Being on the Road ~僕たちは旅の中で生きている~

日常の中にも旅があり、旅の中にも日常がある。僕たちは、いつも旅の途上。

美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/金沢、輪島

2020-12-31 22:07:15 | 旅行

2019年の記録

美しい日本、白米千枚田の夕景

 

今回の白米千枚田(しろよねせんまいだ)は、奇跡的に多くの条件が揃った結果の訪問である。つまり、週末の、それも午後4時前の早い時間に仕事が終わったこと、夕陽を拝める好天、そして田に水が張られ、稲の丈が伸びない5月中旬といった季節。

 

金沢からは、有料道路が延び、渋滞もなく、白米千枚田までは、快適なドライブだった。

 

金沢という街、しっとりした落ち着きのある良い街だと思う。活気があって、喧騒と猥雑さに溢れた中国の街と対極の魅力だ。中国人の旅行者が大挙して訪れる理由が僕には良くわかし、それによって街が潤っているのも良くわかる。何しろ、金沢駅前のホテル代の高いこと、高いこと。ただ、お金を落としてくれる中国人旅行者にあえて無理な注文をすると、是非とも金沢へは、個人旅行でお願いしたい。なぜなら、中国人団体旅行者は、喧騒そのものを持ってきてしまうのだ。静かな街が、騒がしい街に変質してしまう。1人1人は、気の良いおじさんおばさんたちなのは、重々承知なのだが。(地元民でもない通りすがりの旅行者が偉そうにすみません)

朝、天気が良ければ、自転車を借りて市内の気になるところに行く。金沢は、“和”のイメージだが、どうして、どうして素晴らしい洋風建築がある。石川県第二中学校(現・金沢くらしの博物館)もその1つ。

 

金沢市から輪島市を目指し、ひた走った。白米千枚田は、輪島市街地を抜けた先にあるが、どうにか日没前に到着。絶景をご覧あれ!

 

輪島市内で宿泊、翌朝、再度訪問。見事な棚田であるが、夕景には敵わないかも。

 

旅は続く

 

お読みいただきました皆様、約4ヶ月ありがとうございました。

2021年も宜しくお願い致します。

 


重慶の街角から 第4回(重慶)

2020-12-29 00:01:21 | 旅行

2019年の記録

次の目的地・日本へ。僕の旅に“次の目的地”は、あっても終わりはない。

 

重慶で2泊、しっかり休むことができた。空港までは、地下鉄で向かう。荷物が少なければ、時間も正確だし、安いしで、ありがたい。

 

その重慶の地下鉄だが、ホームドアの前にはステンレスのポールが突っ立ている。日本で、このポールがあったら邪魔なだけだが、重慶では魔法のポールだ。というのも、上海などの沿海都市は別にして、地方都市で電車のドアが開くと、我先に乗る客は車内に入ろうとするし、降りる客はホームに降りようとする。日本のように降りる人が先といった暗黙のルールはない。(そんなことを守っていたら乗る前に発車してしまう、前回のエレベータと同じ理屈) 当然、電車の扉付近は、押し合いへし合いになるので、降りれず乗れずだ。そんな訳で、いっそのことポールで、乗り口と降り口を別にしてしまったのだ。(床に乗車と降車と書かれている) こうすると案外みんな従順なのだ。最近でこそ、空港職員や鉄道員に反発する乗客がでてきたが、ちょっと前までは、公安はもちろん役人、空港職員、鉄道員に反抗する人などいなかった。

 

この辺の理屈は、コロナ対策でみんな知っている通りで、自粛でかなりの統制がとれる日本と厳しい規制をしないと統制がとれない海外。しかし、最近、日本の自粛もだいぶ怪しくなってきた。コロナ前から感じていたことだが、日本人が急速に中国人化している気がする。一方、中国でも沿海都市部のホワイトカラーは、確実に日本人化している。

 

朝食は、包子(肉まん、豚まん)2つと煎鶏蚕(目玉焼き)、計7元(約120円)。だいぶ高くなった、むかしは3元くらいかな。それでも、中国製品が安いのは、人件費が安いからで、人件費が安いのは食料が安いから、食料が安いのは、農民の生活水準が低く、収入が低くても生活できるからだ。超簡単に説明すると、中国の農民の辛苦によって中国は大発展したのだ。

 

エッグタルト、都市部のコンビニでは、ふつうに売っている。味は日本と同じで8元ほど、日本の洋菓子屋では、高くて買うことはないが、中国では、思わず買ってしまう。

 

