Being on the Road ~僕たちは旅の中で生きている~

日常の中にも旅があり、旅の中にも日常がある。僕たちは、いつも旅の途上。

番外編/Nostalgic Hero

2021-05-30 21:30:52 | 旅行

北京の胡同(フートン)を散策していた時の1枚。

 

中仙道蕨宿近くを散歩していたとき、停まっていた旧いクルマに触発されて、今までに目にしたクラシックカー(厳密な定義はないようだが、概ね製造後20~30年以上経過しているクルマ)の写真を掲載する。

 

蕨でみつけたクラシックカー、バリバリの現役。同じところに駐車しているのを何度も見たし、背広の中年男性が運転しているのも見た。

 

加齢のためか、クルマでも、カメラでも、最新モデルへの興味が失せている。カーボンニュートラルが叫ばれる昨今にあっても、僕は生涯、電気自動車を買うことはないだろう。そもそも、僕は、クルマの電動化に懐疑的なのだ。(デジカメの発売当初、僕は銀塩に固執していたのだが・・・)

 

電気自動車や水素自動車からCO2ガスは発生しないが、動力源の電気や水素を作る時にCO2ガスゼロは、現実的ではない。少なくとも日本ではむずかしい。

 

今、日本で走っている自動車の大半が、電気自動車に転換すると大量の電力需要が生まれる。自動車の大半が、エンジン車やハイブリットカーである今でさえ、老朽化した火力発電所(石炭、石油、天然ガス)の更新がままならず、原子力発電所の新設はもちろん再稼働にもストップが掛かり、夏の電力が逼迫しているのである。電気自動車が増えたら・・・・。太陽光や風力といった再生可能エネルギーに期待したいところだが、これにも高い壁が立ちはだかる。

 

太陽光は、電気自動車充電のための電力需要が高まる夜間に発電できない。(電気自動車が増えると夜間の電力需要が急増する) 風力発電所は、低周波の発生や鳥類の衝突死など、意外に自然にやさしくない。そもそも、風力発電は、穏やかな風が安定して吹くことが条件、つまり強すぎてもダメ、吹かなくてもダメで、その条件を満たし、かつ広大な土地は、日本では、極めて限定される。悲しいかな日本は、再エネのための天然資源にも恵まれていない。ちなみにカーボンニュートラルを強く主張する欧州は、穏やかな偏西風が1年通じて吹き、すでに風力発電が火力発電をコスト面でも優っている。

 

事情は水素自動車も同じで、水素の生成方法は、大別すると2つ。石炭、石油、天然ガスを分解する方法が、最も低コストであるものの、これは生成段階でCO2ガスが発生するのでダメ。水を電気分解する方法が、クリーンであるものの結局は、電気を必要とする。

 

もう1つダメ出しをすると、電気自動車のキーデバイスとなるバッテリーには、多くのレアメタルを使っている。電気自動車の台数が増えると、今のバッテリー製造技術では、レアメタルが不足し、争奪戦が発生する。しかも、世界のレアメタルサプライチェーンを牛耳っているのは、中国である。

 

電力の問題も、レアメタルの問題も、2030年、2050年までには、技術革新で解決すると主張する人がいる。確かに人類の英知を信じたい気持ちだ。しかし、原子力発電が始まった時、核廃棄物の問題も技術革新が解決してくれるといった未来への根拠なき期待があったのではないだろうか。それを想うと、能天気な僕でさえ、そんな気持ちになれないのである。

 

水素エンジンを開発したトヨタ自動車・豊田章男社長は、「高効率エンジン+モータ(ハイブリット=日本の強みの摺合せ技術)」+「カーボンニュートラル燃料(水素燃料)」が、現実的なCO2削減になると言う。僕自身は、トヨタのクルマは、そつなく出来すぎていて好きじゃないので、買ったことがないが、共感できる。

 

番外編ってことで、いつもとちょっと違うこと、書いてみた。

 

僕の故郷へ向かう途中にあった廃車体。グランツーリスモの夢、ロマンを掻きたてられる。

 

 

旅は続く


美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/和楽備神社と三学院

2021-05-30 00:28:24 | 旅行

2020年の記録

 

和楽備神社は、今の住まいの向かいにある神社。調べてみると、室町時代に創建(社伝に記される)の伝統のある神社。

 

埼玉県の隣接県の多さに驚く、時計回りに栃木県、茨城県、千葉県、東京都、山梨県、長野県、群馬県、実に1都6県である。その南東部に位置するコメ粒ほどの蕨市。実際、全国の市の中で最も面積が狭く、区町村を含めても8 番目に狭い。一方、人口密度は、全国の市町村で最も高い。

 

緊急事態宣言発出前の3月29日、雪が降った。すでに僕の会社では、在宅勤務が始まっていたこともあり、公共交通機関の利用は自粛していたので、今回から何回かは、徒歩圏内の記録をご紹介する。とは言っても、腐っても元競歩選手、10キロ、20キロは、スタスタと歩いて行ってしまうので。(笑)

