうした存在はいるんじゃないかと感じてる方っていうのは結構多かったりするんですよね(だからこそ、そんなこと信じなさそうに見える方が霊感商法に引っかかったり、なんらかの新興宗教にお金を貢ぐとか、そうした事例がたくさんあったりもするわけですから)。
また、これは悪魔・悪霊の使う手法の、一般的「あるある事例」ですが、悪魔や悪霊っていうのは、人の心の不安や恐怖、その人にとっての弱味によって動けないようにさせる――というのが、本当に得意だと思います。他のクリスチャンの方のお証しを聞いたり読んだりした時に、その信仰が立て上げられる過程において、大体似たことが起きるらしい……みたいのを知った時、笑いごとではないのですが、ちょっとだけ笑ってしまったことがありました(^^;)
なんというか、「わたしは真実の神、イエスさまのことを信じたのだから、これからの人生、きっと祝福だけが待っている!」みたいに思ってたものの、信仰が立て上げられるために、実はその人にとって一番弱いところに神さまの御手が入ってくる――ということがあって、こうした時に「そんな奴、実はほんとの神じゃないんだよ」的な悪魔・悪霊の甘い囁きにあい、イエスさまの御心でない道へ迷いこんでしまい、相当遠回りしてから再び「やっぱりイエスさまこそ神さまでした」みたいになって戻ってくるとか、そんなことが本当にあったりするわけですよね(^^;)
戦争というのはもちろん、戦争している国同士の人々が肉体的にも精神的にも傷つく、あくまで現実の出来事なわけですが、その背景にはこうした霊的な事柄も絡んでくるという、聖霊を受けているクリスチャンの人々は今、そうしたことも踏まえてウクライナのため、ウクライナの人々のため、また本当は戦争したくないロシア兵のため、ロシアの国民の人々のためにも祈っていると思います。
それではまた~!!
>>さて、イエスは、悪魔の試みを受けるため、御霊に導かれて荒野に上って行かれた。
そして、四十日四十夜断食したあとで、空腹を覚えられた。
すると、試みる者が近づいて来て言った。「あなたが神の子なら、この石がパンになるように、命じなさい」
イエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる』と書いてある」
すると、悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の頂に立たせて、
言った。「あなたが神の子なら、下に身を投げてみなさい。『神は御使いたちに命じて、その手にあなたをささえさせ、あなたの足が石に打ち当たることのないようにされる』と書いてありますから」
イエスは言われた。「『あなたの神である主を試みてはならない』とも書いてある」
今度は悪魔は、イエスを非常に高い山に連れていき、この世のすべての国々とその栄華を見せて、
言った。「もしひれ伏して私を拝むなら、これを全部あなたに差し上げましょう」
イエスは言われた。「引き下がれ、サタン。『あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えよ』と書いてある」
すると悪魔はイエスを離れて行き、見よ、御使いたちが近づいて来て仕えた。
(マタイの福音書、第4章1~11節)
大分前のことになるのですが、図書館でイルミナティに関する本をぱらぱら読んだことがありました
イルミナティというのは某秘密結社のことで、「信じるか信じないかはあなた次第」系のお話として、名前を聞いたことある方は多いと思います(^^;)
わたしがここで書きたいのは、実在のイルミナティというよりも、陰謀論としてのイルミナティということなのですが、たまたま図書館で見かけて暇つぶしにぱらぱら見ていたところ……大体意味として、次のような文章が目に入ってきたわけです。
それはイルミナティの目的といったことで、イルミナティの背後、そのトップに座しているのは悪魔(サタン)である――的なことが書いてあって、「ふむふむ。そんでそんで?」なんて思いつつ、その続きを読んでいくとですね……そもそもこのイルミナティの目的とは何か、みたいなことが書いてあったわけです。
イルミナティの目的、それは人間世界を戦争などによって混乱させ、無秩序な状態へ陥れること、そうすることで、この世界に神などいないと人間に信じさせること……確か、大体そういった意味のことが書いてあったと思います。で、イルミナティはそれで何か得をするのかと言えば、まあこれは本に書いてあったことではなく、わたしの推論ですが、確かに軍需産業の重役の方など、戦争によって得をする、そしてそうした軍需産業から応援してもらってる政治家も得をする――といった背景はあるかもしれません。それで、これもまた本に書いてあったことなのですが、イルミナティというのは、悪魔(サタン)がバックにいるので、人間世界が混乱し、無秩序な中、ただ金が浪費され、経済が疲弊し、そのことで神などいないと人間に思いこませることを目的としているので、そのイルミナティ自体が得をするとかしないといった機関ではない、みたいなことが書いてあったと思います。