旅は続く

 


重慶の街角から 第3回(重慶)

2020-12-26 23:47:47 | 旅行

2019年の記録

洪崖洞は、嘉陵江沿いの斜面に作られた吊脚楼と呼ばれる重慶の伝統建築を利用した商業施設で、台湾の九份に加えて、千と千尋の神隠しのもう一つの舞台と言われている。

吊脚楼:斜面に長い柱を建てて高低差をなくし床を作る建築様式で、山と谷の多い重慶ではかつて多く見られた。

 

日が落ちたので、昼間に行った洪崖洞へタクシーで向かう。(昼間は徒歩で往復した。) 如何にも中国といった電飾を見るためだ。さすがに有名観光地、人、人、人だ。最上階から1階までは、エレベータがあるが、常時満員、ほぼ利用できない。圧倒的に利用者が多いからなのであるが、そこには、中国ならではの事情がある。

 

例えば、6階建てのビルの3階から1階に行くとき、昇りのエレベータが来ても乗らないで、降りのエレベータが来るのを待つ。これが日本人の標準的な行動だと思う。しかし、これだと中国では永遠にエレベータには乗れない。6階に一度上昇して下降してきたエレベータは、たいてい満員だからだ。エレベータに乗りたければ、昇りでも降りでも乗り込める隙間があれば、まず乗って自分のスペースを確保し、終着階まで行き、そのまま降りずに戻ってくるしかない。エレベータに限らず、圧倒的に需要に比較して供給が少ない中国人民の生き抜く知恵だ。(ちょっと大袈裟か?) 但し、ホテルの朝のチェックアウトやオフィスの退勤時間帯のように人の流れが一方向のときは、それはそれで良いのだが、上昇、下降とも、乗りたい人が多いと、どうにもならなくなる。つまり、一旦昇るないしは降って、昇る、降るを誰もがやると必要以上にエレベータに乗っている時間が増え、輸送効率が下がる。些細なことのようだが、中国人の行動原理が、個人レベルでは、合理的でも、全体で見ると、とんでもなく非効率なことの象徴だ。もちろん、中国人を非難するつもりは毛頭ない。むしろ、そのような行動に至る原因、モノが絶対的に不足した貧しかった過去があったことを理解して欲しいと思う。

洪崖洞脇を流れる嘉陵江に映る夜景

 

光の館と呼びたくなる洪崖洞、前々回の昼間の写真と比較してください。

 

電飾の話にスイッチしよう。電飾の凄まじさは日本の比ではない。僕がはじめて上海に行ったとき(省エネの概念のなかった2000)、人民公園前の歩道橋から南京西路(上海一の繁華街)を見ると光の川に見えた。実際、南京西路には、街灯がなくてもネオンの照明で充分に明るかった。ともかく中国人は電飾が大好きで、ちょっと大きな鉄道の駅は、大きく〇〇站と赤のネオンを掲げているし、鍾乳洞は、派手な色のネオンで飾られている。日本人には、趣味の悪い毒々しい色使いとか、自然景観が台無しとかとあまり評判は良くないが・・・。色彩感覚の国民性は、中国の写真展に行くと良くわかる。圧倒的にコントラストの効いた写真が多く、中国山水画のような淡い色使いの作品を見ることは少ない。

繁華街がネオンで染められるのは日本も同じだけど、日本より強烈に感じる。

 

 

旅は続く

 


重慶の街角から 第2回(重慶)

2020-12-20 22:40:30 | 旅行

2019年の記録

ビルの谷間の路地裏に広がるLost China

 

午前中に散歩に行き、昼すぎにマンションに戻って休んでいると濾州の友人からWeChatが入った。

「何で重慶にいるの?重慶、面白い?」

さすがの僕もムッとした。というのも、友人の実家のある濾州郊外の古鎮にマンションを買ったので、G.W.に遊びに来て、と言っていたので、重慶までのフライトを予約した。ところが、訪問の最終確認をすると、その頃は、上海に行っているとのこと。早割の格安チケットなので変更できない。やむなく重慶に2泊することにした。数ヶ月前の「G.W.に遊びに来て」と言ったことなど、完璧に飛んでいるのだ。そのことを返信すると、しばらく返事がない。友人に僕を招待する義務がある訳でもないので、僕もそれ以上何も言わなかったが、その後、暇つぶしにでも、と思ったのか、ゲームアプリをお詫びに送ってきた。僕は、ゲームの類は、まったく興味ないので、やれやれ。

