石川啄木『悲しき玩具』に導かれて
石川啄木(1886ー1912)の歌に導かれた。
病みてあれば心も弱るらむ!
さまざまの
泣きたきことが胸にあつまる。
いつか是非、出さんと思ふ本のこと、
表紙のことなど、
妻に語れる。
クリストを人なりといへば、
妹の眼がかなしくも、
われをあはれむ。
運命の来て乗れるかと
うたがひぬー
蒲団の重き夜半(よは)の寝覚めに。
神様と議論して泣きしー
あの夢よ!
四日ばかりも前の朝なりし。
(石川啄木『悲しき玩具』新潮文庫)
1
啄木
歌集を手にした初めての歌詠み
その歌うたは 思春期の波打つむねに染みた
―感傷はことばにできる 波に流されなければ
そう教わった
半世紀を生きて
老人の感傷がすこし穏やかになってきたこの頃
若い歌人も波に烈しくうたれていたのだとわかった
いとおしくなった
―生きたかったろうね もっと
2
じぶんという者が
あっちへ行ったりこっちへ行ったり
真剣だからよけい揺れ幅がおおきい
―わたしのところへ来てごらん
そんな声を幾度もきいたのだろうが
貧乏の暮らしのなかでも
病んだときでも
死の床でさえも とうとう
「神さま!」とは呼ばなかったのだろう
啄木
貴君(きみ)のかなしい歌が大好きだよ
★たんぽぽの 何とかなるさ 飛んでれば
いつも読んでくださり、ほんとうに有難うございます。