『 これならば短時間で何発もの弾を撃つことが出来る──。殿…やはり只者ではない 』
最初のやり方にも驚いた濃姫だったが、こちらの方法にはもっと驚かされた。
これほど優れた才能を持つ信長が、皆には大うつけに見えていようとは…。
濃姫は、一つのことに熱中し過ぎる自分の性分を、これまで何度となく母や侍女たちに注意されて来たが、
今度ほど、このような性分に生まれて来たことに感謝したことはなかった。
おかげで、賢き夫を見た目だけで判断するような、本当のうつけにならずに済んだのである。
やはり自分の目で確かめないことには、真実など見えてこないのだと、濃姫は改めて実感させられていた。植髮
その後 信長は、野駆けをしたり川で泳いだり、森や林で狩りをするなど、いつも通りの行動をとっていたが、
そんな、ただ遊んでいるように見える光景を目にしても、濃姫は少しも表情を歪めなかった。
これらの行動が、戦への備えだと考えれば全て納得がいくからだ。
「三保野。我が夫はそこらの大名たちよりも、随分と仕事熱心なお方のようじゃぞ」
「え…?」
「殿がなさっている毎日の野駆けは、尾張の地形調べを兼ねた馬の訓練。
川遊びは、戦の際に敵、またはこちらが川を渡る時に備えて、川の長さや深さを事前に知っておく為だったようじゃ」
「…まさかそんな…」
三保野は思わず、森の中で兎を追いかけている信長に目をやった。
「くそ!ちょこまかと動きおって!今に見ておれ、この信長が必ずやぬしを射抜いてみせるぞっ」
弓を構える信長は、必死ながらも、どこか愉しげな微笑を湛えながら森を駆け抜けてゆく。
三保野にはどう見ても“かぶき者”と言わんばかりの形(なり)をした若者が、無邪気に小動物を追い駆け回しているようにしか見えない。
「…あれも、戦への備えだと言われるのですか?」
三保野は、思わず指をさして訊ねた。
「そうじゃ。戦場(いくさば)で正確に敵を射るためのな」
「されど姫様、弓の稽古ならば、わざわざ森などに来なくとも出来ましょうに。
的(まと)を使っての稽古ならば、城内で幾らでも──」
三保野の言葉を聞いて、濃姫はふふっと上品に笑った。
「そなた、戦場で闘う武士たちが、弓矢の的のようにジッとしていると思うのか?」
「あ…」
「兎も猪も、森の生き物たちは皆、殿の前では戦場の敵となるのじゃ。少なくとも訓練中はな」
濃姫はどこか得意になって言うと、やおら踵を返し、元来た道を戻り始めた。
「姫様、いずこへ !?」
「寺へ戻る。これだけ見ればもう十分です」
そう言って如何(いか)にも満足気な表情を浮かべると
「それに何やら雲行きが怪しい…。天気が崩れる前に帰らねば」
濃姫は天候を気にしつつ、三保野とお菜津を連れて、速やかに萬松寺へ戻っていった。
濃姫一行が那古屋城に帰って来た頃には、時刻は夕七つ刻(16時)をとっくに過ぎていた。
朝の五つ半に城を出たのだから、普通の参詣ならば、正午には城に戻って来ていてもおかしくないはずである。
しかしもう既に夕方──。
「姫様、如何致すおつもりです? 御老女の千代山様に、こんな時刻になるまで戻らなかった理由を訊ねられたら」
三保野は奥御殿の廊下を歩きながら、不安そうな面持ちで姫に訊ねた。
「その時はその時じゃ。和尚様との話が思いの外(ほか)長引いて…とか何とか言えば良い」