Being on the Road ~僕たちは旅の中で生きている~

日常の中にも旅があり、旅の中にも日常がある。僕たちは、いつも旅の途上。

美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/彩の国散策物語 第8回

2023-09-30 21:29:03 | 旅行

2023年の記録

群馬県の出張が早く終わったので、途中下車して深谷を散策した時の記録。

 

 

朝の情報番組で知った「七ツ梅酒造跡」、なかなか、いい味を出している。

 

 

埼玉県北西部に位置する深谷市。渋沢栄一の出身地としてスポットライトを浴びるようになった。その一方で、渋沢栄一の設立したレンガ工場のあった「レンガのまち」でもある。

 

 

JR深谷駅は、JR東京駅丸の内口が、深谷のレンガ(渋沢栄一が設立した日本煉瓦製造株式会社製) を使用して建設されたことから1996年(平成8年)の改装時にJR東京駅丸の内口を模した装飾がなされた。現時点では、フェイクかもしれないが、50年、100年の時間の経過とともに味がでてくることを楽しみにしたい。

 

 

「七ツ梅酒造(田中藤左衛門酒造)跡」は、旧中山道沿いの酒蔵跡で、明治~昭和初期の建物群を、中山道深谷宿本舗や深谷シネマ等の観光施設に整備・活用している。

田中藤左衛門酒造は、1694年(元禄7年)創業・2004年(平成16年)廃業している。

 

 

はっきり言って、ピカピカに整備されている訳でもなく、しかし、現役の商店、飲食店として活用されている。悪い意味の“剥製”になっていない。

 

 

「東白菊」は、藤崎藤三郎商店の特別純米酒。レンガ造煙突は、景観重要建造物に指定されている。残念ながら、現役ではないようだ。

 

 

木壁の美しい一般住宅、そして一般住宅の塀にもレンガが使用されている。

 

 

七ツ梅酒造跡、藤崎藤三郎商店を散策して、再びJR深谷駅に戻る。やっぱりレンガ建築は、美しい。今風に表現すれば、“レンガ萌え”、“レンガフェチ”といったところか。

 

 

購入からすでに15年を超えたNikon COLPIX P5100+ワイドコンバージョンレンズ。出張時のお散歩カメラだ。ほとんどズームを使うことはないので、外付けファインダーを使っている。スマホにはない「撮る楽しみ」を与えてくれる。

 

 

【メモ】

「あの頃の方が良かった」と中国人のおじさんが呟いた。“あの頃”とは、改革開放(1978年)前の中国が貧しかった頃のことだ。僕が高校生の頃、「共産主義とは、みんなで“平等”に貧しいままでいる思想だよ。」と教師は皮肉っていた。

 

「終わりの見えないウクライナ戦争」、「支援疲れと世界的な物価高騰」、「分断する世界」、「日本の新興宗教問題」、「ジャニーズ性加害問題」、「オーバーツリズム」・・・・・・・と、枚挙にいとまがないほどの問題噴出。コロナ禍の約3年間、方法や程度の差こそあれ、人類共通の敵・コロナウィルスと世界は対峙していた。貧富と関係なく“平等”にコロナウィルスに感染したし、ファーストクラスで豪遊する富豪にも、LCCエコノミークラスやもっと安価な交通手段で移動する人にも、“平等”に越境を禁止した。

 

どちらかと言うと、僕は、様々な面で、恵まれている方かもしれない。それでも、友人の海外旅行記を読むと、“焦り”みたいなものを感じてしまう。キラキラ輝いている人は、僕の見えないところで、努力していたり、何かを捨てていたりしているのだ。まるで、“運”だけで、キラキラを手にしているように羨むのは失礼だと、かつて指摘されたことがある。確かに!

 

でもね、コロナに外出を制限され、過去の旅写真を整理していた頃の方が、僕はサラーム(平安)だったような気がする。

 

 

旅は続く


美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/信州から日本海へ

2023-09-24 20:46:24 | 旅行

2023年の記録

息子のところに新米を届けたあと信州を抜け日本海まで散策した時の記録。

 

 

赤いソバの花が咲きほこり、日本蜜蜂の飛び交う風景は、一見の価値がある。

 

 

北関東道、関越道、上信越道、中部縦貫道、一般国道で霧ヶ峰を越え諏訪へ。さらに一山越えて箕輪。その後は、一般国道を北上、白馬を経由して日本海・糸魚川市へ。

 

 

早朝に霧ヶ峰を越えるのは、いつも通り。天気が良ければ、清々しい空気の中、遥か彼方に富士山を望む。

 

 

