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宇宙の片隅で

日記や「趣味の情報」を書く

現実と心とルービックキューブ

2022-02-01 13:49:06 | 名言など
 人の心は、身の回りの現実で起こる出来事によって、大小の違いはあってもその「影響」を受ける。

 なかには、かなり酷い現実・出来事に遭って、心がバラバラになって傷つき、癒されることなくトラウマになり、終生、傷跡として残る場合もあるかもしれない。
 そこまでいかなくても、現実に起こる出来事や事象が、人に喜びや悲しみ、苦しみを与え、心を動かし震わす原因になっているのは容易に察しがつく。

 そしてこの、かき乱された心のさまが、よく混ぜられバラバラになったルービックキューブのさまに似ている。
 元に戻せそうな軽い程度の乱れもあれば、回復不能にみえる複雑なものまで。

「キューブの達人」があれよという間に6面揃える早業をみせるように、「人生の達人(僧侶?)」なら、「心の乱れ」を早業で収拾してみせるかもしれない。それも修行の錬度でその素早さに差が出ることはあっても。

 そもそも、達人中の達人”神、仏”級の存在なら、ルービックキューブの1面さえも(心が)乱れることなど始めからないのかもしれない。

 ルービックの解法を知らない凡人には、キューブを元に戻すことはほぼ無理だが、不思議なことに心の傷や乱れは、時間がたてばいつのまにか回復していることがある。

 良くも悪くも現実に反応する「心」、時に厄介な状況を招いたりするが、そのあと時間差はあってもバックアップ的存在としての「脳」に、傷ついた心を修復するシステムがあるのかもしれない。

自我・超自我・エス

2022-01-09 18:38:40 | 名言など
 ユーチューブのあるセミナーで、解剖学者の養老先生が「人は、決して一人ではない」と語っていた。
 「人には左右の脳があって、右脳では実行したいと望む働きがあるが、逆に左脳ではそれを実行したくないという働きがある」というのだ。

 脳に損傷を受け、後遺症が残る患者の実験で、出かけるために本人は靴下を履こうとするが、なかなか履けない。時間がとてもかかる。 それもそのはずで、右脳では出かけたいから靴下を履こうとするが、左脳がそれ(外出)を拒絶するため、手の動きが相反するというのだ。
 そういう意味で「人は一人ではない、少なくとも二人はいる」と、冗談半分で語っていた。

 これを心理学上の「自我(五感を具えた肉体)」、「エス(欲望をつかさどる右脳)」、「超自我(欲望をコントロールしようとする左脳)」と置き換えてみれば、人は3人で出来ているということになるのかもしれない。

 ●人生には、悩みが絶えない

「10人の坊さん」というテレビ番組には、視聴者からいろいろな悩みの相談が寄せられる。
 10人の坊さんがそれぞれ、思い思いの回答(説法)をする。
 その回答の中で共通していたのは「人生は思いどおりにならない、いかないものだ」というもの。

 釈迦は、人生を『一切皆苦』と説き、この「苦」というのがまさに「思いどおりにならない」「思いどおりにいかない」ということで、これが最大の苦しみ(の正体)ということだった。

 その説法者の一人が語った中で、すこし救われた気がする言葉があった。
 「宗教(仏教)には、社会の基準とは異なる基準があるのです」

 悩みや苦しみを抱えた「自我(五感を具えた肉体)」、それを救うのは宗教にも似た「超自我」ということになるのかも知れない。

人生は一度っきりなのか

2021-10-17 17:35:42 | 名言など
「人生は一度っきりなんだから・・・」破天荒というか、思い切った生き方をする人が言えば、一方で「生まれ変わる」と言う人もいる。

 これは証明できないテーマであり、結局のところ、信じる宗教によって別れる。

 「生まれ変わる」と説く代表的なものが仏教。

 人間の一生を「・・・、祖父母、両親、自分、子、孫、・・・」という時系列で捉えるのではなく、自分一身の不連続な「前世・現世・来世」というふうに考える。

 常識的にいえば、生物学的には、両親がいて自分が存在する。
 その両親にもそれぞれの親が、その親たちにもまた両親がいて、皆この世に生を受けてきた。
 つまり、自分には父母2人、その前の代で4人、その前の代で8人の父母たちがいた。
 少し遡ってもそうであり、今にいたるまで、歴史上何十世代にもわたって自分の先祖たちが存在してきた。
 その中の誰一人が欠けても、自分は存在しえない。
 先祖供養の精神がそこにはある。

 一方で、インドで悟りを開いたブッダが、「死」の問題を解決しようとして到達したのが、”前世・現世・来世”という思想(仏教)だ。

【幸福はゆっくりと、不幸は突然訪れる】

2021-09-15 12:39:45 | 名言など
幸福は普段なかなか実感できないもの、逆に不幸は、例えば、愛する妻子が暴走車両の起こした交通事故に巻き込まれ、突然亡くなってしまった。それまで日々こつこつと築きあげてきた幸福な家庭生活のすべてが一瞬にして無くなってしまった。
 世の中には神も仏もないものか、当事者がそう思わざるを得ない様なむごい事が起こる。それも突然に。

 一家の大黒柱の夫が、仕事中の事故で亡くなってしまい、突然シングルマザーになった。幼ない子供をかかえてこれからの生活をどうしていけばいいのか。配偶者を失った悲しみと、生活の不安で心が張り裂けそう。

 せめてこの世に神がいて、願いを一つだけ叶えてくれるなら、何々をくれと贅沢は言わない、配偶者の亡くなる年齢(寿命)を教えてほしい(これから結婚しようとしている未来の配偶者も)。せめて心の準備をしておきたいよ。

 そう、不幸とは突然訪れるものだから。

決定論と自由論

2021-08-26 10:56:05 | 名言など
「A」
すべての人間の一生は、神の手で描かれたおとぎ話である。
アンデルセン(デンマーク、作家)

「B」
人生は石材なり。これに神の姿を彫刻するも悪魔の姿を彫刻するも、各人の自由である。
エドマンド・スペンサー(イギリス、詩人)

「A」は決定論、「B」は自由論とも言われるもの。

 人生で起こることが、”唯一神”を信じる人が言うように「すべては神様のおぼしめし」なのか、”無神論者”の言うように「すべて偶然にすぎない」のか?

 日本人に多いと思われる”多神論者”は、「その両方で必然も偶然もあるのでは?」と言うかもしれない。
 二元論から一歩下がった大人の態度のようだけれど、ポリシーがない・深く物事を追求しない、と言われれば、当たってそうだ。

唯一神・信者と無神論者の心の中の確信的な違いは、たしかに存在し、それに関しては互いに理解不能なようで、決定論と自由論とは、両陣営での永遠のテーマ。