![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/4b/040eb3fdd72de709baeaa9d6e3c41574.jpg)
こちらの画像は、大宮高校の桜です!
まだ葉桜になっていませんね。
私の母校は、お隣の中学校でした。正直10代で木々を見上げるなんて習慣や興味はないのですが、桜だけは私をひきつけていましたね。 今でも思い出しますが、小学校の入学式に母校が桜吹雪になったのを思い出します。
それから記憶をたどると、さいたま市少なくとも私にとっては大宮市ですが、桜の木が多かったように思います。今もいいですし、大宮公園の桜は私が幼少の頃から人でいっぱいでした。 夜桜で迷子になった事も記憶しています(笑。
その時、大宮公園サッカー場は既にあり。しかし私はそんな存在すら知らず、桜の花びらが山になった箇所を蹴りまくって遊んでいましたね。3~4歳なのにサッカーボールではなく、桜でした(笑。これはサッカーボールだったら今頃どうなっていたのかなあっと。 まあ才能がたかが知れているので、今と変化ないと思いますが。
なんでも今年の桜は比較的長く観賞できるようです。 私に限っては、人ごみが大嫌いなのでおそらく大目に楽しめる箇所に行くでしょう。いっぱい桜があるという事は、それの倍以上の人がやってくるわけで。そんな箇所に見物に行く事自体が、もうナンセンスになっている!(古い表現。
気づかれして花どころじゃないし、桜に混じってゴミの山が視界に入るし、醜態をさらす人や大声で騒いでいる状況を目にするのなら、静かにたかが一本でも素晴らしい桜で愉しみます。 正直、美しいなあとか凄いなあって感情は、大宮高校の校門上にある桜でも感じられる。本当、わたあめみたいにフワフワで、どうしていいのかわからないという感情に陥る事もあります。
昔の人は、あまりに美しいものを目前にすると、恐れおののいたようです。 私も桜を目の前にして、あまりに人間が醜いのか?という事を実感するし、 きれいで人を引き寄せる魅力を前に、不安になる事もあったし。どう表現していいのか、美しすぎて怖いくらいの時もありました。
人は桜に引き寄せられるが、桜が引き寄せられるくらいい人間はいるのか?と思います。そういう人間は存在するのか?って。 それにはまず。美しいものは美しいと思える感覚を養うことだろうし、醜いものは醜いと判断できる感覚が大事に思えます。
決して、お酒を飲みながら桜は鑑賞できません(笑。 たまたま桜の下で飲みたいという事であれば、分かりますが。それは花見ではありませんので(笑。 美しいものは、日常にまだまだいっぱいある。それに気づくか気づかないか?は、 見る側の意識だし、もし美しいものが見つからない、という事であれば、それは見る人の感覚が濁ってしまっているように思いますので。
私は毎年、桜で心が洗われます。そしてもう少し観ていたいと思います。でも時期に葉桜になる。そうやって季節が順送りに変化する。
葉桜になっている事、大宮アルディージャはどうなっているのか?
大宮アルディージャを観ることによって、私たちは心洗われるだろうか?
大宮アルディージャを目にして、美しさや愉しさを再認識できるだろうか?
大宮アルディージャと接して、生きている実感に気づくだろうか?
さあ、もう少しつかの間の桜見物でも、していようと思う。
まだ葉桜になっていませんね。
私の母校は、お隣の中学校でした。正直10代で木々を見上げるなんて習慣や興味はないのですが、桜だけは私をひきつけていましたね。 今でも思い出しますが、小学校の入学式に母校が桜吹雪になったのを思い出します。
それから記憶をたどると、さいたま市少なくとも私にとっては大宮市ですが、桜の木が多かったように思います。今もいいですし、大宮公園の桜は私が幼少の頃から人でいっぱいでした。 夜桜で迷子になった事も記憶しています(笑。
その時、大宮公園サッカー場は既にあり。しかし私はそんな存在すら知らず、桜の花びらが山になった箇所を蹴りまくって遊んでいましたね。3~4歳なのにサッカーボールではなく、桜でした(笑。これはサッカーボールだったら今頃どうなっていたのかなあっと。 まあ才能がたかが知れているので、今と変化ないと思いますが。
なんでも今年の桜は比較的長く観賞できるようです。 私に限っては、人ごみが大嫌いなのでおそらく大目に楽しめる箇所に行くでしょう。いっぱい桜があるという事は、それの倍以上の人がやってくるわけで。そんな箇所に見物に行く事自体が、もうナンセンスになっている!(古い表現。
気づかれして花どころじゃないし、桜に混じってゴミの山が視界に入るし、醜態をさらす人や大声で騒いでいる状況を目にするのなら、静かにたかが一本でも素晴らしい桜で愉しみます。 正直、美しいなあとか凄いなあって感情は、大宮高校の校門上にある桜でも感じられる。本当、わたあめみたいにフワフワで、どうしていいのかわからないという感情に陥る事もあります。
昔の人は、あまりに美しいものを目前にすると、恐れおののいたようです。 私も桜を目の前にして、あまりに人間が醜いのか?という事を実感するし、 きれいで人を引き寄せる魅力を前に、不安になる事もあったし。どう表現していいのか、美しすぎて怖いくらいの時もありました。
人は桜に引き寄せられるが、桜が引き寄せられるくらいい人間はいるのか?と思います。そういう人間は存在するのか?って。 それにはまず。美しいものは美しいと思える感覚を養うことだろうし、醜いものは醜いと判断できる感覚が大事に思えます。
決して、お酒を飲みながら桜は鑑賞できません(笑。 たまたま桜の下で飲みたいという事であれば、分かりますが。それは花見ではありませんので(笑。 美しいものは、日常にまだまだいっぱいある。それに気づくか気づかないか?は、 見る側の意識だし、もし美しいものが見つからない、という事であれば、それは見る人の感覚が濁ってしまっているように思いますので。
私は毎年、桜で心が洗われます。そしてもう少し観ていたいと思います。でも時期に葉桜になる。そうやって季節が順送りに変化する。
葉桜になっている事、大宮アルディージャはどうなっているのか?
大宮アルディージャを観ることによって、私たちは心洗われるだろうか?
大宮アルディージャを目にして、美しさや愉しさを再認識できるだろうか?
大宮アルディージャと接して、生きている実感に気づくだろうか?
さあ、もう少しつかの間の桜見物でも、していようと思う。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます