エピローグになり、ルーツの話はもう済んでいるから、今回は孫からのハルモニとの思い出を書こうと思う。
まずはハルモニの声!!
ハスキーボイスの声がなんともいえない(笑笑)
そして、ハルモニの横によく居てた謎の女性サンチュン!!(笑)
あの方は誰なのか未だ謎!(笑)
次は、ハルモニの家にある物としまして、、、、、、、、
何と言っても年季が入っている「金日成首相」の肖像画!
ベロアの赤色生地で囲まれた「金日成首相」の白黒肖像画!(笑)
今はカラーの肖像画で、隣に正日さんがある二人の肖像画が一般的みたいだから、これは超レア(笑)
もしかしたら、ヤフ〇クやメル〇リで売ったら、買いたい人おるんちゃうか?!(売らんけど!ってか、買う人もおらんけど(知らんけど!))
本題だが、、、、
孫からみたハルモニは優しいハルモニだったのは間違いない。
私は一度だけだが、ハルモニの家でハルモニと二人だけで昼ご飯を食べた事がある。
ハルモニの家で夏休みに過ごしていた時、丁度昼ご飯時になった。
ハルモニの家から歩いて1分の私の家。
なので、家に帰ろうと思っていたが、ハルモニから「ご飯食べるか?」と。
私は「ハルモニ」ってみんなのハルモニであって、物凄く遠慮してたから、一緒にご飯食べるとは思っていなかった。
魚を醤油味で炊いたのん(鱈かな?知らんけど)を食べながら、緊張してたのを今でも覚えている。
緊張しすぎて、ご飯一気に食べた(笑)
すると、もう一杯食べるか?と言ってくれたが、大丈夫ですと言ってその場を後にしたのが、私のおもひで(笑)
また、よくビール貰いに行ってたな(笑)
親父が仕事から帰って来て、晩酌をするが、家に冷えた瓶ビールが無かった時、母から「ハンマニンとこ行って貰っておいで!」とよく言われ、その度に、ハルモニの所行って「ハンマニン、ビール貰って行くでぇ」と、家に入ってハルモニの冷蔵庫勝手に開けて、冷えた瓶ビール一本取って、ササッと帰る私。
礼儀も知らん、孫だと、母は義母に謝るが、
ハルモニは、「孫との間に何の遠慮が居るか!普通に入ってサッと持って行った方が、こっちも嬉しい!」って言ってくれたので、私の母も少しばかりホッとしたみたいだ。(笑)
私(筆者)が中学生になり、東大阪朝鮮中級学校(生野区巽西)に通学すると、その学校から共和病院は遠くないので、一度見舞いに行った事はある。
ハルモニも喜んでくれた。
家に帰り、ハルモニの所にお見舞いに行ってきたと話す私。
そして、月1回くらいはハルモニのお見舞い行けたら行くと言う。
私の親父は無表情であったが、心の中ではかなり喜んでいたみたいだ。
なので、親父がハルモニのお見舞いの時、息子がこんな事(月1回お見舞い行く事)言ってたと自慢げに話したみたいだ。
でも、お見舞い行ったのは、その回だけだった。
ハルモニの告別式も無事済んで、数日経った時、私の父親から叱責を受ける。
月1回ハルモニのお見舞い行くって言うたからには、ちゃんと行け!!!と。
これは今も心に残る反省点。
私のおもひではこれくらいにして、、、、(まだまだあるけれど、、、、(笑))
私の姉が言うには、言葉の相槌で使う「そうそう!」のチェジュサトゥリ「キヨキヨ」って言葉をよく話されていたとの事。
そう思ったら、済州島同士の人達が話しているのって、小学校でウリマル習ってても、サトゥリ(訛り)なので、チンプンカンプン(笑)
もう一つのエピソードとして、長姉がまだ幼い時、一緒に住んでいたハルモニは離れの所に住む事になったのだが、
大雨が降って、雷が鳴って大変な天気の時に、家の玄関で「ハンマニン(ハルモニ)の所に行く!ハンマニン(ハルモニ)の所に行く!!って泣きわめいた様だ。
見かねた母は長姉と傘さしてハルモニの所に行って、「娘がハンマニン(ハルモニ)の所に行く!ハンマニン(ハルモニ)の所に行く!!」って泣いて聞かなかった事をハルモニに説明したら、「そうか、そうかぁ、、」と、とても喜んでいたとの事。
あと、
朝鮮学校の幼稚園先生をしていた長姉が共和国訪問し、実家に帰ってきたら、家族は「旅行」
鍵持ってない長姉は家に入る事が出来ないので、歩いて1分のハルモニの家で一晩寝かせて貰う。
共和国行ってああだった、こうだったと話に花を咲かせたのは言うまでもない(笑)
さぁ、布団に入って横になり、電気も消し、暗くなって寝るよとなった時、長姉はこうハルモニに聞いた。
「ハンマニン(ハルモニのチェジュサトゥリね)、ハンマニンの故郷であるチェジュには行かへんの?行きたくないの?」
この質問にハルモニはこう答えたそうな。
「北に息子二人おるからな、、、、チェジュには行かれへん、、、、、」
その言葉に長姉は何も言えなかったみたいだ。
今もだが、北と南は対立しているが、1988年の頃は、もっと激しかった。
国と国の対立と言うより、総連と民団の対立が激しかった。(昔は何かと総連も体力あったからね、、、、)
次兄のハルモニの思い出は、ハルモニは指を動かしながら、記憶を辿って思い出すしぐさ、その、ハルモニの指をよく思い出すと言う。
あと、小学校の時、次兄は学芸会で独唱をしたんだけど、これにはハルモニ大満足!
