小学生にして受験生だった俺は、バスで杉山公園にある塾に通っていました。小6ですでに身長が170を超えていたせいもあり(先生を含めても学校で一番背が高かった)バスに乗るのは本当に苦痛でした。俺が子供料金で乗ろうとすると、必ず運転手に止められたからです。今でも思いますけど、それを望む小学生には学生証を付与すべきです。小学生が必死に説明してんのに全く理解を示さず、仕方ねーなぁ、後に客も支えてるし、とっとと乗れよ、みたいな顔をした運転手が何人もいました。その時の嫌な気分はいまも忘れられません。
いや、それはいいんだった。
俺が善悪を考える際に必ず頭をよぎる出来事は、そんなところで起きました。
その日も運転手の白い目を振り切るようにしてバスに乗り込んだ俺。雨が降っていたせいで車内は少し混みあっていました。すでに座席はすべて埋まっており、俺はバスの中ほどのつり革につかまりました。塾までは20分くらいだし、立ってるのは苦ではありませんでした。ただ、俺の隣に立ってるオバちゃん二人組がウルせーのは嫌でした。
そして、いくつめかの停留所で少し腰の曲がったお婆ちゃんがバスに乗ってきました。風呂敷包みを小脇に抱えていたと思います。床も濡れていたし、俺は、あ、危ねーなあ、と思ったのですが誰も席を譲ろうとしませんでした。その時、隣のオバちゃん達が「あらー、お婆ちゃん大変ねぇ」「席を譲ってあげないなんて薄情なもんねぇ」みたいなことを大声で話し出したんです。それを聞いて、オバちゃん達の前に座っていた中年のサラリーマンがイソイソと立ち上がりました。お婆ちゃんは、サラリーマンとオバちゃん達に向かって一礼づつして腰を下ろしました。前から書いている通り、俺はかなりのお婆ちゃん子ですから、この時はオバちゃん達が少しカッコよく見えていました。
問題はその後。
オバちゃん達は自らの行動が世の中を正しい方向に導いたと勘違いしているようでした。そして、彼女達は、俺の斜め前に座っていた茶髪のお姉さんをターゲットにして、さっきと同じ調子で話し始めました。「私が若い頃はバスで座ろうなんて考えもしなかった」「そうよー。時代も変わったものよね」「自分さえよければいいってんだからねー」「髪の毛ばっかり気にして、周りのことなんか見てないんだから」「お婆ちゃんも災難だったわよ、ねぇ?」お婆ちゃんは困った様子で「はぁ」とか「ええ」といった生返事を繰り返していました。
「うちの娘があんな態度だったら、とっくに引っ叩いてるわよ」
ビーッ、という音がしました。お姉さんが、次の停留所で降りることを告げるブザーを押したのです。
オバちゃん達はますます勢いづきます。「あら、降りるみたいよ」「こんなに近くで降りるんなら、なおのこと席くらい譲っても良さそうなものよね」「ほんとよー」俺は、オバちゃん達は少し言いすぎかも知れないけど、でも、ご老人をないがしろにするような手合いは少々キツメに懲らしめとかないとな(ほんとに嫌な小学生だな)、みたいに考えていました。
バスが停まり、お姉さんはゆっくりと席を立ち上がりました。そのとき、バスに乗り合わせた誰もが「あっ」と思いました。お姉さんの右足が最初の一歩を踏んだ瞬間、彼女のからだ全体がカクンと沈み込んだのです。そして今度は、不安定に傾いた体を立て直すように左足を出して踏ん張ります。その繰り返し。みんな声も出ませんでした。きまりが悪そうに俯いてしまったオバちゃん二人組と、口をポカンと開けたままの俺のうしろを、お姉さんは長年の経験から体得したのであろう独特な歩調で、ひょこっ、ひょこっと通り過ぎていきました。
まあ、そんな話です。
いまだによく分かりません。オバちゃん達だけが悪いのか。他の乗客が悪いのか。オバちゃん達がいなかったら、お婆ちゃんは席に座れなかったかもしれません。ババアや身障は家に閉じこもってりゃいいんだよ、みたいなことをいう人もいます。(←本当にいるから腹が立ちます。俺としては、「そうか、それで街に残るのがお前(あなた)みたいな奴(人)ばっかりだったら地獄だね(ですね)」と、返事をしています)でも、結局のところ分からん。
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以下は、日本のヒップホップカルチャー(?)を創世記から牽引し続けるラッパーであるところのECDが、渋谷駅前で阪神淡路大震災の義捐金を募るボランティアについて歌った(?)曲の一部です。もうすでにラップではないこの言葉のなかに、俺があの時感じた後味の悪さを解き明かす鍵がある気がします。
だけどボランティアっていうのは本来「勝手にやる」、「見返りなんてどうでもいいから勝手にやる」という意味だと思ってたんだけど、ヘーイ、間違っているのかな、僕は。僕は分かんない。でもさ、人のためになりたいから「勝手にやる」。人のためになりたいというのはさ、つまり、その人がどういうことを希望しているかってことで、でも、そのための行動は「勝手にやる」ってのがボランティアだと思ってたんだ。でもさ、ボランティアで勝手にやっている人たちが「奉仕」だと思っている節が多くって、それって言霊の悪い使い方だと思うんだ。(中略)「人のためにやってるんです」っていう顔で来られたら誰だってムッとくるよ。酔っ払いだっていっぱいいるんだ路上には。酔っ払わなきゃいけない理由もいっぱいあるんだ街んなかには。だから、「僕は人のためになりたい、そういう人になりたいから勝手にこういうことしてるんです」という態度のほうがいいと思うんだ。
「SHIBUYA ANTHEM」 ECD
ちなみに、音楽に興味のない人も『ECDIARY』だけは読んでください。本当に世界の見え方が変わってきます。