Being on the Road ~僕たちは旅の中で生きている~

日常の中にも旅があり、旅の中にも日常がある。僕たちは、いつも旅の途上。

東トルキスタンの青い空/ カシュガル 第4回

2023-01-28 17:00:19 | 旅行

2015年の記録

東トルキスタン最後の訪問からまる3年、正直、行きたくて、行きたくてしょうがないのだが、まだ、ちょっと行けそうにないので、8年前の写真で想いを馳せることにした、第4回。

 

 

皮を剥いだ羊がぶらさげられ、お客の希望する部位を切り取り量り売り。グロテスクに見えるが新鮮。そして、店主も客も陽気だ。

 

 

新彊ウイグル自治区は、中国の西方にある。その中でもカシュガルは、西端に位置する。非公式の新彊時間(北京時間-2時間)は、区都ウルムチを基準にしているので、さらに西方のカシュガルは、感覚的には、北京時間-3時間ほど。(北京時間は、日本時間-1時間)

カシュガルからクチャまでは、700キロ以上の距離、東京から岡山までに匹敵する距離、しかも、日本のような新幹線ではない。

 

 

人民路の北側、エイティーガル寺院の周囲と職人街周辺、それに国際バザール周辺が、カシュガル旧市街になる。

 

 

国際バザール前から見た老城。はるか彼方に摩天輪が見える。

 

 

開場前でも、バザール前は、露店がならび、人、人、人。

 

 

バザールの開場まで時間があるので、人混みを避けて道路の反対側を散策。レンガと土の住居があり、ナン屋、果物屋、万屋もある。日本人と分かると、果物屋のオヤジがミカンを勧めてくれる。ありがたく頂いたが、ともかく、親日的。

 

 

肉屋の兄ちゃん、ボクサーのような面構え、殴り合いをしたら負けるだろうなぁ。(笑)

 

 

バザール内のレストラン、肉屋ではなく、あくまでもレストランの調理場が、店頭にある。そして、出来立てのポロ(羊肉とニンジンの炊き込みご飯、黄色いのがニンジン)。蛇足ながら、僕の好物、東トルキスタン滞在中の昼食の常食。日本にいても、骨付きの羊肉を使って、自炊するも、現地の味には、遠く及ばず。

 

 

バザール内のウイグル土産物屋。

 

 

19時といっても、ほぼ昼下がりに寝台列車に乗り、クチャへ。硬臥(2等寝台)3段の下段なので、いたって快適。軟臥(1等寝台)は、個室2段といっても、知らない人との相部屋なので、ある意味オープンの硬臥の方が気を遣わず良い。

市街地を出ると緑のオアシス、土漠と赤い岩山が続く、日本では、見ることのできない風景が続く。

中国の寝台は、乗車のあとに車掌にチケットを預け、下車駅近くに返却される。なぜ、そうなっているのか不明だが、とても便利だ。何しろ、下車駅に近くになれば、車掌が叩き起こしてくれるのだ。

蛇足ながら、新彊ウイグル自治区内の寝台バスでは、パスポートか、中国人民証を預けなくてはならず、これは気持ちが良いものではない。(途中の検問通過で必要なためだと思う。)

 

 

【メモ】

新型コロナ「5類」移行の方針を、政府が決定した。大雑把に書くと、ワクチンや治療療養費が、自己負担へと移行するってことだ。政府の本音は、財政的に耐えられなくなったってことだと思う。“コロナ禍”を何らかの形で終結させないと、支出は増え続け、税収は減り続ける。

自分自身が、コロナに感染し、何もかもが自己負担となるのは嫌だが、だからといって、何でもかんでも公費負担にしておけば、国の借金が増える。国の借金といっても、それは、国民の借金だ。自分の子や孫にその借金を背負わせることを考えれば、自分の代で清算したい。どうも国民は、“国の”となると、まるで他人事だ。

 

 

旅は続く


東トルキスタンの青い空/ カシュガル 第3回

2023-01-26 21:44:09 | 旅行

2015年の記録

東トルキスタン最後の訪問からまる3年、正直、行きたくて、行きたくてしょうがないのだが、まだ、ちょっと行けそうにないので、8年前の写真で想いを馳せることにした、第3回。

 

 

まるで映画俳優のような穏やかな老紳士。

 

