Being on the Road ~僕たちは旅の中で生きている~

日常の中にも旅があり、旅の中にも日常がある。僕たちは、いつも旅の途上。

美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/さらば東京の夜

2024-03-24 21:07:29 | 旅行

【お詫び】2週間ほど前からGooBLOGにスマホからアクセスできなくなりました。ただでさえ、クルマ通勤になりアクセス時間が確保できず、皆さまのBLOG拝見の機会減少に輪を掛けてです。鋭意、復旧を試みていますが、今しばらくのご無礼をお許し願います。

 

2023年の記録

2023年・冬、コロナ禍が終息し、夜の東京駅周辺を散歩した時の記録。

 

 

2028年3月の高さ390mを誇る超高層ビル「トーチタワー(Torch Tower)」竣工に向けて、朝日生命日本橋ビルの解体が、ほぼ完了した。

 

 

 

 

高層ビルが連なる東京駅日本橋口、ビルの隙間から晴天の夜空が覗く。

 

 

八重洲口に拡がる飲み屋横丁。コロナ禍で淘汰が進んだもの少しずつ賑わいが復活している。

 

 

東京駅構内を抜けて、西側の丸の内口にある美しい赤レンガ建築の駅舎。

 

 

【メモ】

最近、自宅の愛犬の具合が良くない。チワピン(チワワとピンシャのミックス犬) メス 15歳。年齢も年齢だからどうしようもないのかもしれない。食が細くなり、エサ皿からエサを食べられなくなり、運動量も減り、昼間眠り、夜に部屋の中を徘徊することもある。その様子を見るのは、とても悲しい。それは、明日の我が身なのかもしれない。

 

僕の両親は、比較的若く亡くなったので、老いた両親を知らない。老いた自分というものも想像できない。でも、生きていれば、確実に到来する現実なのだ。

 

以前、会社の上司の母親が亡くなったとき、上司は、「ホッとした」と言っていた。痴呆症で、徘徊や奇行を繰り返していたと聞いていたが、そのこと自体の煩わしさではなく、子供の頃の優しかった母親の美しい記憶に奇行を繰り返す痴呆症の母親の記憶が上書きされて、消えてしまうことを憂慮していたという。

 

ポケットの中に入ってしまうほど小っちゃかった仔犬が、あれよ、あれよという間に成犬になり、急な階段を登って二階の居間に来るようになった。老犬となった今は、抱っこしてやらないと、2階には、来られない。犬も人も、そして社会も、「できなかったことが、できるようになる」時代が終わると、「できたことが、できなくなる」のである。幸い僕は、過去の自分を目標に頑張った経験もない。しかし、確実に到来する「できたことが、できなくなる日」に言い知れぬ不安を感じている。

 

 

旅は続く

 


美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/函館4日目

2024-03-09 22:14:12 | 旅行

2023年の記録

帰京する日の朝、赤レンガ倉庫群と末広町を散策。その後、昼すぎのフライトまで、JR函館駅前で時間を潰した4日目の記録。

 

 

赤レンガ倉庫街での散策、買い物も今日が最後。

 

 

HakoBA Hakodateは、伝統的建造物群に近く、ホテル自身が歴史的建造物であることから投宿を決めた。立地は、文句なく◎だが、シェアキッチンで自炊するか、中2階のレストラン&バーを利用することになる。函館で話題の“朝食バイキング戦争”とは無縁になってしまった。ちょっと残念。

キャリーバックがなければ、ブラブラと駅まで歩ける距離であるし、ブラブラあるいて楽しい街だ。

 

 

日本近代建築の1類型にすぎない赤レンガ建造物であるが、インパクトは強く、赤レンガ・フェチには、堪らなく魅力的だ。

 

 

最後の散策は、赤レンガ倉庫に隣接する末広町。一階和風二階洋風の函館洋式の家屋がならぶ。文明開化、大正モダンの風が、函館の街に吹く。

 

 

朝の散策から1度ホテルに戻り、さらっと仕事のメールをチェックしたあと、チェックアウト。末広町電停から市電でJR函館駅へ移動。

 

 

JR函館駅発着は、北上して新函館北斗(新幹線乗換駅)、札幌に繋がる函館本線と西に延びる (第三セクター鉄道・旧江差線)。アルミボディの函館本線には、興味が沸かないが、旧国鉄時代に製造された道南いさりび鉄道キハ40形は、塗装色は、カラフルになっているが、懐かしくなってカシャ!

 

 

函館最後の食事、ほんとうは、海鮮丼といきたいところだが、昨日のガッカリのトラウマから安心印のラッキーピエロへ。あえて変わり種は選ばず、最もオーソドックスな「ハンバーガ」を選ぶ。

 

 

お土産の試食を兼ねて、メルチーズ生キャラメル プティ・メルヴィーユと珈琲のセットを注文。試食合格、お土産決定となりました。蛇足ながら、僕は冬でもアイス珈琲を愛飲。

 

 

【メモ】

函館旅行からすでに2ヶ月半が経過した。その間に色々なことがあったが、世界にとって良い話は稀。日経平均株価が、最高値を更新するも、好況は感じられない。株価は、マネーゲームの様相。

 

「モノを買う仕事」携わっているので、簡単に解説すると、モノの値段は、「モノを買うことによって得られる価値(効果)」、「モノを作るための原価+利益」のどちらかで決まる。「発注企業に原価の上昇分値上を受け入れなさい。」といった政府主導の“値上令”は、後者に由来している。しかし、これが、機能するのは、「需要≧供給」の時。景気が悪化すれば、 (利益を削って) 値下してでも、販売量を確保して、利益の総額を維持したいと考えるのが、売り手の理屈。最後に貧乏くじ(賃金相場の下落)を引くのは、株価などと無縁の一般庶民じゃないかな。

 

株のことは、門外漢だけど、株も土地も持っているだけでは、利益を生まない。持ち株がっても、それを売ったときだけで、夢は終わる。リスキーな売買ゲームに参戦しないと、夢は続かないのだ。

 

 

旅は続く