つまり、目的があるように見えて実はまったくないとも言える、というか。人間が意味のないことに人生を費やし、人生なんて虚しい、こんなんで神さまなんて絶対いない、いるわけがない……という風潮を作りだすこと、それが悪魔(サタン)の目的である――「人生に意味なんてない。だから神さまもいない」という、そう思う人間がひとりでも増えれば増えるほど悪魔(サタン)は踊り上がって喜ぶ、という。
そして、この悪魔(サタン)という、旧約聖書の創世記から出てきて、新約聖書の最後の書である黙示録にまでしつこく出てくるサタンさんは、イエス・キリストを十字架につけた時も踊り上がって喜んだのでした。「神の子をとうとう十字架に釘付けにしてやった!どうだ、参ったか!神のやつめ、ザマーミロ!!」と、喜びのあまり、壁かどっかを叩きながら嬉し涙すら流しただろうサタンさん。三日天下、という言葉がありますが、サタンさんのこの喜びは、サタンが人間に与える一時的な喜びと同じで、すぐ終わってしまいました。何故ならその後、イエスさまはお墓から復活されて、甦られたからです。
そして、イエスさまは生前そのように語っていたとおり、ご自分の十字架の血の贖いと復活を信じる者は、ただその「信じる」というそれだけで、すべての罪を赦され、天国へ行くことが出来る――そのことの証しをされたのでした。こうして、悪魔は一時的に勝利を得たものの、その後は永遠の敗北を約束されてしまいました。逆に、一時的に悪魔の策略に敗北したように見えたイエスさまは、神さまにある永遠の勝利を得て、天国へ昇っていかれたのです。
今起きているウクライナの戦争のことで言えば、「何故プーチンは戦争を起こしたのか」と、その理由のところがわからないとよく言われるわけですが、歴史を長い目で見てみると、割と「何故この王さまは戦争など起こしたのだろう」的なことって、結構あると思うんですよね。何を言いたいかというと、王さまになる前までは「心正しく清い」というのか、そこまででなくても、そうした傾向にあった皇帝や王さまでも――権力者の座について以降、彼はだんだんおかしくなっていった……的な話です。これは、キリスト教界では多くの方が認識されていることだとは思うんですけど、今の時代であれば大統領であるとか、権力者の地位にある方というのは、悪魔・悪霊といった勢力から霊的攻撃を受けやすい……みたいに、教会などでは割と普通に信徒同士の方が話すことがあると思います(^^;)
いえ、わたしは「プーチンに悪魔(サタン)が取り憑ついたから戦争が起きた」と言いたいわけではなく、たとえば教会という群れを率いる牧師さんなども、キリスト教界では一般に「霊的攻撃を受けやすい」と認識されています。これはその教会ごとの解釈などにもよると思うのですが、たとえば、「悪魔(サタン)の攻撃を受ける」といったことは、昔はあったかもしれないけれども、今という現代という時代にはありえない……といった教えにその教会が立っていた場合、「悪魔・悪霊からの霊的妨害から守られますように」とか、悪魔・悪霊といった存在はいないものとして、非科学的な存在であるとして祈らなかった場合――その部分の守りが一切ない、ガードががらすきということになってしまうわけですよね。
ゆえに、教会全体が「悪魔・悪霊の攻撃から守られますように」とか、その中でも特に攻撃を受けやすい牧師さんや牧師さんご夫妻ご一家をお守りください……とか、一切祈らないとしたら、その部分はもう本当にノーガードということになってしまうわけです。
もちろん、自分的にもすごく言いにくいことだなとは思います。以前、ある福音派の教会の礼拝で、悪魔・悪霊追い出しについての聖書箇所について、牧師さんが次のようにお説教されていることがありました。ええと、確かイギリスのほうに悪魔の取り憑いている椅子というのがあって、わたしもこれ、たまたまテレビで見て知ってたんですけど……その牧師さんのほうでは「だから、悪魔・悪霊というのは今も現実の存在なのです」と、そうおっしゃってました。
でもその~、なんというか、個人的に思いますのに、その説明のされ方が、少し苦しそうだったんですよね。「悪魔・悪霊などと言って、聖書の解釈がおかしいんじゃないのか、この牧師は」みたいに思われたくないな……みたいな、若干の恐れを感じた、と言いますか。。。