 

新彊ウイグル自治区は、中国の西方にある。その中でもカシュガルは、西端に位置する。非公式の新彊時間(北京時間-2時間)は、区都ウルムチを基準にしているので、さらに西方のカシュガルは、感覚的には、北京時間-3時間ほど。(北京時間は、日本時間-1時間)

 

 

人民路の北側、エイティーガル寺院の周囲と職人街周辺、それに国際バザール周辺が、カシュガル旧市街になる。

 

 

夕方、エイティーガル広場で、混雑したバスを降りた時だ。「エッ!」、貴重品を入れたサコッシュのチャックが開いている。「まさか?」、見事に旅行資金十数万円の入った封筒が抜き取られていた。パスポートが盗まれなかったことが、不幸中の幸い。今、大騒ぎしたところで、還ってくる確率は、限りなくゼロ。自分でも驚くほど、冷静だった。

 

ひとまずエイティーガル広場のベンチに腰掛ける。財布に残っているのは、千元ほど、帰国するまでのチケットは、購入済なので、銀聯カードの使えるホテルに宿泊できれば、旅行を続けられる。何はともあれ、自業自得、友人に電話したところで、心配されるか、笑われるかである。実際、上海に戻り旅行資金をすられたことを友人に話すと、最初は、真顔で心配され、「上海まで来れば、カードがあるので大丈夫」と伝えると、「ウイグル自治区になんて行くから」と呆れられる始末。

 

 

エイティーガル寺院のクリーム色は、イスラムモスクとしては異例な色使いだが、カシュガルの象徴的な観光名所でもある。

 

 

30分か、1時間ほど、「僕からすった彼らの年収ほどの大金は、どのように使われるのか?」なんて、考えたところで、どうにもならないことを想った。

 

 

何とか気持ちの整理をつけて、旧市街の散策を開始する。ちょっと歩くと、小ぢんまりとしたモスクがあり、建築中の家屋があり、人なつこい子供たちがいる。

 

 

旧市街には、ハンドメイドの金物屋がならぶ。

 

 

店頭に豊富なパンがならんでいる。

 

 

質素な夕食といっても、僕にとっては、ご馳走。ジク・カワープ(羊肉や鶏肉の串焼き)にサムサ(煉瓦の釜で焼く羊肉パイ)。

 

 

【メモ】

最近の“イイとこ取り”の日本の世論に辟易としている。小売価格の値上をしない企業が称賛される。それでいて、「企業は、積極的に仕入価格を値上しろ!」、「賃金をあげろ!」 どう考えたって、帳尻が合わない。

 

企業の内部留保も然りである。日本企業の内部留保は、国際比較でも多いが、それなりの内部留保があったからコロナ禍でも、一定の雇用を守った。もちろん、飲食、観光系などの非正規従業者は、貧乏くじを引かされた。欧米企業のように日本企業は、正社員をフレキシブルに解雇と採用を繰り返せない法的、社会的拘束があり、安定した雇用環境を維持している。GAFAのように日本企業が、正社員をビシバシ解雇でもしようものなら、日本は大混乱になるだろう。賃金が低くても、雇用の安定があるから物騒になったとは言え、まだまだ世界的には治安が良い方なのだ。まぁ、世論なんて、言いたい放題なのかもしれない。

 

 

旅は続く


東トルキスタンの青い空/ カシュガル 第2回

2023-01-22 13:43:05 | 旅行

2015年の記録

東トルキスタン最後の訪問からまる3年、正直、行きたくて、行きたくてしょうがないのだが、まだ、ちょっと行けそうにないので、8年前の写真で想いを馳せることにした、第2回。

 

 

ウイグル族は、子供が多く、街に子供が溢れている。(少数民族は、一人っ子政策の対象外であるが、朝鮮族、モンゴル族などの国家を持つ民族は、一人っ子政策対象だった。)

 

 

新彊ウイグル自治区は、中国の西方にある。その中でもカシュガルは、西端に位置する。非公式の新彊時間(北京時間-2時間)は、区都ウルムチを基準にしているので、さらに西方のカシュガルは、感覚的には、北京時間-3時間ほど。(北京時間は、日本時間-1時間)

 

 

人民路の北側、エイティーガル寺院の周囲と職人街周辺、それに国際バザール周辺が、カシュガル旧市街になる。

 

