ディープインパクト@まこっさん

まこっさんの心の叫び(ハーツクライ)をどうぞ。

あれから11年

2006-01-17 | 僕の独り言
僕の住んでいる京都でもかなりゆれた。

ちょうど大学卒業試験初日の早朝。
まだ実家に住んでいた。

2階で寝ていた僕はすぐ起き
弟と事態を確認し、階下のばあちゃんを見に行った。

ラジオと懐中電灯をもって「大丈夫か?」やって。

ばあちゃん、あんたにゃかなわんわ。
「関東大震災はもっとゆれたで」

最初は「東海地震」だと思った。
停電するまでの間、テレビを見たとき
見慣れたはずの近畿地方の地図を
認識するのに少し時間がかかった。

食器なども無事だったので
もう一度寝ようとすると弟に
「何考えてるねん、え~根性してるな」って
半ば呆れた顔で言われたような。

7時くらいになると事の重大さがわかってきた。

神戸方面の友達に電話するが通じない。

ピンときた。
公衆電話だ。
家庭用の電話とは別回線のはずだ。

近くの公衆電話から
電話をかけると、おもしろいようにつながった。

大学の友達や、先輩・後輩。
わかる範囲ではみんな無事だった。
ホッとした。

大学に試験の有無を確認するのも忘れなかった。
(もちろん試験はなかった。)

その日は一日テレビで被害状況を見たり
知人・友人が被災していないか電話ばかりしていた。

話は変わり、その日出張で信州方面に行っていた母。

案の定新幹線も止まり
名古屋まで戻ってきたものの
泊まるホテルすらなく途方にくれているとのこと。

「迎えに来て」

「・・・なんでやねん」

親父は事を察したのか2分前ぐらいから
ビールを飲んでいた。

「じゃぁ頼むわ」と車のキーを渡す親父。

名古屋の地理はある程度ならわかるので
途中、SAから家に電話しながら
母のいるところへ向かう。

名神高速道路は雪のため速度規制。

警察署という一番安全な場所で
テレビを見ながら待っているという情報が。

わかりやすい場所だったので迷わず到着。

母はなんと「どんベえ」を食べながら
署長さんたちとニュースを見ていた。
宿直の人の夜食を分けてもらったそうだ。
何とまぁたくましいこと。

かつ丼じゃなかったのが少し残念そう。

ドラマ見過ぎやって。


その後テストの合間を縫って
ボランティアに出かけた。

その話はまたの機会に。