信長はそれを見て“やはり”と思ったが
「いや、答えるには及ばぬ。蝮殿でなくとも、この乱戦の世を生き抜く武将ならば誰でもそうするであろうからな」
微笑を浮かべ、理解のあるところを見せた。激光生髮帽
「じゃがそちは、刃はおろか針一本も持ち込まなんだ。
大うつけと呼ばれるこの儂に、身一つで挑むつもりだったのか?」
濃姫は答えず、ただ気まずそうに俯いた。
「答えとうないか。はははは、まぁ良い。どちらにしろそなたは大したおなごじゃ」
愉快そうに笑う信長を見て、濃姫は顔を強張らせながらも、密かに溜飲を下ろしていた。
もしも短刀を忘れずにこの場に持って来ていたら…
もしも信長の訪れが遅れ、短刀を取りに戻る時間があったら…
きっと自分は間違いなく美濃の諜者と警戒され、最悪命の危険に曝されていたであろう。
とても運が良かった──
と、濃姫は改めて短刀が手元にないことに感謝していた。
すると、信長は寝間着の裾を捌いて立ち上がり
「今宵はよう休め」
と姫に告げ、そのまま寝所の出入口へと歩を進めた。
濃姫は驚いて「もし!」と、信長の背に向かって叫んだ。
「どちらに参られるのです!?」
「儂は別で休む。そちはここで寝よ」
「何を申されまする!今宵は…」
「そなた、何か勘違いをしておるようじゃな」
信長は踵を返し、姫の言葉を遮るように言った。
「確かに儂は、そなたの度胸と覚悟は認めた。だがそれだけじゃ。
そなたに心を許した訳ではない」
濃姫は思わず眉をひそめた。
「儂と閨を共にしたくば、儂が信ずるに値するおなごになれ、お濃。
儂が気を許せると思えるおなごにな」
「…信長様…」
「それまで儂らは真の夫婦(めおと)ではない。よう覚えておけ」
そう言い置くと、信長はドタドタと足音を響かせながら寝所から出て行った。
濃姫はそれを唖然とした表情で見送ると、へなへなとその場に座り込んだ。
「──殿!いずこへ参られまする!?」
「──今宵は独りで寝る!付いて来るでない!」
「──なりませぬ殿、今宵は初夜なのですよ! …お待ち下さいませ!殿!」
部屋の外から信長を止める侍女たちの声が聞こえてくる。
暫し濃姫はそれに黙って耳を傾けていた。
が、ややあって目を見開くと、何かに突き動かされるように自身も寝所から出て行った。
前を見据え、足早に廊下を行く濃姫に
「まあ!姫君様までどちらへ」
「お戻り下さいませ!」
と、控えていた女たちが口々に叫んだが、姫はまるで聞かなかった。
濃姫はそのまま自分の御座所へ戻ると、居間の襖を開き、スルリと中に身を滑らせた。
「──姫様!まぁまぁ、いったいどうなされたのです!?」
居間の隅で調度品の整理をしていた三保野が、何事かといった風情で主人の帰宅を出迎える。
「信長殿が寝所から出て行かれた故、私も戻って参った」
「何と…!」
「夫の居ぬ夫婦の寝所に、私だけが居続けても仕方がないからのう」
濃姫は軽く息を吐(つ)くと、部屋の上座に進み、金襴縁取りの茵の上に腰を下ろした。
「しかし、信長様は何故の理由でご退出を !?」
訊きながら三保野は、足早に姫の御前に控える。
「私がまだ、信ずるに値するおなごではないからじゃそうな」
「 ? 」
「私があのお方にとって、気の許せるおなごになれば同衾して下さると言うておった」
淡々と語る姫の前で、三保野は戸惑いがちに首を傾げた。
「三保野には皆目わかりませぬ。信長様は何故にそのようなことを?」
「さぁのう。…なれど、敵の多いお方じゃ。おなごでもおのこでも、信頼の置ける者でなければ寄せ付けぬお人なのやもしれぬ」
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