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宇宙の片隅で

日記や「趣味の情報」を書く

隆一と有紀 -6-

2020-04-08 13:12:48 | 脚本

 ・・・・「あの時の杉山さんのパッシングライトがもう少し遅れてたら、ヤバかったですねー」
「ほんと」
「そうそう」
 ここは、ホテルにチェックインして部屋に荷物を置き、ひと汗流そうとやってきた男湯の湯舟のなかである。
 展望大浴場というだけあって、遠方に下界の街を見下ろせる眺望が素晴らしい。旅の疲れも癒されるというものである。

 杉山は、あの時は一瞬しまったと思ったが、みんなからそう言われると気分がいい。
 杉山はいい気分ついでに、ホテルを予約した隆一に尋ねた。
「このホテルには混浴風呂とか露天風呂はないのかい?」
隆一「アブさんがこの企画に参加すると決まった時から、混浴風呂のないホテルをあたったのさ。露天風呂ならあるらしいよ、ただし、おばさんばかりらしいけどね」
 一同は、ドッと笑った。

 杉山は、さっきのいい気分はどこかへ消え失せてしまった。
 それに、今ごろ展望大浴場の女湯に入っている彼女たちのことを考えると頭が痛い。
(これじゃあ大幅な予算オーバーだ。あとで親父に電話して、予算追加の交渉をしなくちゃいけない・・・)
 ケチで頑固な父親にどう説明しようかと、頭を悩ませる杉山だった。

「隆一と有紀」 - 7 -

2020-04-08 13:12:03 | 脚本

 隆一「今夜の宴会は、2階宴会場『有馬』に午後6時30分集合ということで、それまでは各自、自由行動としまーす」
「オーケー」
「了解ー」
 みんな軽装に着替えて、カップルで出掛けるもの、カップルでもグループで出掛けるもの、それぞれだ。
 隆一は、有紀と2人だけでホテルを出た。

 残されたのは杉山だけである。
(外に出てガールハントでもしようか。いやその前に女性10人の追加費用を、親父と交渉しなくちゃいけなかったんだ)
 杉山は、覚悟を決めて父親の会社に電話をかけた。

杉山社長「予算の増額?そんなに人数が多いとは訊いてなかったぞ。ダメだダメだ」

 杉山社長としては、はやく息子に自分の会社を継がせたい。
 だが、風来坊の杉山は、まだまだ自由な生活を満喫したい。
 恋もしたいし、父親が気に入ったら、その女性と結婚してその後いずれ会社を継いでも遅くないと考えている。
 父親はまだ元気でピンピンしているし、杉山も今のところ、ジャズ喫茶のマスターの生活が気に入っていた。

「隆一と有紀」 - 8 -

2020-04-08 13:11:29 | 脚本

 ピシャリと予算増額を跳ねつけられた杉山は、
「いいよ、もう頼まねぇーよ」ふくれっ面で、電話を切った。

 (・・・だけど、今回の費用は全部オレが出すって言っちゃったしなぁ、今さら、みんなに半分出してくれなんて言えないし、困ったなぁ・・・・・・え~い、こうなったらどうにでもなれだ。宴会のとき幹事役の隆一君に相談してみよう。彼は人に頼まれると嫌と言えない性格だし、きっとなんとかしてくれるだろう)
 杉山がこんなに楽観的なのにはわけがあった。隆一とは、同じ大学のOBと現役、部活も同じで、先輩・後輩以上の間柄なのだ。
 ・・・・杉山は、そう考えると何事もなかったように、昼間から浴衣の上にカーデガンを羽織ってホテルを出ていこうとした。
 そのとき、ホテルに入ってきた金髪の若い白人女性数人とその世話役らしき男女と鉢合わせになった。
 金髪の女性たちは、杉山の浴衣姿にたいそう驚き、こぼれる笑顔で口々に何かしゃべりながら、ロビーのフロントのほうに向かった。
 杉山は、明るい雰囲気の一団を振り返って、しばらく彼女たちに見とれていた。

「隆一と有紀」 - 9 -

2020-04-08 13:10:45 | 脚本

 ホテルを出た杉山は、あてもなく歩いていた。
 そして、懐かしい道を見下ろせる場所に出た。眼下には、箱根駅伝レースが行われるコースが見えてきた。

・・・杉山の頭の中に大学当時の思い出がよみがえってきた。
 杉山が関東大付属高校に入ったとき、彼の父親は、息子の非力な体力を鍛えるために体育系の部活に入ることを強く勧めた。
 そして杉山が選んだのは、体育系のなかでは比較的シゴキが少ないといわれた《陸上部》だった。

