TVをつけるのは、お風呂を上がってきた、いつもの深夜。
だから、たまたま目にする映像は、一期一会(?)に近く、大袈裟に言うならば
”縁”。。。だと思っています。
昨夜は、作家の五木寛之が出ていました。
サクッといえば、そんなに好きな作家ではありません。初期の頃に書かれた「青春
の門」以外は、あまり認めたくはない気持ち(笑)
しかし、流行作家として、常に時代の風をリードしてきたことは、知っています。
そんな彼も、もう75歳。昨夜は「うつ病」について、話していました。
彼は、40代からは、ほとんど”うつ状態”ながら、仕事をしてきたそうです。当時
ならば、まったく言えなかった事柄でしょう。この時代だから、この歳だから、言え
るのかもしれません。
初め、己の心を慰めるために彼が試したことは、毎日一行だけ、その日にあった「楽し
かった事」を書きとめたそうです。年月がたって、それでは効き目がなくなり、「悲
しかった事」を書き留めるようになり、最近ではそれにも飽きて、今度は「ありがた
かった事」、を日々書いているとか。。。続かないので、たったの、一行日記です。
これは面白いので、私も試してみようか、と思いました。
五木寛之は、作家としても十分に成功していたのに、なぜうつ病になったのだろうか。
人間の欲が、果てしもないものだから? 周囲が称賛してくれても、おそらく自分自
身が納得してはいないのだ。あれほどの才能と幸運を背負った人であっても、心はい
つも何かを探し求め、何かを渇望して、せめぎあっていたということだろうか。
人間とは、そういう懊悩を抱えて生きねばならない、運命性があるのかもしれません。
彼が語るには、鬱を隠したり、否定してはいけないということ。鬱を肯定することが
大事だと。鬱とは、「鬱蒼と木が繁茂した森」などという表現に使われるように、生き
るエネルギーが、ふんだんにある状態なのだという。
「私はもっと強く、より良く生きたい」、と叫んででもいるかのような。。。鬱であ
ることは、現代に生きる人間としては、ある意味”正常”なのではないだろうか、と。
私は、うつ病ではないようですが、かつて「うつ状態」が長く続いていました。あるいは、
「鬱気質」のような、元々からある体質的なものがあるのでしょう。
ブログには、楽しいことだけを書くべきだ、と思われる向きがあるのは知っています。
もうすでに、引かれているかもしれませんが、ごめんなさい(笑)あと少し、辛抱し
てください。
私は、「うつ病」だからといって、そのなかにドップリ浸かっている人に、用はありま
せん。そこから、脱出しようとして試行錯誤、奮闘努力している人たちがたくさんいら
っしゃるはず、と思っています。
そんな人たちと共に、優しく心を寄り添わせて、回復する手がかりを探していくのが、
私がブログを始めた理由の、ひとつでもありました。
今、できることを精一杯やる。少しばかり先を見ながら・・・。「鬱と一緒に生きる」そ
んなふうに、来年からのことを考えています。「うつ状態」であっても、特別に恥じる
必要などはないのだ、と最近は思えるようになってきました。
このような重いテーマを、辛抱して読んでくださった優しいアナタ、ありがとうござい
ました。次は、笑えるお話にしたい、と思っていますから、どうぞヨロシクです(笑)