 

氏子に恵まれているのか綺麗に整備されている。隣接する蕨城址公園とともに閑静な住宅地の中のオアシスといった趣がある。鳥居の前で、手を合わせ一礼する近隣住民を見ると、精神的な“美しい日本”を感じる。

 

和楽備神社から少し離れたところ、といっても1キロもないところに三学院という寺院がある。旧中仙道から少し入ったところだ。“端正”という表現が、適切か、否かわからないが、とても綺麗に整備され、手間とお金を投じていることがわかる。三学院極楽殿という葬儀場を経営している、悪い意味でなく寺院経営に長けているのだろう。

 

宗教法人の商業活動というと、ネガティブに捉えられることが多いが、僕は違うと思う。(商業活動にネガティブなカソリック教徒の僕が書くのも変だが)  ちょっと話が、横道に逸れるが、最近、注目のSDGs(持続可能な開発目標)、“持続”の前提は、経済的な自立だ。日本のように無宗教に近い国民の多い国は、常識的なお布施だけで宗教法人を維持することはできないと思う。

 

 

【メモ】

蕨を散歩した3月29日には、新型コロナウイルスに感染したタレントの志村けんさんが、亡くなっている。多くの日本国民が、新型コロナは風邪とは違う“死に至る病”と認識させられた日だ。翌々日、4月1日には、あの“アベノマスク”の配布方針が発表された。今、あらためて考えると、素っ頓狂でマヌケな施策だったけど、発案者や施行者は、真面目に国民のことを想っていた(でも、バカだった)ようにも思える。少なくとも「緊急事態宣言下でも五輪開催」を強いるIOC幹部の発言に否定も肯定もできない今の日本の為政者に比べると真っ当に思えるのは、僕だけだろうか。

 

 

旅は続く


美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/鎌倉と小田原

2021-05-27 21:41:11 | 旅行

2020年の記録

 

鎌倉駅から徒歩10分ほどの大通りからちょっとだけ奥まったところに日本基督教団鎌倉教会会堂はある。

 

天気も良く、鎌倉と小田原の散策に行ったものの、どうにも後ろめたさが拭いきれず、目的の教会を足早に巡り、小田原でランチをしたあと、早々に帰宅した時の記録。

 

鎌倉は、中学校の英語の教科書にKamakura(カマクーラ)として紹介されるほどの観光地。駅を出ると、目を引く土産物屋が軒を連ねる。

 

日本基督教団鎌倉教会会堂は、アメリカで建築教育を受けた吉武長一による設計で、アメリカ19世紀を代表する教会建築家リチャード・アプジョン(1802~1878)の ゴシックリヴァイバルの教会作品に似ている。(大正15年=1926年竣工)

 

鎌倉教会会堂から江ノ電(江ノ島電鉄)の和田塚駅まで歩く途中に旧横浜興信銀行由比ガ浜出張所がある。現在は、バー「THE BANK」として使われている。

 

“路地裏の教会”こと、カソリック小田原教会は、ほんとうに大通りから入った路地の奥にある。1931年(昭和6年)に司祭であるルイ・マトンが、山形県鶴岡教会天主堂建設に関わった経験を活かし設計した。

 

小田原ハリストス正教会・聖神降臨聖堂は、昭和44年(1943年)建築の東方教会らしい屋根にタマネギのある白亜の聖堂。司祭のマイカーだろうか? 文句を言える立場じゃないけど・・・・・、ちょっとね。

 

小田原宿なりわい交流館は、昭和7年に建設された旧網問屋を再整備したもの。無料のお茶を頂き、一休み。

 

済生堂薬局小西本店店舗は、江戸時代初期より東海道に面する現在地(旧中宿町)にあり、薬種商を営んできた老舗である。関東大震災で倒壊した旧店舗の材料を一部用いて大正14年頃に完成したと伝えられる。現在の店舗は軒出しも大きく、柱など主要部材に欅材を用いており、重厚な造りであった旧店舗の風格を継承している。みどりのケロちゃんが店頭に立ち、現役である。

 

日本聖公会小田原聖十字教会礼拝堂は、関東大震災で倒壊したが、1927年(昭和2年)再建された木造建築。古くから別荘や豪邸が建ち並ぶいわゆる高級住宅街の一角にある。

 

旧小田原町立図書館は、瓦の屋根は和風、横板張りの壁と細長い上げ下げ窓は洋風の和洋折衷の1933年(昭和8年)竣工の木造建築。現在は、二の丸観光案内所として使われている。

 

 

【メモ】

鎌倉、小田原を散策した3月21日の翌日は、ワラビスタンのネウロズ(クルド新春の祭典)が開催されるはずだったが、コロナウイルス感染拡大防止のため中止となった。

3日後の24日になると、東京オリンピック、パラリンピックの延期が決まる。史上初の延期は、極めて良識のある、合理的な判断だった。

 

