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宇宙の片隅で

日記や「趣味の情報」を書く

無自覚(無意識)のこわさ

2013-03-01 10:29:03 | 考察
 『ユング心理学入門(Ⅲ)』林 道義著(PHP新書)から

 ・・・善と悪というのは原理的には絶対に区別しなければならないが、個別的には相対的になる。
 悪が悪のまま必要ということではない。
 悪が善なる働きをする場合もあるということだ。
 その典型的な例としてユングがよく引き合いに出すのが、ゲーテの『ファウスト』に出てくるメフィストフェレスである。

 なぜメフィストフェレスがその例に合致するかというと、メフィストフェレスは悪魔なのだから、悪いことをしようと思っている。
 人間の魂をとるのが彼の目的だから、人間から見たらこんな悪い奴はいない。

  つまり魂をとられるということは、その人の一番大事なものをとられることだから、殺されるよりもっと大変なことなのである。
 殺された場合には魂は天国に行くが、魂をとられたら天国にも行けない。

 つまりすべてを否定され、すべてが無になってしまうということである。
 そして、とられた魂は悪魔によって悪用されるかもしれない。

  これほど悪い奴はいないというのがヨーロッパの人たちの観念である。
 そのもっとも悪いことをしようというメフィストフェレスは、極悪の悪魔なのである。

 しかも、そのとり方が汚らしくていやらしい。
 
 メフィストフェレスはいろいろ魔法をかけてファウストを喜ばせ、ファウストが満足し、もういつ死んでもいい心境になった瞬間に、魂を貰うという約束になっているのである。

 女を与えてみたり、極楽みたいな楽しみを与えてみたり、それから立派な政治家にしてやって満足させてみたり、あの手この手を使って満足させる。
 そして最後に魂を取りあげてしまうということである。
 
 しかしゲーテはなぜかそういう結末にしていない。

 ファウストが満足して「時よ止まれ」と言った瞬間、ファウストは魂を取られるはずなのだが、そこに「永遠に女性的なるもの」という存在が降りてきて、ファウストの手を引いて天に昇っていくのである。

 だからメフィストフェレスが意図したような悪い結果にはならなかった。
 メフィストフェレスは悪いことをしようと思ったのに、結局ファウストが永遠に救われて天に行けるように手を貸したことになった。
 「メフィストフェレスは悪い奴だが、悪をなそうとして善をなしたんだ」とユングは言っている。
                以上、引用-了-

■そういう悪魔的なものが、日本にも存在する

 そして、それは日本では意識されることもなく、空気のような存在で余りにも当たり前、無意識下に潜在化されており強力であるため、誰ひとり疑うことがない。

進歩しない国なのか、日本

2013-02-09 20:53:59 | 考察

 原発事故の原因・大津波震災の復興の遅さ、教育現場や体育教育現場での体罰表面化など・・・

■「しかたがない」とあきらめる国民

 多くのみんなが同じ目に遭っているのだから「しかたがない」とか、自分ひとりが逆らったところでどうにもならない。
 結局、諦めたり、我慢して泣き寝入りする。

 村八分(火事と葬式の2つを除いて)社会の日本では、個人が、突出した「何らかの主張」をするのは、いけないことだ。
 個々の殺人事件や死亡事故でも、犯人は許せないが、肉親の命は返ってこない。
 だから、しかたがないと諦める。
 (事件に遭遇したのは、こちら側にも何らかの落ち度があったのではないか)
 偶然か、そういう定め、必然(運命)だったのか。

 彼の国の「ネバー・ギブアップ」という概念・思想(キリスト教?的精神)が乏しい。

 そういう”空気”というか、全体的教育が、この国には過去から延々と受け継がれてき今日でも続いているかのようだ。

 伝統や文化を一部受け継ぐ、というのは必ずしも非難されないと思うが、(いわゆる)「”悪い”伝統や文化は、改める」という社会的共感・姿勢を共有しないと、その国は進歩しないのではないか、尾崎の音楽を1995年頃聴きはじめて、いやその前からそう思っている。

現実のなかの「自由」って

2012-11-26 11:32:55 | 考察

 【現実】とは、
    自分の身の回りに起こり(直接自分に関係する)出来事
 【事実】とは、自分には直接・関係しない出来事、と区分してきた。

 いかなる人にも、それぞれの現実(日常生活)がある。
 それは、「影」のように付いて回り、離れることがない。

■現実のなかの自由度は「4つのパターン」に別けられる。

(1)自分がしたいと思い、出来る事   ・・・・趣味、買い物など。
(2)自分はしたくなくても、しなければならない事 ・・・勉強、納税、仕事など。
(3)自分がしたくても、出来ない事  ・・・・さまざまある。
(4)したくなくて、しなくていい事  ・・・・徴兵制がない、その他の自由。