 体力に自信のない杉山は、短距離の瞬発力も、長距離を走るスタミナもなかったので、自分から中距離走を希望した。
 コーチも、杉山の痩せた体を見て、まずは体型の改良から始める必要があるとみて了承した。

 杉山は、関東大に進学した時も、部活は陸上部を選んだ。
 高校から陸上部に所属していたおかげで、杉山の体力は確実に上がっていった。
 ただし、やればやるほど、中距離レースに必要なペース配分やハイレベルな駆け引きが、自分には不向きだとも感じ始めていた。
 そこで大学では、いろいろなことを考えながら走る長距離走のほうが”想像癖”のある自分には向いていると考え、転向したのである。
 長距離走に転向した杉山は、箱根駅伝レースには特別の思い入れがあった。といっても、正選手として走った経験はなく、いつも、颯爽と走る仲間を応援する”補欠選手”でしかなかった。それで一度は、正選手として走ってみたいと夢み、あこがれていたコースなのだった。

 勉強の苦手な杉山が、大学まで進めたのは、建設会社の社長である父親のおかげである。
 成績が悪く各学年で留年しながらも、8年でなんとか卒業することができた。
 その後、父親の会社に就職することなく1年間ブラブラしたのち、2年前にジャズ喫茶「アブサン」を、これも父親の資金で開店させたのだった。

 ・・・杉山が、その道をさらに行くと、下界の街を見下ろせる観光客のための小さな公園があった。ベンチがいくつかあり、若いカップルの姿が見えた。
 杉山は、高い樹木の道を進み、背後からその男女の声が聞こえる場所までやって来た。

 ベンチに腰かけて話し合っていたのは、隆一と有紀であった。

「隆一と有紀」 - 10 -

2020-04-08 13:10:05 | 脚本

 ・・・・隆一と有紀の話が弾んで明るい様子だったら、杉山も「やあ!」と声をかけたかも知れない。
 2人の様子が妙に静かだったので、成り行き上、後ろに回って聞き耳を立てることになってしまった。

有紀「私、春休みが終わったら、3回生までで中退するかも知れないの」
隆一「えっ?、中退?」
有紀「えぇ、今の大学に入ってすぐに父が亡くなったのは知っているでしょ?」
隆一「うん」
有紀「代わりに母が働いてくれて、これまでやって来れたの。でも今年、弟が大学に入学するし、母の収入だけでは賄い切れなくなるのは目に見えているわ」
隆一「そうかぁ、有紀ちゃんの家もたいへんなんだなぁ~」
有紀「だから、わたし大学を中退して働きに出るつもりなの。4月からは、隆一さんともこうして頻繁には会えなくなるわ」
隆一「・・・」
有紀「これまでの大学生活はとても楽しかったけど・・・」
 あとは声にならない。有紀の目から涙がこぼれた。
 隆一も、いつしか真顔になっている。

 隆一は、黙ったまましばらく考えていたが、有紀のほうにむかって言った。
「じゃあ、4月からおれんちへ来ないか?」
 有紀は、うつむいていた顔を上げると、
「えっ?」と小さく答えた。
(これって・・もしかして・・・プロポーズ!?)

 ・・・有紀は、箱根のドライブが決まったときから、2人きりだと思っていたので、隆一にこの話を打ち明けるつもりでいたのだ。

隆一「有紀ちゃんに、そんな心配事があるとは知らなかった。4月から、うちの店で働いてみないかい?」隆一の店は、銀座で『たかはら』という老舗の日本料亭をしている。
隆一「昼間は大学に通って、夕方から、うちの店でバイトすれば大学を中退しなくてもすむだろ?」
 有紀は、自分の早合点を恥じらうのと、少しガッカリした気持ちの半々で、
「そんなの、お店の迷惑になるだけだわ、きっと」
と、答えるのが精一杯だった。
隆一「雇い人の1人ぐらいなんとかなるし、教わりながら覚えれば、すぐに慣れるさ」
有紀「お店に相談もしないで、そんなこと勝手に決めて大丈夫なの?」
隆一「いま人手が足りないとか言ってたから、大丈夫、心配しなくてもいいよ」