(今日の山々、白い遠景)
日記@BlogRanking
心豊かなアナタの一票をお願いします 


↑ ↑
(50代日記と栃木県民日記
いつかは週間IN
100を目指しています
)
だから、たまたま目にする映像は、一期一会(?)に近く、大袈裟に言うならば
”縁”。。。だと思っています。
昨夜は、作家の五木寛之が出ていました。
サクッといえば、そんなに好きな作家ではありません。初期の頃に書かれた「青春
の門」以外は、あまり認めたくはない気持ち(笑)
しかし、流行作家として、常に時代の風をリードしてきたことは、知っています。
そんな彼も、もう75歳。昨夜は「うつ病」について、話していました。
彼は、40代からは、ほとんど”うつ状態”ながら、仕事をしてきたそうです。当時
ならば、まったく言えなかった事柄でしょう。この時代だから、この歳だから、言え
るのかもしれません。
初め、己の心を慰めるために彼が試したことは、毎日一行だけ、その日にあった「楽し
かった事」を書きとめたそうです。年月がたって、それでは効き目がなくなり、「悲
しかった事」を書き留めるようになり、最近ではそれにも飽きて、今度は「ありがた
かった事」、を日々書いているとか。。。続かないので、たったの、一行日記です。
これは面白いので、私も試してみようか、と思いました。
五木寛之は、作家としても十分に成功していたのに、なぜうつ病になったのだろうか。
人間の欲が、果てしもないものだから? 周囲が称賛してくれても、おそらく自分自
身が納得してはいないのだ。あれほどの才能と幸運を背負った人であっても、心はい
つも何かを探し求め、何かを渇望して、せめぎあっていたということだろうか。
人間とは、そういう懊悩を抱えて生きねばならない、運命性があるのかもしれません。
彼が語るには、鬱を隠したり、否定してはいけないということ。鬱を肯定することが
大事だと。鬱とは、「鬱蒼と木が繁茂した森」などという表現に使われるように、生き
るエネルギーが、ふんだんにある状態なのだという。
「私はもっと強く、より良く生きたい」、と叫んででもいるかのような。。。鬱であ
ることは、現代に生きる人間としては、ある意味”正常”なのではないだろうか、と。
私は、うつ病ではないようですが、かつて「うつ状態」が長く続いていました。あるいは、
「鬱気質」のような、元々からある体質的なものがあるのでしょう。
ブログには、楽しいことだけを書くべきだ、と思われる向きがあるのは知っています。
もうすでに、引かれているかもしれませんが、ごめんなさい(笑)あと少し、辛抱し
てください。
私は、「うつ病」だからといって、そのなかにドップリ浸かっている人に、用はありま
せん。そこから、脱出しようとして試行錯誤、奮闘努力している人たちがたくさんいら
っしゃるはず、と思っています。
そんな人たちと共に、優しく心を寄り添わせて、回復する手がかりを探していくのが、
私がブログを始めた理由の、ひとつでもありました。
今、できることを精一杯やる。少しばかり先を見ながら・・・。「鬱と一緒に生きる」そ
んなふうに、来年からのことを考えています。「うつ状態」であっても、特別に恥じる
必要などはないのだ、と最近は思えるようになってきました。
このような重いテーマを、辛抱して読んでくださった優しいアナタ、ありがとうござい
ました。次は、笑えるお話にしたい、と思っていますから、どうぞヨロシクです(笑)

(今日の山々、白い遠景)
日記@BlogRanking




↑ ↑
(50代日記と栃木県民日記




ぜんぜん、知りませんでした。
線の細い方が、
なりやすいと聞いたことがあるような気がしますが、
家は夫婦そろって、おデブさん。
そうした心配は、なさそうです。
といっても、お互い、
若い頃はガリガリだったのですが・・・^^
笑える話、期待してますね。^^
ユウウツとは心配ごとがあって気が晴れない状態・・・
人間なら誰にでもあります。
楽しいことがあって心配なことがあって、それが人生です。生まれた時から持っています。
この感情がなければ人間ではありません。
どんな心配事も必ず解決策があります。
それを見つけるまでが「ウツ」でしょうね。
ウツをたくさん経験すると豊かになるようです。
但し、その中にいつまでもどっぷり浸かっていてはいけません。
もうすぐ、今年も終ります。
嫌なことはさらりと忘れて新しい年を迎えましょう。
私も、術後(肺癌)に亡き愛犬ジュニアの事を、
想っては悲しんで少し鬱になりました。
外科の先生に、「一度精神科で診てもらう」と、
言われて・・・あぁ~、俺、鬱病か、なぁ~と。
私よりも、とても辛くって大きな悲しみを体験した
トーコさんだから、鬱に一時期なっても当り前です。
ブログは、楽しい事だけでなくても良いと思います。
悲しい事・辛い事・色々と今後も書いてください。
人生、言ったり、書いたりで楽しく生きて行こう。
お互い何事もプラス思考で行こうネ。
線が細い!ええ、細いのですが、それなりに強かかも?(笑)
drkoontzさん、ぜんぜん太ってなどいないではありませんか。ご夫婦揃って、健康体。羨ましいですよ~
次は何を聞かせてくださるのか、楽しみです。頑張ってください!
私の方は「何ごとも、だいたいで!」でいきますから。コメント、ありがとうございました
いわゆる、考え込む性格なのだろうと思います。だから、それが良くない、とは思わないのです。
ブログひとつとっても、感じ方や受け止め方は、それぞれ違っています。そんなことで、目からウロコ的なこともあります。みんな違っているから、バランスが取れているのでしょう。
”賢兄”山小屋さんの叱咤激励のコメント、私にとってはありがたいものです。今日のコメントも、ありがとうございました
ブログを始めて良かったことは、周囲の自然や、たまたま目に飛び込んでくる情報が、鮮明になってきたということがあります。
見えているのに見ていなかったり、聴こえているのに聴いていなかった自分を、今、反芻しています
違う立場や、違うものの考え方をする人がいることを、実感して、ちょっと感動したりしています。
良くも悪くも、すべて「縁」だと思います。一味さんとも、ブログが縁で知り合えて、本当に良かったです
心優しいコメント、ありがとうございました