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宇宙の片隅で

日記や「趣味の情報」を書く

太陽系の惑星

2013-10-08 09:56:13 | 宇宙
 科学に興味を持ち出したのは、高校の頃、「人ひとりの血管の長さは地球の2周半」と知った時から。

■太陽
 中心部における原子核反応のエネルギーで発光する、恒星の一つ。
 太陽の質量は、太陽系(the solar system)全体の99.9%を占める。
地球からの距離は、1億5000万Km。質量は、地球の33万倍。直径は、地球の109倍。表面の温度は、6000度(この温度だと黄色く見える)

■太陽系惑星
 太陽に近い順に、岩石状惑星の水星・金星・地球、火星が、さらにガス状惑星の木星、土星、天王星、海王星、冥王星。(海王星と冥王星は、楕円軌道をとるため周期によって入れ替わる)
 
●水星:マーキュリー
 質量は地球の18分の1、直径4800Km、太陽との距離は4600万Km~7000万Km(楕円軌道のため)、88日で太陽を公転。

●金星:ビーナス
 質量は地球の80%、直径は地球よりわずかに小さく、太陽との距離は1億821万Km、225日で太陽を公転。

●地球:アース
 質量は、直径は1万2756Km、太陽との距離は1億4960万Km、365日で太陽を公転。自転周期は24時間、衛星は月(ムーン)1個。

●火星:マース
 質量は地球の10分の1、直径は地球の2分の1、太陽との距離は2億2700万Km、687日で太陽を公転。自転周期は24時間37分。

●木星:ジュピター
 質量は地球の318倍、直径は地球の11倍、11.86年かけて太陽を公転。自転周期は10時間と早い、衛星16個以上。

●土星:サタン
 質量は地球の95倍、直径は地球の9.4倍、29年167日かけて太陽を公転。衛星17個以上。

●天王星
 質量は地球の14.5倍、太陽との距離は28億7000万Km、84年かけて太陽を公転。衛星10数個。

●海王星:ネプチューン
 質量は地球の17倍、太陽との距離は45億Km、165年かけて太陽を公転。衛星8個。

●冥王星:プルート
 質量は地球の500分の1、太陽との距離は44億4000万Km~73億9000万Km(楕円軌道は海王星の内側に入ることもある)、248年かけて太陽を公転。自転周期は6日と9時間、衛星1個。

 4つの岩石状惑星の3大元素は、水、二酸化炭素、窒素であるが、金星の「水」は太陽熱のためにガス化し、地球では液体で存在、火星では低温のため氷と化している。
 

※最近、地球から20光年の距離に、水と空気(酸素)を有する惑星が発見された。
そこに移住するには、光速度のロケットでも20年かかる。
 将来、光速度が無理なら、何世代もかけて出発する必要に迫られることがあるかもしれない。クローン技術ばかりでなく、未来の科学技術を使って・・・。
 その場合、「ノアの箱舟」のように、ごく限られた・選ばれた者だけになるだろう。

私の「虚実の哲学」-1-

2013-10-08 09:50:18 | 宇宙

 言語は、それを共有(使用)する国民や民族の共通認識を補完し、コミニュケーションをとるための「優れた人工物」といえる。

 それは、具体的な「自然物」や「人工物」の《名前》、あるいは人間(を含むおもに動物)の《行動》を表わすツールとして、諸民族が祖先から受け継いできた”文化財”だといえる。