1年後の今、ワクチン接種が始まったとはいえ、状況は深刻化している。それにも関わらず、オリパラ強行とは・・・・。「安全安心の開催」を反復する為政者は、“安全安心”の意味を理解しているのだろうか?科学的、客観的に安全を担保することはできるかもしれないが、“安心”は心の問題、99.99%安全と言われても、0.01%に不安を感じれば、“安心”とは言えない。

 

 

旅は続く


美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/野木町と古河市

2021-05-23 15:21:35 | 旅行

2020年の記録

 

桃の花、ほんとうに花の写真はむずかしい。まったく刃が立たない。

 

野木町は栃木県、古河市は茨城県だが、市外局番は、ともに「0280」で、平成の大合併では、県跨ぎの合併の話もあったが、財政の豊かな野木町が、提案を解消したようだ。野木町には、財源となる優良企業が入居する工業団地があり、ゴミの焼却熱利用の入浴施設を持ち、休耕田でひまわりを栽培し、町のPRに使うなどの活動をしている。ちなみに“お金持ち”の野木町にふられた古河市は、財源の豊かな総和町を合併吸収した。

 

古河市は、茨城県の最西端に位置し、県庁のある水戸市や土浦市方面へ繋がる鉄道もない。一方、埼玉県から栃木県へ繋がるJR宇都宮線(東北本線)に古河駅がある。地図をよく見ると、埼玉県、栃木県と接しているほか、半径10キロ圏内に千葉県野田市、群馬県板倉町がある。

 

古河市のクルマ屋のオヤジ曰く、「古河で一人前になったクルマのセールスは、どこに行っても通用するよ。」 新車ディーラーは、県単位なので、顧客が県内で複数の店から見積を取っても価格統制されている。だから競合させるには、県跨ぎで見積を取らないと意味がないのだが、古河の顧客は、茨城、埼玉、栃木に加え千葉、群馬の5県から見積が取って、ぶつけてくるので手強いという訳だ。実際、僕もクルマは、3台続けて古河で買っている。

 

 

旧下野煉化製造会社煉瓦窯に行ったもののあいにく閉館。隣接する「こびとカフェ@陽だまりレンガ広場」で、窯焼きピッツァを食べた。早朝ではないが、空気が澄み、青空が美しい。

※野木町の煉瓦窯は、ホフマン式の煉瓦窯で、明治23年(1890年)から昭和46年(1971年)まで赤煉瓦を生産していた。昭和54年(1979年)に国の重要文化財指定、さらに平成19年(2007年)に「近代化産業遺産群」の一つに選定さた。

 

県境を越えて茨城県へ。古河公園は、桃が開花、桃まつりの時期だが、桃まつりは、コロナのため中止、しかし、園内への入場は可能で、桃の花を見ることはできた。

 

 

【メモ】 野木、古河を散策した3月15日には、日本でもコロナを意識した生活が始まっていた。それでも、暖かくなれば、コロナは終息すると楽観していた。一方、中国はピークをすぎ、海外からの逆流入警戒へとシフトした。

 

 

旅は続く


美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/筑波山梅園と真壁

2021-05-22 20:56:55 | 旅行

2020年の記録

 

旅人Cafe TOY BOXの店頭には、タイのトゥクトゥクが停まる。店内には、懐かしい雰囲気が広がる。

 

北関東3県と呼ばれる群馬、栃木、茨城だが、ぐっと東京に迫っているのが茨城。そして、海があるのも茨城である。

 

2月、最も寒い頃だが、晴天と暖かさに誘われて、筑波山の南斜面にある梅園に行き、帰りに古い街なみの残る真壁に寄って明るい内に帰宅した時の記録。

 

建造物写真や街なみスナップのプロではないが、花写真は、まったくの素人、どう撮って良いのか、構図のイメージが浮かばない。良い作品をたくさん見て、そのイメージを脳裏に焼き付け、それを再現する模倣を繰り返す中でオリジナルの構図が生まれるのだと思うが、圧倒的に作品を見ていない。まぁ、好きなことをやっているので、無理して花写真を見ることもないだろう。

 

真壁の街を散策するも、心に響く光景に出会わず、ブラブラしていたときに目に留まったのが「旅人Cafe TOY BOX」。凝った装飾、僕好みの店だが、「犬連れじゃだめだろうな」と思いながらも、ダメモトでマスターに訊ねると、意外にも「大丈夫、ペット同伴席がありますよ」と、招き入れてくれた。

 

 

【メモ】 筑波山と真壁を散策した2月24日の前日に、国内感染者数132名の発表かあり、確実にコロナの日本侵食が始まっていた。3日後の27日、安倍首相(当時)は、全国の小中高の春休み休校を突然要請する。

 

 

旅は続く