津広報 歴史探訪 新津市の
お知らせ帳を 基に探訪
高田本山もさることながら、
藤堂高虎の人柄に今もフアンがたくさん存在。
高虎は、四国の某大名だった。
夏の陣・冬の陣で徳川の方で戦った。
慶長13( 1608)年に津入城
冬の陣では、長曾我部盛親・木村重成との
戦いで、家臣71士を失い、常光寺に祀り
川沿いに108個の高張(タカハリ)ちょうちんを灯し寺町(テラマチ)百八灯(ひゃくはっとう)で供養する。
その後、関東の真宗高田派の本山が消失の後、
弟子たちが全国行脚で津まできて、
寺をどうにかしたいと思っていた。
それを知った高虎は、当時浜だった広い一身田を無償で提供し、高田本山を興隆したのです。
高虎の業績は、津幡だけに留まらず、
伊勢神宮の 「 おかげ参り 」の
宿場町をも整備したのです。
伊勢別街道沿いに宿場町
坂を下りれば 高田本山と寺町など。
河川の整備で、台風などで橋が流され
困るため治水にも力を入れた。
橋の橋梁が流され壊れることから、
一方をすぐ外れる工夫をして、
流されても流れて行かない工夫をさせた。
これにより、洪水対策抜群となった。
また、蛇行して洪水になる田には
水溜としておき無税の田として
その外にも堤防を造らせた。
京都の観月橋が流されても壊れない橋ですね。