色んな劇には誰でも出れるが、独唱は歌上手い子しか出来ん!ってね(#^.^#)
(歌った本人、緊張しすぎて、歌詞バラバラやったとか(笑))
あと、正月に一人一人歌を唄う時も、ハルモニは「〇〇(次兄の名前)が歌い」「〇〇(次兄の名前)が歌い」「〇〇(次兄の名前)が歌い!!」と数回言っていたのを私(筆者)が記憶している。
長兄は、長姉が幼稚園行きたくないと駄々こねた時があり、そのピンチヒッターで女の子の園服であるスカート履いて、幼稚園へハルモニに連れられて行った思い出(笑)
ハルモニは朝鮮学校の附属幼稚園の先生の所に行って、孫娘が行きたくない!って言うから、代わりにその弟を連れてきたって言ったみたい。
古き良き時代なのか、大らかなのか、よぉ分からんけど、ウリハッキョのソンセンニムも「エエですよ」って!!!(笑)(なぁんやそれ!!!)
スカートはかされて、お遊戯させられて、、、、、、、、、、、長兄はもういやや!!と帰ってきて開口一番言ったそうな。(爆笑)
(そんな長兄は赤ちゃんの時、ハルモニからしたら自慢の孫やったそうだ、こんな可愛い孫は何処にも居てないと誰にでも言ってたみたいだ(#^.^#))
ハルモニが共和病院に入院していた時、兄弟全員でお見舞い行ったけど、ハルモニの相手役は長姉がして、私らはにっこりにダンマリ(笑)
お見舞いきたのに、最後帰る時にはハルモニからこずかいくれて、恐縮するばかり(うそつけ!喜んどったやないか!)
次姉の思い出は、、、思い出しても笑ってまう。
病院に入院しているハルモニは正月にだけ、実家に来てみんなと祝うが、寝たままの状態。
色々事情があって、苦労している従姉妹(次姉と同級生)がいるのだが、ハルモニは次姉をみて、苦労しているなぁ、、、と涙を流す。
次姉もハルモニが涙を流すから感極まって涙を流すが、ハルモニ、、、、従姉妹だと思って、間違ってたみたい。(笑)
伯母たちが、ハルモニに、お義母さん!!この子ちゃう!この子ちゃう!あの子や!!!と言って、ハルモニは本当に苦労している従姉妹を見て、涙を流す。
これを笑い話で話すんやから大笑い!(うちの涙、、、返せ!:次姉談(笑))
うちの兄弟だけでもこんなに思い出話があるんやから、他の従兄弟達に聞いたら、物凄い量やろうなぁ。
でも、ここに挙げられるというのは、、、、書いたのが私なので、俗に言うアドバンテージ(笑)
従兄弟の方よ!!!!ハルモニとの思い出を書いて欲しいのなら、教えてくれたらこのブログに書き入れまっせ。(笑)
(もしくは、自分でブログするか、Xにでも書いてくんなはれ)
そんな思い出多いハルモニも1990年3月にあの世に、、、、、、
そんなハルモニに2025年現在、、、、、、、、、
あの時から35年経った今、、、、、、、、、、、、
伝えたい事があるので、それで締めくくる。
ハルモニ!!
いや、、、いつもの様に言わせてもらおう!
ハンマニン!
あの世で、お元気ですか?
ハンマニンの意志を継いで総連支部、分会活動に勤しんでいるヤンジニも、孫が産まれて、もうハルモニ、、、、いやハンマニンになりましたよ!
ハンマニンからしたら、玄孫(やしゃご)ですよ(#^.^#)
また、あの世からみてあげて下さい(#^.^#)
そして、三男の会社を三男の次男が継いで、一生懸命に頑張ってますんで、見守って助けてくださいね。
(欲を言うなら私(筆者)の売上欲しいからたのんますぅぅぅぅぅぅ!!!)
私もチャンガ行って、息子一人授かりましたよ!!(#^.^#)
もう、私も50代、、、、エライオッサンになりました(#^.^#)
これからもあの世から見守ってくださいね。(#^.^#)
(あと、色んな法事を止祭されましたけど、その上のご先祖様からお叱り貰わない様にしてくださいね。(笑))
もしかしたら、日本語忘れてしまってるかも知れんから、一旦ウリマルでも書いとこ。
함마님、잘 있수꽈?
함마님따라 총련지부、분회활동허는 양진이도 손지 태어나고 이제 할망 되었수다게!
말셋아들들의 회사도 말셋아들의 셋아들이 열심히 허영 분발허고 있수다양
경허니까 허영 잘----돌봐주십서양
경허고 저도 장가가서 아들허나 있는 아방 되었수다게!
허영 잘----돌봐주십서양
日本語、ウリマルの済州島訛りで書いたから、どっちかで分かるやろう(笑)
ハンマニン、、僕もチェジュサトゥリだいぶ話せるようになったでしょ?小学生の時はチンプンカンプンやったけど(笑)
(チェジュに強力な訛りの師匠が居てますねん、、、、、ハラボジ、ハルモニの土地の関係で結ばれたタクシー兄貴のお陰(笑))
ま、、、
今回、一族のルーツの事を書いて、色々と思い出して、楽しい時間でもありました。(#^.^#)
ルーツを書いた事によって、身近に思えたハラボジとハルモニで御座いました、、、、、、。(#^.^#)
それにしても、今回のブログ、、、、、
余談が多かったなぁぁぁ(笑)
「KISHIDA-DO(おわり)」
