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宇宙の片隅で

日記や「趣味の情報」を書く

2つの命題

2012-10-22 18:39:59 | その他

「科学的命題」と「価値的命題」

 ~安斎育郎氏(学者)の講演から~

 ・・・そこで、科学と宗教のかかわりなどについて考える
上でも、・・考えてみたいんですね。
「私たちは人生で2種類の命題を扱う」と書いてあります。
 命題というのは、私たちの判断を文章とか式とかで表現
したもの、それを命題と言うんですね。

 人生の上で出会う命題には大きく分けて2種類あるだろう
というので、ここでは「科学的命題あるいは客観的命題」と
言ってもいい。

 いっぽう「価値的命題あるいは主観的命題と言ってもいい」
だろうというので、その二つに分けてあるんですね。

 「科学的命題群」というのは、その命題が正しいか正しく
ないかということを客観的に決めることができるような命題
であります。例を考えてみれば「直径に円周率をかければ、
円周の長さを計算できる」。これは客観的に決められるでし
ょう。
 それはもう、正しいか正しくないかということを客観的に
判定することができる。
 こういう事実と照らし合わせて正しいか正しくないかとい
うことを決めるような問題は「科学的命題群」と呼ばれるわ
けで、そういうことだけだったならば、この世の中は割に簡
単で、事実に照らして合っているかどうかが判定基準だとい
うなら・・・。

 ところが、世の中には「価値的命題群」というのがあって、
その命題の真偽、正しいか正しくないかということが価値観
に依存するために、一義的に正しいとか正しくないとか決め
られないような命題群が山ほどあるんですね。
 「ピカソの絵は非常にすばらしい」というのは、僕はYESと
答える・・、僕の友達には、どこがいいんだと言っている人
はごまんといますからね。
 これは、どういう絵に価値を見出し、どういう絵に価値を
見出さないかという価値の選択の問題であって、一人ひとり
違って構わないわけでしょう。
 こういうのはまさに「価値的命題」ですね。

 「核兵器は廃絶されるべきである」。僕はYESと答えるけ
れども、アメリカのブッシュ大統領はNOと答えますね。
 アメリカは核兵器を持ち、その抑止力によって戦争を抑
えつけることこそが意味のあることなんだから、核兵器の
存在に価値を見出しているんですね。
 だから、科学から答えが一義的に出てくるのではなくて、
その存在に価値を認めるか認めないかという、その人の判断
によって正しいと思うか正しくないと思うかが違ってくるん
ですよね。

参照URL:
www.city.setagaya.tokyo.jp/kiki/taisakuhonnbu/sinpo/kouen.html

【シンプルで重要なこと】
 「科学的命題」と「価値的命題」とがある、という安斎育郎氏の分析・見識は、忘れがちだが、シンプルかつ重要な指摘だと思う。
 たしかに「価値的命題」は、1人1人違って当然なんだろう。”歩んできた道”も違えば、”日常の現実”も1人1人異なるのだから。
 そうならば、「価値的命題」について語るのは、貴重な体験・教訓的経験話を除けば、あまり意味がないのではないか。
 そこで、好むと好まざるに関わらず使っている「価値的命題」より、「科学的命題」(じっくり考える方面)に自分としては関心が向くのです。

日本人論

2012-10-13 15:22:52 | その他
 学問に「比較文化人類学」という分野があり、それに気付かせて
くれたのが山本七平氏(父は、内村鑑三の一番弟子)だった。

 私は「私の中の日本軍」はじめ、彼の著作本をほとんど読んだが、
そのなかから一つ抜粋・引用したい。

■「日本資本主義の精神」山本七平著
《まえがき》から抜粋、以下

 本書が成立した経緯を記しておきたい。
・・・、日本的特質を、日本人自身が自覚していない、という彼ら
(外国の友人)の指摘であった。
 彼らはもはや「日本人はモノマネがうまいだけ・・・」などとは
考えていない。
 だが日本人自身がそう考えているためか、明治における発展で
あれ、戦後の経済的成長であれ、「なぜそうなったか」を把握して
おらず、外部に説明しえない状態である。いわば、「何だかわから
ないが、こうなってしまった」のである。
  もちろん、その「ノウ・ハウ」を外部に説明する必要はない。
 ただこの状態は、自己がそれによって行動している基準を、自ら
自覚していないことであり、言葉をかえれば、伝統に無自覚に呪縛
されている状態である。
 私はこれが最も大きな問題であると考えている。

 というのは、長所とは裏返せば短所であり、美点は同時に欠点で
ある。
 このことは、日本に発展をもたらした要因はそのまま、日本を破
綻させる要因であり、無自覚にこれに呪縛されていることは、
「何だかわからないが、こうなってしまった」という発展をもたら
すが、同時に「何だかわからないが、こうなってしまった」という
破綻をも、もたらしうる。

 明治のこの無自覚状態は、太平洋戦争に帰結している。

 一度の失敗は許されても、二度の失敗は許されない。
 したがって、いま必要なことは、この「呪縛」の対象を分析して、
再把握して、自らそれを統御することである。
 それを外部に説明する必要はないが、要請されればそれができる
ように、各人が明確な自己を把握して、自らを統御することは必要
である。
 それは国家に要請されるだけではなく、企業にも、個人にも要請
される。
 本書は、それを行なうための一提案であり、いわば視点の提供で
ある。


 ※「山本学」と呼ばれ、一つの分野として分類されるまでになっ
た彼の著作群は、一級の「日本人論」として貫かれていると、私自
身も考えている。

解明困難な真相もある

2012-10-08 10:39:16 | 考察

【現象と真相】・・・解明困難な真相もある。

 我々には、結果としての【現象】は目にすることは出来る。
だが、そこに働いた【力】を目にすることは出来ないし、
理解することもむずかしい。

 たとえば、或る人間の行動を【現象】として見ることは出来
ても、その人間のその時点の内面【知・情・意】を知ることは
容易ではないだろう。

 これが社会や国家(個人の寄り集まり)の大きなうねり・動
きとなれば、さらに混迷をきわめる。


 むしろ個人なら、その人間に行動・作為の動機なり、働いた
【力】(プラス要素・要因)、遠慮・不作為を招いた【影響力】
(マイナス要素・要因)なりを正直に告白(言語化)してもら
えば、それなりに理解することが可能かもしれない。

 しかし、社会や国家ともなれば、所属する個人個人の内面
【知・情・意】が異なるゆえに、『なぜ、あの時そうした・
そうなった』を明瞭に説明することが、非常に困難になるの
ではないか。

 これは過去の歴史においても、現在、どこかの国家がとる諸々
の政策についてもいえるのではないだろうか。→ 場合によって
は、永遠に真相不可知。

究極の哲学、思想

2012-10-03 20:31:17 | 考察

■究極の哲学、思想と考えられそうなのは・・・

ニーチェ・・・「少数者による、多数者に対する精神的支配」を暴いた

マルクス・・・「少数者による、多数者に対する経済的支配」を暴いた


 ・・・上記のことは、

 人類(知的生命)が、この地球上に誕生したのが、宇宙史上で初めて
ではないにしても。
 つまり・・・

(1)過去にもこの宇宙のどこかで誕生していたが、その後「滅亡」したか

(2)いまの地球上の人類(科学者たち)がそうしようと考えているように、
住処(すみか)を替え(太陽系または別の恒星系の惑星に移住して)、
その後裔を残しているとしても

(3)そして、仮りに、それが今地球に存在する人類だったとしても

 ニーチェやマルクスが考えた考察(哲学)が生まれる可能性は充分
考えられる。
 彼らの提唱・学説が、それほどに【普遍的】だと思われるからである。