吉元 大二

吉元 大二の心の庭

自分の体に訊く 6

2011-05-06 00:30:00 | 日記
今晩は。

前々回“ 体に訊く4”で丹田という言葉を使いました。

ご存じの方も多いと思いますが、私なりの説明をしたい
と思います。

丹田というのは“気”が集まる所。心臓に血液が集まり
また心臓から体中に向けて血が送られていくように、気
が集まり、発せられる所と考えています。

場所的には、臍下三寸(へそしたさんずん)とよく言わ
れていますがお腹の真ん中です。
と言うと、『えっ?大腸ですか?』なんて聞く人もいる
と思います。

では、お尋ねします。“こころ”というのはどこにある
のでしょうか?心臓ですか?それとも脳でしょうか?

ただ、心というものを表現する言葉の中に、心が痛む。
と言ったり、胸が痛むような出来事といったりします。
心づもり。心豊かな人、、。とも言いますね。

一方、丹田を言い換えた「ハラ」でいうと“腹の据わっ
た人だ”とも言うし“肝の据わった人だ”とも言います
ね。でも“心のできた人”とは言いますが“心の据わっ
た人だ”とは言いませんね、、、。

他に腹芸、腹は決まった、腹をくくった、、。などなど
この腹は、どこでしょう?大腸の真ん中?ですか?

そして、“心”と“はら”(丹田)とはどう違うのでし
ょう?

江戸中期の白隠禅師の導歌に
“心こそ、心惑わす心なれ、心に心、心許すな”という
有名な歌があります。
ことほど左様に“心”というのは、ころころと遷(うつ)
ろうもののようですね、、。
その意味では「はら」は全く違う感じがいたします。

ハラと言うより、丹田は体中をめぐる「気」の集まる所
そして体中に「気」を巡らせる所と言いました。ちょうど
「心臓が血液を送るように」

私は「気」とはエネルギーだと思います。エネルギーの
源が気で丹田に集められ、また体中に発せられていくの
だと思います。

だから、禅でも、武道でも、日舞でも丹田に「気」が
集中していないと何もできないことになるのです。

さて、ここで呼吸法に戻ります。息を吐くという時に
「気」が丹田にたまるからです。

次回、呼吸法の最後。息を吐く方法についてお話したい
と思います。

おやすみなさい。