 

老城を一望できる摩天輪へ。老城は、ウイグル族の伝統的家屋が集積して建設されたもので、黄土色の要塞といった感じである。

摩天輪そのものは、開店休業の状態で、僕のためだけに動かしてもらった。

 

 

摩天輪の基礎に貼られたウイグル語一色のビラ。(数字は携帯の電話番号)

 

 

旧市街にあった、老城を描いた壁画。

 

 

“地球の迷い方”に載っていたバスターミナルを探して天南路をウロウロしていたときにスクータに乗っていたおじさん、喜んで撮影に応じてくれた。

 

 

 

半日、網の目のように張り巡らした旧市街の路地を散策。僕の好きなビスケット調のレンガと土壁の街なみ、街角にあるモスク、

フレンドリーでウイグルの人たちとのふれあい、幸せな時間。野暮な解説不要だ。

 

 

 

人力で捏ね回して作るアイスクリーム、日本では、見ることのなくなったエコロジー。もちろん、濃厚でシャキシャキの味は、Goo!

 

 

【メモ】

“タイパ”って、言葉をご存知だろうか?タイムパフォーマンス、つまり時間効率のこと。映画やドラマも倍速で見るといった話を聞くと、複雑な気持ちになる。

 

映画1本、本来ならば2時間半楽しめるところ、1時間しか楽しめないのは、コスパ悪くない?と思うのは、サブスクに馴染みのない世代の発想。きっと、映画やドラマを見るのは、友人との話題に参加するための情報収集なのだろう。

 

賢人も愚人も金持ちも貧乏人も、最後は“死”という同じ終結を迎える。そのように考えると、人生は、結果ではなく、プロセス。どう人生を楽しみ、生きたかだろう。まぁ、どのような価値観、どのような生き方を選ぶかも自由だけどね。

 

そもそも、若者にそんな思考を植え付けたのは、僕の世代かもしれない。「報告書は、最初に結論を書け!」とか、「未来は時速60分でやって来る!」とかと、煽りまくった訳だ。

 

僕は学生時代、北海道のサロマ湖畔で年越しをしていた。年末、12月31日まで、アルバイトで稼ぎ、その晩、上野発青森行きの夜行列車に乗り、翌朝、青函連絡船で函館に渡り、札幌行きの特急に乗り継ぐ。さらに札幌発網走行きの夜行列車に乗り、網走から勇網線(すでに廃線)、常呂町営バスと乗り継ぎ、3日目の朝、やっと到着。カネもなかったが、それだけが、理由じゃない。1年に1度、遠さを感じるためだ。そんな話を今の若者にしたら、タイパの悪い面倒なオヤジと笑われるだろうな。

 

 

旅は続く


東トルキスタンの青い空/ カシュガル

2023-01-12 22:47:29 | 旅行

2015年の記録

東トルキスタン最後の訪問からまる3年、正直、行きたくて、行きたくてしょうがないのだが、まだ、ちょっと行けそうにないので、8年前の写真で想いを馳せることにした。

 

 

ウイグル族の小さな女の子は短髪が多い。なぜなら、女の子は1度坊主にすると、美しい髪が生えると言われているから。

 

 

新彊ウイグル自治区は、中国の西方にある。その中でもカシュガルは、西端に位置する。非公式の新彊時間(北京時間-2時間)は、区都ウルムチを基準にしているので、さらに西方のカシュガルは、感覚的には、北京時間-3時間ほど。(北京時間は、日本時間-1時間)

 

 

人民路の北側、エイティーガル寺院の周囲と職人街周辺、それに国際バザール周辺が、カシュガル旧市街になる。

 

 

1日1便の上海虹橋・カシュガル直行便に搭乗した。隣の席は、上海でウイグルレストランを経営する親族訪問帰りのウイグル人のおばさんだった。機内食 (さすがに豚肉は使っていないが、ハラール認証されていないのか、まったく手を付けない) をドーンと僕に差しだし、タッパーに入れて持参した自分用の料理までも、僕に勧めてくれるほど、フレンドリーだった。

 

空港を出ると、半強制的に乗合タクシーに押し込められ、新市街の新徳商務酒店に向かった。新徳商務酒店は、適度に安いというだけでチョイスしたのだが、この選択が、大きな代償の伏線になる。