(2)と(3)は、ストレスの要因になりえるが、
(3)「出来ない」の理由を考えてみると・・・、

・「経済的」理由、「身体的」理由、「能力的」理由、「法律的」理由、
 「倫理・道徳的」理由etcで出来ないこと

・「相手がある事柄」で出来ない(好きな人と結婚したいetc)もあるだろう。

・「物理的」理由で出来ない事(空を飛びたい、不老不死など)もある。

 日常生活で「出来ない」ことは多く、通常「できる範囲内」で生活している。

  ※例外・・・法律的・倫理・道徳的に出来ないことは、刑務所ゆき(あるいは死刑の代償)を覚悟すれば、出来ないことではない。


【自由】とは、

 日常生活(現実)のなかで、「選択肢が複数ある時、何の外圧を受けることなく、自分の意志に由って選択できる」ことをさす。⇒自らに由る

 こう考えてみると、各々の自由度は、どの程度あるのだろうか。

充足感や幸福感について

2012-11-23 11:42:15 | 考察
 「怒りの感情」は、”期待する”ことから生まれる、という。 人間は、”期待”が裏切られた時に「怒る」のだという。 

 脳科学では、「怒り」の感情は扁頭体で生じるらしく、それをコントロールするのが、前頭葉の仕事だという。

 一時の感情にまかせて行動すれば、ふつう、他人と衝突するだろうし、身内や自分自身との衝突は、取り返しのつかない事態を招くこともある。
 人間は「感情の動物」とも言われる。たしかにそれは認めざるを得ないだろうけれども、それを自己コントロールできるかどうかが問題だ。

 セロトニンという物質(ホルモン)が、前頭葉で不足なく分泌されるというのであれば、一時的感情もコントロールできる。 
 短気だったり激情的になりやすい人は、ストレスほか様々な理由でセロトニンの分泌が少ないのでは、と考えられるという。
 脳で興奮物質のアドレナリンが分泌されると、本能的・感情的な行動(含:言動)の準備態勢に入る。

 自分は自分の意思でいつも行動していると思いがちだが、実際は脳内物質によって左右されていることが多いのだ。
 ”脳のメカニズム”を知らず、対処もしないと、取り返しのつかない事件や事故に巻き込まれる可能性がある。
 交通事故や事件の加害者のなかには「なぜあんな事をしたのか自分でもわからない」と語る例もある。

 では、どうすればいいのか。
 
 「ストレス」は、前頭葉での正常なセロトニン分泌を抑制してしまう。
 いっぽう、セロトニンの分泌は、どういうときに起こるのか。
 充足感や幸福感を感じるとき分泌される。いいかえればセロトニンが分泌されるとき、ヒトは、それらの幸福感を感じる。だから、日常、そういう”時間”をもっておく。
 自分なりの「楽しみ」や「よろこび」を見つけておく。
 これは、とっさに出てきたり、経験なく作れるものではない。
だとすれば、脳のシステムを知り(理解)、ふだんからエクササイズ(練習)しておくしかないといえる。

現象と、真相

2012-11-17 11:20:36 | 考察
 禅宗は、”只管打坐”(しかんたざ)ひたすら座禅の「曹洞宗」と、”公案”で知られる「臨済宗」が有名だ。

 この”公案”に「風にハタめく旗」がある。それを指さし「あれは、旗が動いているのか、それとも風が動いているのか?」と問うものである。

 「風にハタめく旗」の話は(公案と離れて)、【物理学】の「力と運動」の関係といえる。
 現象(運動)には、その前か、その時点で働いた「ちから」(理由・要因)があるはずである。

 一つの例として、「人為的な現象」の場合。 →「自然現象」は別にして
 或る人間の「行動」を”現象”として見ることは出来る。
 しかし、その時点、そこに働いた「ちから」(内面=知・情・意)を窺い知ることは出来ない。

 (結果としての)【現象】を目にすることはできるが、(そこに働く、働いていた)【ちから】は何か、何だったのか、ということは(本人や当事者でない限り)わからない。

 そこで、この(事実や現実にあらわれる)【人為現象】に対して、(本人や当事者でないと知り得ない)部分を【真相】と呼んでみる。

 【真相】は、常に解明されるか?
・「突きとめることが可能」な場合と、(*1)
・「突きとめることが不可能」な場合がある。 (*2)

 *1・・・本人や当事者が特定され、かつ生存し、それを確保することができ、その告白により、【真相】が解明するケース。
 *2・・・時間的・空間的・特殊的事情、いずれかの理由によって不可能。

 いっぽう、その真相(思惑)が、何にもとづく考えだったのか、は別の問題になる。

 本当(True)のことにもとづくものか、
 作り事、捏造、風評(Fiction)、無知によるものなのか、
 あるいは出来心(*3)、
 憂さ晴らし(*4)、
 錯覚にもとづいて行なわれ、起こしたことなのか。

 *3・・・問題外。
 *4・・・社会の側にも遠因は、あるかもしれない。