 言語はしかし、具体的に目にすることが出来る事物以外にも、概念やルールなど、人が作り上げた《抽象的なもの》も表わす。

■「虚・実」という言葉をシンプルかつ実用的に考察すると・・・

 この言葉は、様々な国家においても、現在・過去における哲学者間においても、科学が発展中の現代の個人間においても、その意味が統一されているとは言いがたい。

 事実や現実は、人間生活において実際に起こった出来事ながら、「宇宙空間や星々の存在」=「真実」と比べると・・・。

 約38億年前、生命の誕生環境が地球に整のい、長い年月をへて単細胞生命体~多細胞生命体~海から陸へ~略~哺乳類~その一種であるヒト科の誕生まで。

 ヒト科の誕生は、生物史だか地球史を一年とすれば、12月31日午後11時59分最終秒に近いのだという。

 原始人類は別にしても、ここ2~3世紀で科学が発展中の現代文明のヒト科は、「地球の支配者(的存在)」だと、あえて意識することもなく暮らしている。

■がしかし、一つの疑問が・・・。

 はたして生命体の誕生は、「宇宙空間と星々の存在」の予定に含まれていたのか。

  いま、地球では人類が存在している。もっと知的高等生物がどこかの星にいるかも知れない。それはそれで構わない。

 人類や彼らが出来ることといえば、せいぜい自分たちが棲む惑星を(地球では核兵器で何万回も)破壊できても、「宇宙」に対しては何の力も持ちあわせてはいない。

 このあまりにも短命で微々たる「生命体」というものは、広大な天文学的時間・空間の「宇宙」にとって、痛くも痒くもない存在なのだ、と。

 そこで、こんな儚い寿命の「生物」のことを、【虚】と呼べば色々なことがシンプルに見えてくるのでは、と言いたいわけだ。

 ※【虚】だから価値がないとかあるとか、の次元ではなく。

私の「虚実の哲学」-2-

2013-10-08 09:49:40 | 宇宙

 地球は、太陽の寿命(約50億年後といわれる)までには、いやでも消えてなくなる運命である。
 それどころか3億年後には、隣のアンドロメダ銀河と衝突すると予測する科学者もいる。

 そもそも生命体に、どんな存在価値・存在理由があるというのだろうか。
 植物は動物の食糧として、動・植物は人間の食糧として存在するのだという”教育”もあるにはあるが・・・。

 はかない寿命しかなく、生活に精一杯の人をのぞけば、強欲なまでに”金儲け”に奔走する、お金のためなら人殺しまでやってのける、およそ高邁な理想など持ちあわせない不良生物、そんな目的も目標も持たないモラルなき人類にどんな存在価値・存在理由があるというのか。

 ハッキリ言って、宇宙の虫けら、それもかなりの害虫なのではないか。
 「宇宙の存在」は、紛いようのない「真実」と認めるけれども、生命の(端的に言えば人類の)誕生以前から存在し、その滅亡ののちまで存在するであろう宇宙の存在を【実】(真実)と呼ぶならば、生物(生命体)は【虚】と呼ぶのが似つかわしい。

 地球上の出来事には、フィクションを含んだ「事実」や「現実」、その数だけ真相もあるわけだが、「真理」や「真実」などというものは無いのだと言いたいのである。
 おのおのの生命体(存在)は、自己以外は、相対的な存在でしかないからだ。

 地球上の出来事は、自然現象をのぞけば、生命体【虚】が織りなす「事実」・「現実」であり、そのなかに、善悪を問わず、”本当のこと”もあれば”フィクション”もあると。(ただし、「フィクション=悪」とは限らない)

 また、別の視点から見れば、地球上には「自然物」と「人工物」があると。

■『人工物』とは(作成物、あるいはフィクション)・・・
 人類が作りだした「3次元的人工物」を「虚が作り出した実(立体)」という意味で【虚の実】(*1)と呼び、「2次元的人工物」は【虚の虚】(*2)と呼べるのではないか。

 *1 ⇒【虚の実】(衣食住関連)
 建築物・自動車・衣類・人工食品・家具・テレビ・道路・鉄道・ライフライン・機械・コンピューター(ハードウェア)etc。

 *2 ⇒【虚の虚】(思考関連)
  音楽・絵画・文学・映画・学問・宗教・哲学・思想・法律・ルール・コンピューター(ソフトウェア)etc。⇒特徴は、紙・磁気テープ・ハードディスクなど記録媒体に残せるもの。


■『自然物』とは・・・、
 上記の「人工物」以外の物質(人および動物・植物・鉱物)。

私の「虚実の哲学」-3-

2013-10-08 09:40:44 | 宇宙

 「宇宙空間と星々」の存在は、生命体の”存在の有無”に関わらず「真実」なので【実】、生命体のほうを【虚】だと書いてきた。

 宇宙の天文学的寿命に比べて、あまりにも儚い寿命しかないからだと、また、宇宙にとっても、生命体が居ようと居まいとどうでもよい存在だからだ、とも。

 人間は、科学すらない昔から、好奇心の強い生き物であったようだ。
 哲学者たちは、人間とその廻りの世界について、いろいろな解釈を考えてきた。

 科学がようやく発展し出した(原子の発見は20世紀)現代、哲学者にかわって科学者がそれを追求している。

 110個ほどの原子や、分子を使って多くの人工物を作りだしたのは、人類が、地球上では、最初だろう。

 もし、どこかの星に知的高等生物がいれば、化学の「周期表」・10進法ではないかも知れないが「数学」・原子に電荷がある以上、電子を使ったエネルギーやコンピューターの原理を発明・利用しているかもしれない、そんな生命体がいても不思議ではない。

 なぜなら、宇宙に遍在する材料(原子・分子)で、地球に現に生命体がいるのだから。 → われわれ地球人がすでに「宇宙人」なのだから。

 将来(人類が、そのときまで居れば)、それら高等生物と有志連合を組むか・争うか、出逢う可能性自体きわめて低いにせよ、拠って立つところの「宇宙」そのものに盾突くことは出来ない。

