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2018年04月21日 | 日記
怨霊といえば崇徳上皇や菅原道真が有名だ。ところで、実はとても大きな力をふるったのに、ほとんどそうと知られていない怨霊をご存じだろうか。

それは豊臣秀頼である。

徳川家康に裏切られ、大坂城で亡くなった秀頼公は怨霊になった。幕末までは眠っていたらしい。彼が目を覚ましたのは、鳥羽伏見の戦いのときである。

このとき、戦況は実は幕府側がどう考えても有利であった。なのに、大坂城にいた徳川慶喜はひそかに脱出して江戸に帰ってしまったのである。これで薩長の勝利となった。慶喜はなぜ逃げたか。秀頼が祟ったのである。秀頼の怨霊が、徳川体制の危機に、大坂城にいた慶喜を見逃すはずがない。大坂の陣でついに城から打って出ず敗れた秀頼の怨念が、慶喜の出陣を阻んだのだ。大坂城で徳川を似たような目に遭わせたのだ。


さて、秀頼は慶喜について行き、江戸城に入ったという。やがて江戸は東京になった。

御一新からおよそ70年後、2・26事件が起きた。このとき、昭和天皇が激怒して、自身近衛兵を率いて鎮圧にあたると言ったことはよく知られている。ことば通りに天皇が出陣していたならば、そのあと軍部全体があれほど増長しただろうか。しかし、彼はそうしなかった。

またもや秀頼が祟ったのである。何のために?ーーもはや理由などない。最重要局面で城から打って出ようとしたから、としか言えない。

かくして、豊臣家にならって、徳川体制も大日本帝国も滅亡したのであります。

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