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神の手は力ある働きをする。

 主の右の手は高く上げられ、
 主の右の手は力ある働きをする。

(詩篇118編16節より)

One of Us。

2018年04月12日 | キリスト教
【戦争の顔】サルバドール・ダリ


 前に一度、「愛について。」という記事のところで、神さまから「愛」ということについて何か書くよう聖霊さまを通して語りかけがあった気がする……と書いたのですが、「聞き違いかなー☆」なんて思いつつ、以降少しばかり心に留めていたと言いますか(^^;)

 一応、自分的に<愛>と聞いてすぐに思い浮かべるのが、マザー・テレサのおっしゃった「イエスの渇きに応えること」であったため、そのことについて書こうかなって思ったりもしたんですけど、ちょっと自分的に「One of Us」ということが一番近いのかなと思ったというのがあって。。。

 わたし英語がよくわかんない馬鹿な人なので(笑)、だったらわざわざ英語で書くなよwwと自分でも思ったんですけど、これが割と「感覚的に近い」言葉なのかなって思ったもので。

 ぐーぐる☆の翻訳にかけると、「わたしたちの一人」と訳されるのですが、ニュアンス的にはたぶん、我々の仲間のひとりと言いますか、そんな感じなんでしょうか(もし違ってたらすみません

 で、ですね……ちょっと話飛ぶんですけど(汗)、ハリウッドの映画やドラマを見ていると、黒人の方や白人の方、あるいは東洋人の方など、割と配分よくキャストされてる気がするのですが、あれってわざとそう意図してのことだというのを結構前に知り、「あ、やっぱりそうだったんだな」って思ったことがあります。

 つまり、人を肌の色や人種の違いなどで差別してはいけない……というか、そうした平等性のメッセージを織り込むのと同時に、主人公がもし仮に白人の方でも、相棒が黒人の方だったら、黒人の方も映画館に来てくれるだろうとか、そうした製作者サイドの意図があるのだそうです。

 でも、「現実はどうなの?」といえば、実際には白人の警察官の方が黒人の方を射殺したことが問題になったり、白人の方だけが住んでる地域と黒人の方だけが住んでる地域とではっきり住み分けがなされていて、両者の間に交流はほとんどない……ということも実際はそんなに珍しくないといったように聞きました。

 それで、また話が飛びますが(^^;)、9.11が起きた時の日本人の反応っていうのを、テレビで見ていたことがありました。テレビの方ももしかしたらあえてそうした方ばかり選んだのかもしれませんが、「いやまあ、対岸の火事っすよねえ」、「なんか映画見てるみたいな」、「あ、俺にも影響あったといえばあったんですよ。ほら、株価とか、そういう部分で」、「こんなこと言ったら不謹慎だけど、他人の国の出来事としては、見ててちょっとワクワクするみたいなとこもあるんじゃないスかねえ」などなど……もちろん、あれが日本国内で起きたことで、東京タワーに飛行機が突っ込んだとかだったら話はまた変わってくるんでしょうけど……自分的に9.11って、第三次世界大戦のはじまりか!?っていうくらいの、本当に衝撃的な出来事でした。。。

 それで、日本で東日本大震災が――3.11とも呼ばれる大惨事が起きた時、世界中が「One of Us」の精神で、義捐金のこと含め、本当に心あたたまる支援がたくさんあったように思うんですよね。なんていうか、「我々の仲間の内のひとりがとても傷ついてる。これは絶対に早く助けてなんとかしなくては」っていう精神の部分で世界はひとつだったというか。

 それで、今は特にシリアのあたりで「我々の仲間のひとり」の苦しみが激しいわけですが、各国の思惑が複雑に絡みあっていることもあり、そのことについて「世界はひとつ」といったようには言えない気がします。

 わたしは日本で生まれた純日本産の人間なので、正直、白人の方と黒人の方の対立の深刻さとか、貧富の差の問題というのは、「皮膚感覚」では理解できないと思うんですよね。でも、「白人連中の問題は白人連中だけで解決し、黒人連中の問題は黒人だけで解決し、東洋の連中は東洋の連中だけで問題解決しろよ」とか、「ユダヤ教を信じてる連中はユダヤ教の信者だけで問題を解決し、キリスト教徒の問題はキリスト教徒だけで問題を解決し、イスラム教徒の問題はイスラム教徒だけで解決しろよ」……というのではなくて、唯一そこに<愛>というものが生じうるとしたら、「あなたの痛みはわたしの痛みだよ」、「あなたの感じている苦しみは、わたしの苦しみだよ」という連帯感が生じた時だけなんだろうなって思ったというか。

 そして、こうした「One of Us」といったことをわたしに考えさせたのは、テレビのニュースでアメリカの若い人たちが銃規制のために立ち上がった姿を見て、でした。

 日本は銃規制がとても厳しい社会なので、そう滅多に銃で誰かが殺されたといった報道は聞かないわけですけど――アメリカでは日常茶飯事といったイメージがあって、「アメリカでまた銃によって人が亡くなった」というニュースを聞いても、日本人的には「ああ、またか。アメリカ怖いな」くらいで終わってしまったりするんですよね(^^;)それが、銃乱射事件で何人もの人が死んだといった凄惨なものでもない限り。。。

 でも、アメリカの若い人たちが「これこそが本当の民主主義だ!!」と言って立ち上がり、集会を開いたっていうのは、本当に魂をハッとさせられるような、素晴らしい出来ごとであるように感じました。

 これから、世の中の流れが変わって、銃規制が進むことで……銃に関係した事件がアメリカで減るといいなって他国ごとながら思うんですけど、実際は現実的なことを色々考えると、とても難しい道のりでもあるんだろうなって思ったりもします(^^;)

 イエスさまは、すでに天の御国で父なる神の右の座に着座されているのと同時に――十字架上でわたしたちの痛みや苦しみを感じておられるわけですけれども、そのイエスの苦しみや痛みをわたしたちもまた担うなら、その苦しみというのは決してただ「苦しい」、ただ「痛い」というだけで終わることはありません。

 そして、こうしたことが世界で唯一――「あなたの痛みはわたしの痛み」、「あなたの苦しみはわたしの苦しみ」、「あなたの悲しみはわたしの悲しみ」と感じられるということが、おそらくは<愛>と呼ばれるものにもっとも近いのではないかと思いました。。。

 それではまた~!!





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