それで、その牧師さんの苦しい気持ちはすごくわかるわけです。わたしも悪魔とか悪霊がどうこうとか書いて、「ここのブログ書いてる人はちょっとおかしいんじゃないか」みたいに思われたくないわけですから(笑)。でも本当に、そのような恐れを持って悪魔・悪霊といった存在のことを扱ってはいけないわけです。
>>ですから、神に従いなさい。
そして、悪魔に立ち向かいなさい。
そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。
(ヤコブの手紙、第4章7節)
>>悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。
私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。
ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。
では、しっかりと立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、足には平和の福音の備えをはきなさい。
これらすべてのものの上に、信仰の大盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます。
救いのかぶとをかぶり、また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。
すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。
(エペソ人への手紙、第6章11~18節)
わたしたちが悪魔・悪霊といった存在に対し、イエスさまに頼ることなく対応しようとするのはあまりに愚かなことですし、あくまで神さま、イエスさまのカバーリングの元、悪魔・悪霊といった存在には対応していく必要があると思います。
また、悪魔・悪霊といった存在の一番賢かったところは、「あんな、黒い毛で覆われた尻尾のある獣で、爪が長くて三叉の矛を持ってるような存在が本当にいると思ってるんですかあ~?あなた、馬鹿なんじゃないですかあ~?」みたいに人々に思わせ、自分の本当の姿を隠したことだ――といったように言われるわけですが、こうしたことって確かに、一見馬鹿らしく聞こえることだと思います。
でも、やっぱり多くの方々が、「神さまってほんとはいるんじゃないかな」と思ってるのと同じように、「理由はわからないし、目で見たこともないけれど、何かそうした悪しき霊の存在のようなものは確かに存在すると思う」と感じる方というのは、「わざわざ口に出してそんなことを言ったら馬鹿だと思われそうだから言わないけれど……」本当はそうした存在はいるんじゃないかと感じてる方っていうのは結構多かったりするんですよね(だからこそ、そんなこと信じなさそうに見える方が霊感商法に引っかかったり、なんらかの新興宗教にお金を貢ぐとか、そうした事例がたくさんあったりもするわけですから)。
また、これは悪魔・悪霊の使う手法の、一般的「あるある事例」ですが、悪魔や悪霊っていうのは、人の心の不安や恐怖、その人にとっての弱味によって動けないようにさせる――というのが、本当に得意だと思います。他のクリスチャンの方のお証しを聞いたり読んだりした時に、その信仰が立て上げられる過程において、大体似たことが起きるらしい……みたいのを知った時、笑いごとではないのですが、ちょっとだけ笑ってしまったことがありました(^^;)
なんというか、「わたしは真実の神、イエスさまのことを信じたのだから、これからの人生、きっと祝福だけが待っている!」みたいに思ってたものの、信仰が立て上げられるために、実はその人にとって一番弱いところに神さまの御手が入ってくる――ということがあって、こうした時に「そんな奴、実はほんとの神じゃないんだよ」的な悪魔・悪霊の甘い囁きにあい、イエスさまの御心でない道へ迷いこんでしまい、相当遠回りしてから再び「やっぱりイエスさまこそ神さまでした」みたいになって戻ってくるとか、そんなことが本当にあったりするわけですよね(^^;)
戦争というのはもちろん、戦争している国同士の人々が肉体的にも精神的にも傷つく、あくまで現実の出来事なわけですが、その背景にはこうした霊的な事柄も絡んでくるという、聖霊を受けているクリスチャンの人々は今、そうしたことも踏まえてウクライナのため、ウクライナの人々のため、また本当は戦争したくないロシア兵のため、ロシアの国民の人々のためにも祈っていると思います。
それではまた~!!
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