 

 

カシュガル1枚目のスナップ。旧市街へ向かう解放路で、日本のおこしに似た菓子を売るお兄ちゃん。

 

 

昼下がり(といっても北京時間17時頃、実質時差-3時間)のエイティーガル寺院前の広場は、ゆったりとした時間が流れる。

 

 

旧市街の商店の看板は、アラビア文字表記のウイグル語が目立つ。

 

 

茶色のレンガとタイルの曲がりくねった路地、陽気なウイグルのやんちゃ坊主が、ポーズをとってくれた。

 

 

街角にある金属細工や銅銭の入った宝箱のオブジェ。

 

 

茶色の土壁やビスケットのようなタイル、ジク・カワープ(羊肉串)を焼く煙、薄暗いトンネルのように路地を跨ぐ2階、ラグビーボール型の西瓜・・・・・。中華圏と明らかに異なる中東の街が拡がる。

 

 

イスラム女性でありながら満面の笑みでスナップに応じてくれたウイグル少女。

 

 

店頭に設置された窯でナンを焼く職人の若者たち。

 

 

ドッパ(ウイグル帽)の男性やヒジャブの女性が行き交い、ナンやサモサ(羊肉ミンチのパイ)を売る店が並ぶ。

 

 

縫製、皮革、銅・真鍮の細工もの・・・・・の職人街。

 

 

将来、イケメン間違いなしの男の子。

 

 

ウイグルの女の子は、とびきり可愛い。

 

 

【メモ】

日本人の中国ビザの発給が、急転直下に停止された。日本が中国からの入国者への水際対策強化(陰性証明を義務付け)に対する報復措置であることは明らかだ。ひと言で言うと“残念”。もちろん、残念なのは、ビザの発給が停止されたことではなく、中国政府そのものである。

 

「コロナ感染爆発下の中国からの入国者は、国籍に関係なく、陰性であることを出国前に確認することのどこが差別的なのか?」

日本入国時に陽性が判明すれば、日本での隔離費用(隔離中の宿泊費、食費)は、政府丸抱え、つまり日本国民の血税での負担となる。中国のように入国者の自己負担ではない。陽性者を事前に排除することは、差別でも何でもない。

 

日本に入国できるのは、日本国民か、ビザ取得(日本政府が入国を許可した)者である。自国民や日本滞在者の隔離費用を自己負担にしないのは、コロナが2類相当感染症で、国内感染者の療養医療費を政府負担とするのと、まったく同じ扱いだ。それ以前にビザ取得者は、“外国のお客様”である。感染した客人から隔離費用を徴収するなど非礼そのものだと僕は考えている。

 

今、中国が“戦狼外交”ができるのは、経済力によるところだ。その経済力の源泉は、海外からの直接間接投資、貿易である。中国は、内需で経済成長を維持できるほど社会が成熟していないばかりか、一人っ子政策のつけである急激な人口オーナス(少子高齢化による経済不利益)期に突入する。そんな瀬戸際の時期に海外の不評を買う発言、政策は、愚の骨頂以外の何ものでもない。

 

 

旅は続く


美麗的日本和我 (美しい日本と僕)/下野探訪記 第12回

2023-01-03 12:29:09 | 旅行

2022年の記録

クリスマス・イブに野暮用で佐野と真岡に行ったときの記録

 

 

観光列車とは言え、リアルな産業遺産である蒸気機関車。C1266は、1933年(昭和8年)製、車齢90年。いずれ動かせなくなるかもしれない。

 

 

佐野市は栃木市を越えて、30分ほど北西に行ったところにある。一方、真岡市は、西側に隣接している。(厳密に書くと、今回の訪問地は、真岡市南端に接した茨城県下館市折戸)

 

 

カトリック佐野教会は、1953年(昭和28年)竣工、緑の屋根がある尖塔が目印となっている。

2022年のクリスマス・イブ、栃木県南部は、終日晴天の天気予報だったが、訪問した朝は、俄かに空は厚い雲に覆われ、風花が舞い始めた。

 

 

日本基督教団佐野教会は、1934年(昭和9年)竣工、木造2階建、鉄板葺、塔屋付の聖堂を持つ。カトリック佐野教会から至近距離にある。登録有形文化財

 