 

夕方に再び散歩へ、細い路地から野菜の入ったレジ袋を持った人が次々に出てきた。ビビッときた、その先には、必ず生活者の市場がある。路地を入って行くと、思わずウォ~と唸ってしまった。10年以上前の北京オリンピックを機に消えた猥雑な中国が存在していたのだ。それまでの中国では、あたりまえに路上で生きた動物をその場で捌いて販売していた。鶏や家鴨はもちろん、生きた羊も路上でしていたのだが、僕が住んでいた山東省の片田舎でも、パッタリとなくなった。(法律で禁止された) 重慶は、内陸とはいえ直轄市 (北京、上海、天津に重慶。要するに大都会であることを意味する。) である。でも、2019年・春、リアルに存在していた。

 

僕は、中国に限らず都市では、旧市街や貧民窟のスナップを撮ってきた。不衛生で汚い光景のどこが良いのか?と思う人も多い。特に外国語を話す友人の大半は、「そんなところ撮るなよ、もっと綺麗なところを案内するから」と。でも、僕は、この猥雑が好きで、すでに消滅した光景も含め、その写真と記憶は、僕の宝物だ。

ビルの谷間に連なる露店街に何人の人がいるだろうか、少なくない数の人が、スマホをいじっている。それでも、この光景にシャッターを切ったのは、僕だけだろう。いずれ消える日常風景を記録に残すのは、酔狂な異邦人だ。

 

旅は続く

 


重慶の街角から 第1回(重慶)

2020-12-19 17:53:06 | 旅行

2019年の記録

 

昨晩、重慶に着いた。

 

ゲストハウスに着いたのは、突拍子もなく遅い時刻ではないが、とっくに暗くなっていて、屋台も店じまいをはじめていた。

 

重慶から高速バスで数時間のところに友人がいるので、重慶空港は、はじめてではないが、重慶の街ははじめて。ひとことで表現すれば、「This is China」だ。つまり、ウジャウジャ人がいて、みな機関銃のようによく喋り、空を見あげると、高層ビルがニョキニョキと立ちならびネオンに溢れている。

 

 

予約していたゲストハウスを探すがみつからない。住所のビルまでは辿り着いたが、肝心のゲストハウスが、みつからないのである。1階に旅行代理店があったので、そこで聞いたが、わからない。困り果てて、エレベーターから降りてきた旅行者風の女の子に聞いて、やっとわかった、というか、彼女が管理人のところに電話して、一切合切を仕切ってくれた。

子供部屋みたいなスイートなリビングとベッドルーム、それ以外にキッチン、シャワー、トイレがあり、1人では持て余す。

 

隣のビルの屋上は、庭になっていて、木々が茂り、小屋まであった、重慶人、恐るべし。

 

僕は雑居ビル内にあるゲストハウスの個室を借りたものと思っていたが、実はマンションの一室をまるまる借りるウィークリーマンションみたいなものだったのである。ほどなくして、管理人の男性が来てくれ、部屋まで案内してくれた。本来ならば、管理人とは、直接会わず、キーNo.WeChat(中国版LINE)で送られてきて、部屋を確認、問題なければ、WeChatPayで支払いチェックイン完了なのである。海外旅行は、言葉よりもシステムを知っているか、否かである。システムを知っていれば、どうにかなるものだ。

 

それにしても、見ず知らずの女の子の助けがなかったらどうなっていたか?僕が中国で生活していて確信していることは、中国では、日本より高い確率で困りごとが発生する。周囲にいる人は、「不知道!(知らない!)」か、騒ぎ立てるかで頼りにならない。しかし、必ず、たった1人だけ救世主が出現し、「そこまで」と思えるほど、親切に世話をしてくれ、何の見返りも求めず去っていく。仕事でも、プライベートでも、この救世主に助けられてきた。その救世主が、人格者かというと、まったく、そんなことはなく、普通の人なのだが、何かのスイッチが入って、救世主になるのである。

 

毎晩の夕食にした羊肉串、ほんとに羊肉か?「不辣的!(辛くないの)」と注文したが、僕的にはちょっと辛くて丁度よい。

 

羅漢寺、日本だったら木に覆われた中にありそうな重厚な仏教寺院もビルの谷間に。

 

洪崖洞、重慶は長江と嘉陵江の合流地点にできた街だが、山が迫り、平地がない街なので、 斜面に建築物がへばりついている。

 

旅は続く