今朝の新聞に、こんなお話が載っていました。
「体調不良が起こる時に限って<感謝の心>を忘れている、との(内なる自分自身からの)メッセージに思えました。偶然かもしれませんが、心から反省すると意外に治りも早いのです」
この方の亡くなられたお祖母さん曰く「腐っても鯛は鯛。何が起こっても元は鯛なのだから、凛として!」と。
なにも敬老の日だから。。ではないですが、不思議と胸にストンと落ちるものがありました。
いつのまにか私は、不平不満を溜め込んでいたようです。なんとなく心から楽しめない。こんなことをして一体何になるのか。体調もあまり良くはない。何をしても気分が晴れない、等々。。。感謝の心が欠け始めていたようです。
あくせくと生きたくもなし小望月 (萄子)9/13・作句 という心境でした。
私は、作家であり僧侶でもある玄有宗久さんが好きなので、『中央公論』に掲載されていた文章を少し引用してみたいと思います。「一大事」というテーマです。
「一大事の因縁とは何か。”衆生(しゅじょう)をして仏の知見を開かしめ、清浄なることを得せしめる”こと。ただそれだけの為に、世尊は此の世に現れたのだと、<法華経>方便品(ほうべんぼん)に強調されている。
禅ではより主体的に”生を明(あき)らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり”と自らに引き寄せるが、どんな一大事も、聞く人が一大事だと思えなければ教えを聞く気にもなれない。
・・その時霊鷲山(りょうじゅせん)には何人ほどの聴衆がいたのか。智慧第一の舎利弗(しゃりほつ)がその教えを三度まで請うた。しかし世尊はなかなか話し出さない。すると、五千人ほどが礼拝しながらも立ち去ってしまった。これを<縁なき衆生>という。時が至り、因縁が熟さなければどんな教えも耳には届かないし、一大事とさえ思えないのだ。
白隠禅師は四十二歳の秋、こおろぎの鳴き声を聞きながら『法華経』を読んでいた。方便品を終えて譬喩品(ひゆぼん)にさしかかった時に、号泣したという。きっと”一大事”を心底了解したのだろう」と、玄有さんは仰る。
秋の夜長、じっくりと”内なる一大事”を問いかけてみるのもいいかもしれない、と思いました。
さて、十六夜(いざよい)である今夜は一番良いお月様が見られるそうなのですが・・あいにくお天気は曇りのようです。昨夜は断続的に強い雨でした。名月は、脳裏に思い浮かべるだけでヨシと致しましょうか(笑)
一応↓写真を載せておきます。この素敵なお月様は、以前に山裾の人さんからお借りしていたものです。
名月や畳の上に松の影 基角

(13日に蕾でUPした庭の彼岸花↑(曼珠沙華)が今日は開いていました どこからか種が飛んできたのでしょう)
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「体調不良が起こる時に限って<感謝の心>を忘れている、との(内なる自分自身からの)メッセージに思えました。偶然かもしれませんが、心から反省すると意外に治りも早いのです」
この方の亡くなられたお祖母さん曰く「腐っても鯛は鯛。何が起こっても元は鯛なのだから、凛として!」と。
なにも敬老の日だから。。ではないですが、不思議と胸にストンと落ちるものがありました。
いつのまにか私は、不平不満を溜め込んでいたようです。なんとなく心から楽しめない。こんなことをして一体何になるのか。体調もあまり良くはない。何をしても気分が晴れない、等々。。。感謝の心が欠け始めていたようです。
あくせくと生きたくもなし小望月 (萄子)9/13・作句 という心境でした。
私は、作家であり僧侶でもある玄有宗久さんが好きなので、『中央公論』に掲載されていた文章を少し引用してみたいと思います。「一大事」というテーマです。
「一大事の因縁とは何か。”衆生(しゅじょう)をして仏の知見を開かしめ、清浄なることを得せしめる”こと。ただそれだけの為に、世尊は此の世に現れたのだと、<法華経>方便品(ほうべんぼん)に強調されている。
禅ではより主体的に”生を明(あき)らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり”と自らに引き寄せるが、どんな一大事も、聞く人が一大事だと思えなければ教えを聞く気にもなれない。
・・その時霊鷲山(りょうじゅせん)には何人ほどの聴衆がいたのか。智慧第一の舎利弗(しゃりほつ)がその教えを三度まで請うた。しかし世尊はなかなか話し出さない。すると、五千人ほどが礼拝しながらも立ち去ってしまった。これを<縁なき衆生>という。時が至り、因縁が熟さなければどんな教えも耳には届かないし、一大事とさえ思えないのだ。
白隠禅師は四十二歳の秋、こおろぎの鳴き声を聞きながら『法華経』を読んでいた。方便品を終えて譬喩品(ひゆぼん)にさしかかった時に、号泣したという。きっと”一大事”を心底了解したのだろう」と、玄有さんは仰る。
秋の夜長、じっくりと”内なる一大事”を問いかけてみるのもいいかもしれない、と思いました。
さて、十六夜(いざよい)である今夜は一番良いお月様が見られるそうなのですが・・あいにくお天気は曇りのようです。昨夜は断続的に強い雨でした。名月は、脳裏に思い浮かべるだけでヨシと致しましょうか(笑)
一応↓写真を載せておきます。この素敵なお月様は、以前に山裾の人さんからお借りしていたものです。
名月や畳の上に松の影 基角