息子のお嫁ちゃんお薦めの立石公園。映画『君の名は。』の糸守湖のモデルとも言われる諏訪湖全景を眺められる絶景スポット。次は、対岸の西の空が紅く染まる夕方に訪ねたい。

 

 

ヒマラヤ山麓の激烈な気候と痩せた土地で育つ赤そばを見た研究者は、種子を日本に持ち帰った。しかし、気候風土の違う日本では、赤い花を咲かせなかった。その後の何年にも渡る研究の末、日本の風土に合う、赤い花のソバ品種 「高嶺ルビー」 が誕生。「高嶺ルビー2011」は、「もっと赤く」を目標に品種改良を重ねて生まれた。一般の白そばと比べると収量は、約1/3。実際に食べ比べたが、味に差は感じない。つまり、観賞用ってことだ。

 

 

果物をあまり好まない僕だが、硬くて、みずみずしくて、甘いリンゴは好きだ。お気に入りは、「シナノスイート」なのだが、まだ、時季でないとのこと。8月から収穫の始まる早生の「甘い夢」を買ってみた。

 

 

アルプスあづみの公園は、安曇野市、大町市、松川村に広がる総面積353ヘクタールの国営公園。白馬へ向かう途中に敷地外から覗いた。1日掛けて散策したい、次回のお楽しみだ。

 

 

16時前にペンションにチェックインしたあと、日帰り温泉施設・みみずくの湯に行く途中で見た空。

 

 

宿泊したペンションは、犬同伴専用ということでチョイスした。清掃は行き届いているが、建物は古い。僕は、古民家に通じるクラシカルさがあって良いと思うが、評価は別れるかもしれない。

 

 

白馬岩岳を背に黄金色の田圃が広がる。

 

 

国道148号線を外れ、ヒスイ峡へ寄り道。むきだしの岩壁が続く。

 

 

高浪の池、湖畔にキャンプ場があり、ゆったりとした空気が流れていた。

 

 

国道148号線に戻り、国道沿いにあるフォッサマグナ・パークへ。

ご存知の通り、フォッサマグナは、東日本と西日本を分ける境界線。狭く同質な日本と言っても、電気は50Hzと60Hz、餅は四角と丸、トーストは6枚切りと4枚切り、灯油のポリタンクは赤と青、三角形のおにぎりと俵型のおむすび・・・・・・。

 

 

親不知子不知は、断崖と波が険しいため、親は子を、子は親を省みることができない程に険しい道であることから、この名が付いたとされている。断崖が海に迫り、かつては、干潮時の波打ち際を歩く以外に通行の術がなかったことが偲ばれる・

 

 

親不知レンガトンネルは、1907 年(明治 40 年)起工、1912 年(大正元年) 竣工した全長 667.82mの鉄道トンネル(旧北陸本線)。1965 年(昭和 40 年)廃線まで、53年間使用された。

 

 

親不知レンガトンネルに行く前に昼食に寄った道の駅親不知ピアパークのレスト・ピア。大繁盛なのだけど、おばちゃんが1人で調理しているのだが、圧倒的に需要に追いついていない。黙々と調理するおばちゃんを見れば、誰も文句も言わないが、注残は積みあがり、食べ終わった食器が、返却窓口から溢れる。まさに、典型的な飲食店の人手不足を見た気がした。

日陰の屋外テーブルで、愛犬と食べた刺身定食900円は、値段なり、可もなく不可もなくだったけどね。

 

 

【メモ】

クルマで散策に行くときは、基本的に愛犬と一緒だ。彼女もすでに15歳、ヒトで言うと約80歳になる。いつのまにか、おてんば娘が、おばあちゃんになってしまった訳だ。クルマに乗ると、疲れてか、寝息を立てて横になる彼女を見ていると、遠出は負担になるのかな、と考えさせられる。

 

“老化”は、イヌもヒトも、金持ちも貧乏人にも平等に訪れる。もちろん、イヌとヒトは、そのスピードが違うし、金持ちならば、アンチエイジングに大枚をはたくこともできるが、“老化”から逃げても、いずれは捕まる。

 

“老化”は、他人事ではない。いずれ僕自身、大旅行ができなくなる。(大旅行の最中に不慮の事故で即死、遺族には死亡保険金を遺すのが、僕の理想的な死に様なんだけどね。) 国内でも、まだ散策していない県が、8県もある。(三重、和歌山、徳島、岡山、鳥取、島根、山口、宮崎)

 