 

日本基督教団佐野教会から30メートルほど東に美しい洋風建築・旧影沢医院があったはず。しかし、見つからない、グルグル廻って撤去された跡の駐車場を発見した。文化財に指定されていても、消えるときは、消えるのである。近代建築を記録に残す価値を想う結果となった。

写真は、2018年2月11日訪問時の撮影。

1911年(明治44年)頃建築=詳細不明の木造2階建て、スレート葺き、外壁横板張りの外科医院、その後、日本クリケット協会事務局として使用されていた。2020年 (令和2年) 11月解体。

 

 

一旦帰宅した後、天気は回復した。さすがに佐野にとんぼ返りするまでの思い入れははなく、佐野とは逆の真岡市方面へ。真岡鉄道は、土、日曜日に1往復蒸気機関車が走る。観光列車であるものの1994年(平成6年)から30年近く運行しているため、すっかり日常の風景になっている。

 

 

【メモ】

2023年を迎えた。コロナ禍は、依然続いているもののウィズ・コロナとしての終息が見えてきた。一方、ウクライナ侵攻は、まったく終わりが見えない。年末に小泉悠さんの話を聞く機会があり、丸ごと同感だったので、メモとして残すことにする。

 

小泉さんは、ウクライナ侵攻(小泉さんは、ウクライナ“戦争”であると強く主張、今となっては確かに)後、東京大学先端科学技術研究センター専任講師の肩書で、TVに頻繁に出演している。それ以前は、“ロシア軍事オタク”に分類されていた人だ。彼は、「今回の戦争で、ロシアに擁護できるところはない」と言いきっている。彼のプロフィールからすると意外だ。ロシア軍の研究を続け、ロシアには強い思い入れがあり、ロシア人を妻としているのである。

 

彼は、ウクライナ戦争は他人事ではなく、ウクライナを見捨てれば、日本も同じ運命になりうると強く主張している。今の日本に限らず、世界各国では、次第にウクライナへの関心が薄れつつある。ウクライナは、遥か西方にある旧ソ連圏の遠いい国なのだ。しかし、彼の主張の根拠を聞くと、なるほどと思うし、ウクライナ戦争が他人事に思えなくなった。

 

彼曰く、世界の国は、チェスの“プレーヤー”か、“駒”である。アメリカ、ロシア、中国は、間違いなく“プレーヤー”であるが、ウクライナ、そして日本も“駒”にすぎない。ウクライナ戦争によるロシアの主張を1点でも認めてしまったら“駒”にすぎない小国の将来は、“プレーヤー”である大国の自由になってしまう。日本人の多くは、日本が“駒”であるとの認識すらない。アメリカ、ロシア、中国に囲まれた日本は、微妙なバランスの上に存在しているだけの“駒”である。

 

以上が、小泉さんの話。以下、僕の追考。

 

プーチンや多くのロシア人の一方的な感情は、ウクライナは、ロシアの不可分な属国である。その証拠は、スウェーデンとフィンランドがNATOに加盟しても別に問題視しないし、既にNATOに加盟しているバルト三国を攻撃するわけでもない。しかし、属国であるウクライナが、NATOに靡くことさえ許せないのだ。繰り返すが、ウクライナは、ロシアの不可分な属国だからだ。この感情は、極めて危険なことものだ。

 

日本の北方領土を日本地図で見ると、知床半島と根室半島の間に食い込んで存在する国後島、とても“外国”には見えない。北海道から国後の島影を見れば、その想いは強まる。“日本固有の領土”という観念に疑問はない。しかし “固有の領土”という概念さえない外国人もいる。領土とは、取ったり取られたりするもので、国の力関係によって、領有権は変わるものと考えている人が多数いる。だから、実効支配という事態になるのだ。

 

琉球(沖縄県と奄美群島)は、“中国の朝貢国”、これが、中華思想の根底にある想いだ。日中のパワーバランスが変化したので、“取り返す”と考えるのが自然な発想である。それを回避するために日本は増税までして防衛費を増額している。確かに、それは、それで、必要なのかもしれないが、それ以前に、「大国の一存で小国をどうにでも動かせる」を許してはならないのだと思う。ウクライナへの支援は、中立な立場ではなく、小国の立場で実行すべきなのだ。

 

 

旅は続く