(13日に蕾でUPした庭の彼岸花↑(曼珠沙華)が今日は開いていました どこからか種が飛んできたのでしょう)




美味しそうな「おはぎ」ですね。
秋の彼岸は萩が咲くので「おはぎ」、春の彼岸はボタンの花なので「ぼたんもち」→「ぼたもち」だそうです。
春はこしあん、秋はつぶあん・・・セオリー通りのようです。(笑)
一大事とは「一番大事(だいじ)なこと」だと思っていました。(笑)
「一番大変(たいへん)なこと」もいうようですね。
会社の人事を(ひとごと)と呼んでいました。
情け容赦なく転勤を命じていました。
お陰で4年間暖かい静岡で遊ばせて貰いました。(笑)
まだまだ修行が足りません。
どうぞ手取り足取りして教えてください。
今夜は月も泣いているようです。
早い時間は、雲がかすかに明るく、あのあたりかな・・・
しかし、ついにはどこにいるかも判らなくなりました。
十六夜の今夜は「雨降りお月さん」になってしまいました。
信濃では 月と仏と おらが蕎麦 作者不明
そんなことは、無理かもしれません。
替わりにコスモスを見てきました。
コスモスは宇宙、月より大きいです(笑)
食べ物も美味しいですね
感謝、大事です
お萩をご用意してお待ちしておりましたよ(笑)
昔のおばあさんは、オハギを作るのに日がな一日、小豆を選別していましたね。虫食いや痛んだものを取り除いたのです。今のように整った物が売っている訳ではありませんでしたから。
でも、そんなゆっくり流れる時間には、おばあさんは周りにいる孫に昔話をしてくれたりしたのでしょう。貧乏でも”豊かな生活”というのは、案外そんなものなのでしょうね。まぁ、敬老の日に思うことですが^^
人事はひとごと、「釣りバカ日誌」のハマちゃんもそう言っていました。静岡なら、良いところではないですか~、たくさん山に登られたのでしょうね~
コメント☆、ありがとうございました
訂正したのにまた訂正(笑)
そうなのです。ハギ・ハギ・萩!って、思いが強かったのでしょうか
コスモスはいいですね。私も子供の頃から好きなお花でした。なにせ広~い”宇宙”ですものね。ビックバンの前は、宇宙はどうだったのでしょう、なんて
コメントをありがとうございました。感謝
感謝、すぐに忘れてしまうのです。反省、も必要ですね。
食べ物にも、手を合わせて一応感謝して頂いているのですが、まだ足りないようです^^
感謝すると、余計美味しいですか?コメント応援、ありがとうございました
私も、美味しそうな “おはぎ” が、呼んでいたので、伺いました~。(笑)
本当に、感謝するって、大切な事ですね~。言葉も、「有り難う」
「お陰様で」 「感謝します」 の三つは、魔法の言葉だそうですね。~♪
口に、いつも出していれば、幸せになれるのだそうです。
ところで、そちらはもう彼岸花、咲いているのですね~。
秋を満喫させて頂きました~。有り難うございます。
感謝の心・・・・大切にしたいものですね。
名月や 萩ぼた餅に かげうすく (哉々)
オハギに呼び止められましたか~(笑)
お萩はおばあさんが得意でした。もち米にうるち米を混ぜて、餡はお砂糖極力控えめ^^
ヒガンバナは刈り入れの済んだ田んぼには、たくさん出ますよ。もう少ししないと、刈り入れが始まりませんけど~。赤くて見事です~!
コメントをありがとうございました。感謝感謝デス
山裾さんの「名月」にヒトメボレして、速攻連れ帰ったのが、最高のシチュエーションを得てやっとUPできました。ありがとうございます!
「名月」を引き立てるのに、脇役がイマイチでしたでしょうか?(笑)お疲れのところお出ましいただいて、゜.+:。(*≧∇≦*)゜.+:。嬉しいです。感謝の心、忘れません。コメントもありがとうございました