会社の定年が、65歳に延長された。経済的には、とても恵まれた話で、会社に感謝しなくてはならないのだけど、「65歳の定年を迎えた時に西安から在来線鈍行と路線バスを乗り継いで欧州に行く大旅行ができる体力、気力があるだろうか?」という話をしたら、「それって、20代の若者がやることで、55歳だろうが、65歳だろうが、定年後にやるものじゃない」と一蹴された。(我が社は55~60歳選択定年制だった。) 元アスリートなのに身体を動かすのが嫌いな僕であるが、「西安・欧州~東洋から西洋のグラデーションを確認する旅」実行のためならば、健康維持のランニングでも、筋トレでもするよ。

 

60歳を超えると嘱託契約となり、年収4割減。誰もが知っている優良企業に勤めていた先輩は、「やってられるか!」と言って退職。山小屋のフリーター生活を始めた。もちろん、年収は、4割減どころか、8割減だろうが。

 

 

旅は続く


美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/東京散策倶楽部 第27回

2023-09-10 21:54:04 | 旅行

2023年の記録

やっと9月になり、プチ散策ができる余裕ができて、目白界隈散策の記録。

 

 

目白聖公会の聖シプリアン聖堂も素晴らしいが、ステンドグラスも、中々のものらしい。

 

 

ワラビスタンからJR目白駅まで片道約1時間、ドア・ツー・ドアで約3時間の散歩。暑い、暑いと言っても、すでに秋。爽やかな風とまではいかないまでも、熱風が吹くことはなくなった。

 

 

日本バプテストキリスト教目白ヶ丘教会礼拝堂は、フランク・ロイド・ライト建築事務所所属の遠藤新の設計により1950年(大正10年)鉄筋コンクリート造で竣工している。目白ヶ丘教会礼拝堂は、建築家・遠藤新の遺作となり、礼拝堂で最初の葬儀が遠藤の葬儀になったという。2011年(平成23年)に国登録有形文化財に指定された。

 

 

目白聖公会聖シプリアン聖堂は、目白ヶ丘教会礼拝堂から約400米と至近の目白通り沿いにある。ロマネスク様式の聖シプリアン聖堂は、1929年(昭和4年)に木造平屋建で竣工している。

ステンドグラスは、1985年(昭和60年)に老朽化して取り壊された英国の教会から移転したもので、ステンドグラス自体の制作年は1889年(明治22年)とされている。

 

 

聖母病院旧館は、1931年(昭和6年)にスイス人建築家マックス・ヒンデルにより設計、竣工している。外壁が綺麗に修復されていて、戦前の近代建築に見えない。僕自身の記憶では、初めての訪問であるが、それは、あくまでも僕の記憶に残っていないだけである。何を隠そう、僕が産声をあげた病院そのものなのである。

僕の出生した病院であることからもカトリック・イエズス会系の病院であることがわかる。蛇足ながら、特に産科は、高い評価を受けているとのことだ。

 

 

【メモ】

連日、テレビは、ジャニー喜多川氏の性加害問題を報じている。性加害問題そのものは、僕の理解を超えている。その一方、BBCドキュメンタリーが事件を報じるまで、日本のマスコミが、沈黙を続けたことに対して、残念ながら「マスコミって、そんなものでしょ」といった気持ちだ。

 

マスコミは、基本的に“嘘”は報じないが、事実のすべてを報じている訳ではない。ジャーナリストは、自身の最も伝えたいことを伝えるし、その障害となる事実は、あえて伝えようとしない。このように書くと、とんでもない判断をしているように聞こえるが、至極真っ当なあたりまえの選択だ。ジャーナリストの友人も認めていることだが、そこが、マスコミの限界なのだ。その現実を我々大衆は、知らなければならない。

 

海外マスメディアのBBCが、ジャニー喜多川氏の死後に報じたのである。ある意味で“あとの祭り”。第二のジャニー喜多川が、存在していれば別だが、それがなければ、ただただ、あと始末が始まるだけだ。

 

我々が学ぶべきことは、「何もしない」ことが、糾弾され、罪を問われることもあるってことだ。

 

 

旅は続く


美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/アラカルト

2023-09-03 10:02:19 | 旅行

2023年の記録

7月と8月、2つの自宅から1.5時間圏内のプチ散策の記録。

 

 

8月の盆休み前までは、雲一つない晴天が続いていた。僕の好みでは、白い入道雲のアクセントが欲しいところだ。

 

 

撮影旅行シーズンである7月、8月であるが、私事の弔事(義父葬儀と相続問題、昨年に続き30年来の友人葬儀)が続き、さすがの僕もカメラ片手に放浪できなかった。記録的極暑が続いたものの8月の中旬以降は、真っ青な空と映える白雲のある僕好みの天気が続き、夕焼けも西の空が美しい紫色に染まる日が続いたので、残念に尽きるが、これも運命。行けないところには、行けない、行けるところで、楽しめばよいのだ。

