2020年の記録
桃の花、ほんとうに花の写真はむずかしい。まったく刃が立たない。
野木町は栃木県、古河市は茨城県だが、市外局番は、ともに「0280」で、平成の大合併では、県跨ぎの合併の話もあったが、財政の豊かな野木町が、提案を解消したようだ。野木町には、財源となる優良企業が入居する工業団地があり、ゴミの焼却熱利用の入浴施設を持ち、休耕田でひまわりを栽培し、町のPRに使うなどの活動をしている。ちなみに“お金持ち”の野木町にふられた古河市は、財源の豊かな総和町を合併吸収した。
古河市は、茨城県の最西端に位置し、県庁のある水戸市や土浦市方面へ繋がる鉄道もない。一方、埼玉県から栃木県へ繋がるJR宇都宮線(東北本線)に古河駅がある。地図をよく見ると、埼玉県、栃木県と接しているほか、半径10キロ圏内に千葉県野田市、群馬県板倉町がある。
古河市のクルマ屋のオヤジ曰く、「古河で一人前になったクルマのセールスは、どこに行っても通用するよ。」 新車ディーラーは、県単位なので、顧客が県内で複数の店から見積を取っても価格統制されている。だから競合させるには、県跨ぎで見積を取らないと意味がないのだが、古河の顧客は、茨城、埼玉、栃木に加え千葉、群馬の5県から見積が取って、ぶつけてくるので手強いという訳だ。実際、僕もクルマは、3台続けて古河で買っている。
旧下野煉化製造会社煉瓦窯に行ったもののあいにく閉館。隣接する「こびとカフェ@陽だまりレンガ広場」で、窯焼きピッツァを食べた。早朝ではないが、空気が澄み、青空が美しい。
※野木町の煉瓦窯は、ホフマン式の煉瓦窯で、明治23年(1890年)から昭和46年(1971年)まで赤煉瓦を生産していた。昭和54年(1979年)に国の重要文化財指定、さらに平成19年(2007年)に「近代化産業遺産群」の一つに選定さた。
県境を越えて茨城県へ。古河公園は、桃が開花、桃まつりの時期だが、桃まつりは、コロナのため中止、しかし、園内への入場は可能で、桃の花を見ることはできた。
【メモ】 野木、古河を散策した3月15日には、日本でもコロナを意識した生活が始まっていた。それでも、暖かくなれば、コロナは終息すると楽観していた。一方、中国はピークをすぎ、海外からの逆流入警戒へとシフトした。
旅は続く
お邪魔します。
市町村合併では、表も裏も綱引きがあるのは、
何処も同じですね。
わが津幡町も、南の金沢市、北のかほく市、
西の内灘町とお誘いはあったようですが、
丁々発止の末に独立独歩を選んだとか。
ホントに花の写真は難しい---。
同感です。
では、また。
こんばんは
市町村合併は、色々ありますよ。
先般ご紹介した栃木市と小山市。
合併直前まで、双方とも「実質的には、我が方が吸収するのだが、相手の顔を立てて、対等合併と言っておく」と思っていた訳です。土壇場で、市役所は、どこ?新しい名前は?となって、同床異夢が判明して解消です。
りくすけさんお住いの津幡町は、独立独歩で良かったと思いますよ。仮に金沢市と合併していたら、金沢市の大きな傘の下で、福利厚生施設を利用できるなどメリットもあるかもしれませんが、地方交付税交付金の大半は、市中心部に投下され、人口の少ない周縁部には、びた一文落ちないなんてこともありますからね。
花の写真はむずかしい、でもりくすけさんの最新版日記の最後の1枚、素敵ですよ。
では、また。
古河市って親戚がいるので行った事がありますよ。両親とも兄弟が多くて色々な場所に散らばっているんですが父方が元々下妻藩、水戸藩ミックスなんです。下妻でおじさんの家に通夜に行った後、その子供の家が古河市にあるのでいとこ同士で広い家に泊まりに行きました。
結構な昔の話で古河市が埼玉県と栃木県の県境だと言う事もまるで意識していませんでした。
その頃は総和町を吸収していなかったはずですが、それでもやたら広かったです。
とにかく広い土地を延々と走った覚えがあります。
殺風景に思えた古河市に綺麗な桃の花の咲く公園があるのでほっとしました。
桃の花、青空の下、とても綺麗に咲いているお写真です。
おはようございます。
ななだいさんと逆で、僕は、旧古河市は、狭いイメージでした。しかし、今は、総和町に加え三和町も合併して、“広大”になった感じ、山がなく、平地が広がっています。駅はないけど、新幹線も走っています。
余談ですが、古河駅近くには、「まるまん」という、比較的中国の餃子に近い皮が厚く、丸い餃子屋さんがあります。地元では有名ですが、僕自身は、まだ、行ったことがありません。
あの日、空は、ほんとうに青く、綺麗でした。
では、また。