──あの日、皆と見た京で身を立てる夢。
私は先に降りてしまうけれど
悔いはないのです。
決して楽な人生ではなかったけれど
悔いはないのです。
藥性子宮環 心残りがあるとすれば
おさと、貴女を遺していってしまうこと
勝手な男で済みませんでした。
我儘を一つだけ申しても良いのなら
最期の夢は貴女と笑い合う夢が見たい───
まるで椿の花が風に揺れて落ちるように、介錯人の沖田は山南の首を寸分の狂いも無く落とす。
それは見ていた誰もが涙するような、立派な切腹だった。
啜り泣く声が何処からともなく聞こえてくる。
山南の最期の表情は柔和に微笑んでいた。まるで幸せな夢を見ているかのようなそれだったという。
山南敬助齢三十二脱走の罪により切腹。山南の首を落とした後、沖田は呆然と立ち尽くしていた。
まるで時が止まってしまったかのように、息をすることも忘れてその首を見詰める。
「……沖田さん」
介添人として控えていた斎藤が沖田の肩をそっと叩いた。その瞬間、沖田は気付くように息を吸った。
胸元に手を当てて大きく咳き込む。乾いた嫌な咳だった。
斎藤が背を摩ろうとするのを手で制し、血の付いた刀を押し付けると部屋から走って出て行く。
誰かの呼ぶ声が聞こえた気がしたが、全く気に止める余裕は無かった。
弔うように静かに降り続く雪の中を、裸足で庭に降りる。心を堰き止めていた思いが、腹の底から掻き立てるようにせり上がってきた。
手で口元を覆い、ふらふらと門を潜る。
とにかく一人になりたかった。足先の体温が奪われていくことなんて気にもならない。
沖田はそのまま壬生寺の前まで歩いた。雪化粧に包まれているが、顔を上げれば優しい兄と子どもたちと共に遊んだ記憶が次々と浮かぶ。
顔を歪めて肩を揺らした。込み上げてきたのは、と熱い涙である。
「山南、さん…。山南さん……ッ」
名を呼ぶが、もう山南はこの世には居ない。
先程自分で首を切り落としたのだ。
ぽろぽろと涙が首元まで伝い、冷気に晒されたそれは沖田の体温を奪っていく。
沖田は初めて人を斬って泣いた。新撰組の為、近藤の為だからと感情を殺して人を殺めてきた。そしてこれからもそうすることでしか生きられないのだろう。
人を斬るということがこの様にも苦しく、重たいということに今更気付いた自分が嫌になった。
雪を踏み締め、式台まで歩く。足の裏は霜焼けになってしまうのでは無いかと言う程、真っ赤になっていた。その頃、桜司郎は山野や馬越らのいる平隊士の部屋にいた。
「山南総長…何故脱走なんてしたんだろうな」
山野は天井を仰ぎながら呟く。
平隊士は切腹に立ち会えず、脱走の理由すら知らされていない。その為、憶測だけが走っていた。
「土方副長の陰謀説もあるんやろ?」
「仲悪そうだったからな。昔からの仲間だというのに、腹を切らせんのかよ…。容赦ないよな。まさに鬼副長だ」
そこへ比較的最近入隊したばかりの隊士数名が話に入ってくる。根も葉もない噂話に花だけが咲いていく。
土方がと山南の立場を悪くしたとか、山南の人徳に嫉妬したとか。沖田も優しそうに見えて、冷酷だとか。
「や、止めましょうよ…。根拠の無い話は」
「そうだぜ。俺らには分からない事だってあるだろうよ」
馬越と山野が隊士達を諌めるが、全く聞く耳を持っていない。
それを黙って聞いていた桜司郎だったが、やがて我慢が出来ずに立ち上がった。
それに驚いたように山野と馬越が桜司郎を見上げる。
「副長は、沖田先生はその様な方では無いです…。昔からの仲間が切腹するんですよ、悲しくない訳が無いじゃないですか!」
その脳裏には苦悩に苛まれる土方や、脱走を知った時の呆然とした沖田の表情が浮かんだ。
彼らはそれを知らないとは云え、その覚悟が馬鹿にされた気がして嫌だった。
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