 

 

八方湖は、矢板から塩原に抜ける栃木県県道56号線脇の「山の駅たかはら」から奥に入ったところにある人造湖。かつては、紅葉の名所として紹介されていたが、数年前に立入禁止となった。(現在は、入り口の一角だけが開放されている。) 湖や周辺山林は、私有地であるため、致し方ない。立入禁止となった原因は、「安全上の理由」とされているが、心無い人たちの不法投棄なども立入禁止の原因なのかもしれない。

 

 

「山の駅たかはら」から塩原方向に進み、県道脇のパーキングスペースから10分ほど下ったところにおしらじの滝がある。エメラルドグリーンの美しい滝つぼがあるが、訪問時は、あいにくの渇水で、滝は流れていなかった。

 

 

茨城県笠間市友部にある“謎の教会建築”を訪問した。シャペル ヴィエルジュ(結婚式場)跡地である。映画やドラマのロケ地になったところであるが、基本的に公開されていないため、柵の外から覗くしかない。現在は、グーグルアースからも消去されているので、まさに“秘密のチャペル”である。

 

 

シャペル ヴィエルジュ訪問のあと、カトリック水戸教会を訪問した。聖堂は、意外に古く1952年(昭和27年)献堂である。訪問当日は、水戸市の夏祭り(黄門まつり)で、交通規制が厳しくゆっくりできなかったことが、心残りである。

 

買い物で途中下車したJR川口駅から見た夕景。旅先で見る夕景に感動するが、身も蓋もないことを言うと、どこの夕景も感動的なのだ。ただ、忙殺された日常には、夕景を眺める時間と心の余裕がないだけ、見る側の問題なのだと思う。

 

 

広島、長崎の原爆投下の記念日、終戦記念日、そして盆が終わると、土用波が建ち、海水浴が禁止される。花火を見ていると意味もなく涙が流れるのは、一瞬の輝きのあとに消えてゆく閃光のためだろうか。宿題や日記を「明日やる」を繰り返して、夏休みの終わりが近づく。結局は「もうムリ!」、徹夜するより先生に思いっきり殴られる方が楽と開き直る。震災記念日、つまり9月1日の新学期は、廊下の正座で始まる。

 

 

【JUST NOW】

福島の原発処理水(汚染水)海洋放流問題。そもそも、“処理水”と表現するか、“汚染水”と表現するかで、その人の認識が推し測られる。海洋放流そのものの是非については、あえてスルーする。それ以前の“そもそも”に対する僕の素朴な疑問を記録することにした。

 

放流水(中立的な意味で、以後“放流水”と表記する)、そのものの詳細は、ほとんど取りあげられていない。「ALPS(除去装置)で、取り除けないトリチウムだけが含有しているのか?」というと、違っていて、他の放射性物質も100%除去できる訳ではない。除去できない放射性物質が、どれくらいあって、その影響の多寡は、議論されていない。

 

トリチウムを含んだ放流水は、日常的に中国の原子力発電所から放流されている。トリチウム濃度は、福島のそれより高い。しかし、ほんとうの論点は、件のトリチウム以外の放射性物質(かもしれない)で、福島の放流水とは別ものだといった話を聞いた。

 

トリチウムの濃度を議論する人がいるが、廃棄物の濃度は、どうにでもできるマジックがある。かつて、産業廃棄物処理プラントの製造に従事していた経験から言うと、世の中の廃棄物処理の大半は、有害物質そのものを無害化している訳ではなく、単に薄めているだけだ。アルコール度数が低いビールだからとメガジョッキで何杯も飲めば、アルコール度数の高い白酒をグビっとやる以上のアルコール摂取量になるのと同じ理屈だ。

 

日本政府は、福島の漁業関係者への説明、説得を続けていたが、僕にはピントがずれている気がする。ハッキリ言って、漁師自身が放流を嫌悪しているのではない。消費者が、放流後の福島産水産物を忌避することを危惧しているのだ。要するに一般消費者への丁寧な説明がなければ、漁師自身が安全を確信しても、福島の水産物は売れず、商売にならなくなる。

 

日本以上に情報統制されている中国で、しかも日本以上に“政府”への信頼の低い中国の人たちが、放流を忌避するのは自然だと思う。曲がりなりにも、民主的な選挙を通じて信任された“我々の政府”が、トンデモナイ判断や隠蔽などしないだろうと無意識に考える日本人と1割のエリートである共産党員以外は、まったく関与も接点もない形でトップが決まる中国とでは、思考の根っこが違うのではなかろうか。

 

 

旅は続く