 生命体という「虚」は、いくつ集まっても「虚」でしかない。
【実】である宇宙に対して、どうこう出来ないだろう。

 「虚」である人類は、今後も原子・分子を組み合わせてみては、3次元的人工物(虚の実)を作り続けるだろう。

 また、2次元的人工物(虚の虚)も作り続けるだろう。→映画・音楽、その他いろいろ(楽しみ)も。

 もし各時代の人類に課せられる事があるとすれば、それは、平和で公平な社会、ひいては世界(地球)をめざし、科学を発展させながら、自滅の道だけは避けなければならない事ぐらいではないか。

 あるいは、格差をなくす事は無理な話で、それよりは弱肉強食で自然淘汰してゆき、強い者だけが生き残っていけばよい、という考えかたをするグループがいても不思議ではない。

 それでも残る疑問、そもそも《一体、何のために?》

宇宙の広さ

2012-12-21 18:29:24 | 宇宙


 宇宙は「ビッグ・バン」から、137億年ぐらい経ったのではないか、という仮説がある。

 そのむかし、「天動説」が常識の時代に「地動説」を唱えたコペルニクスは勇気がいったろう。
 実際、なかなか「地動説」は認められなかった。

 いまの科学で「地動説」が正しいか、それも違う。

 いわゆる「地動説」とは、地球などの惑星は、太陽を中心にその廻りを回わっている「太陽中心説」だから。
 
 宇宙の中心がどこだか解かっていないし、解かる保証もないが、「地動説」で宇宙の中心とされた【太陽】は、「太陽系(the solar system)」の99.9%の質量を占め、我が銀河(縦2万光年、横10万光年の円盤状;なお縦・横と書いたのは便宜上)、の辺境(7:3)の位置にある。

 地球(を含む惑星)は、太陽の周りを回りながら、わが銀河(中心にはブラックホールがあるといわれている)それを中心に、2億5000万年掛けて回っている。
 つまり地球は、太陽を中心に「メリーゴーランド」のように回っているのではなく、わが銀河自体回転しているので、ブラックホールを中心にして地球は「コーヒーカップ」のように回っている。

 だから地球は、1年たてば、去年と同じ空間を飛行しているのではない。


 我が【銀河】には、太陽のように核融合しながら自ら光を放つ「恒星」(*)が1500億個あり、さらに、そんな【銀河】が宇宙には1500億個あるという。
 (*)恒星は「star」、惑星は「planet」

 地球大気圏外のハッブル望遠鏡で見える一番遠い星(実は銀河)は、137億光年の彼方にあるそうだ。
 その光は137億年前に発せられた光で「今でもその場所に存在するかどうか」は解からない。

 その観測上もっとも遠い銀河の放つ光(ビッグバン?)は、360度四方八方に向かっているはずだ。

 ということは、宇宙空間はもっと広い可能性がある、と私は考えている。

 その銀河が宇宙の向こうの果てで、わが銀河が宇宙のこちらの果てとは限らない。
 もちろん、137億光年は今のハッブル望遠鏡で観測できる限度ということで、より精度が高い観測法が見つかれば、別の話になるかもしれない。
 
■もし、光速で行けるとして

 地球から1億光年離れた銀河から届いた光は、1億年前の光で「今はどうなっているか」知るすべがない。
 知るためにそこまで【光速】ロケット(?)で出かけたとして、1億年かかる。
 だから、最初に見た(観測した)ときの2億年後の姿を、現地で見ることになる。

 かりに知的生命体がいて優秀な望遠鏡で、地球を見たとする。
 地球という惑星も太陽も見えないが「わが銀河」が見えたとする。

 1億年前の「わが銀河」、その頃の地球は「恐竜の時代」である。
 恐竜は、一般的な説を鵜呑みにすると、1億6000万年間存在し今から6500万年前に絶滅したといわれているので、恐竜絶滅まで3500万年残す時点の地球ということになる。

 1億(光)年の距離といい、時間の長さは”桁ちがいの世界”で、「光速と同じスピードの乗り物」で来たとしても(飛行に1億年かかるから)、観測した時点から2億年後の地球(地球上では、21世紀の1億年後、つまり西暦100万21世紀)に来ることになる。 
 
 人類の祖先が誕生して数百万年だから、1億年後には、さすがに地球上に人類はいないと予想できる。

 そうでなくても、もっとも近い【アンドロメダ銀河】と我が【銀河】は、毎秒120Kmの速度で近づいていて、3億年後には衝突すると予測するアメリカの科学者がいる、のはこのブログで以前にも書いた。