紅葉が辺りを染めてくれたのは今月初め位までで、今はもう暦では冬が立っていますし落葉もすっかり色も褪せ寂しくなり、近々平地でも雪との予報。
季節感がひと月ほど遅れますが、北海道の職場では秋によく『観楓会』が行われます。
紅葉を愛でる会とは何とも風流ですが、実態は温泉に行って飲んで食べてと、ただ宴会の口実(?)で、昭和の時代には、結構やっている会社があったと思いますが、今は、どうなのでしょう?
札幌で手近な奥座敷というと定山渓温泉。その定山渓への鉄路として利用されたのが定山渓鉄道で、大正7年(1918年)から昭和44年(1966年)と、50年近く「定鉄」と親しまれましたが、現在は廃止。
私は乗る機会が無かったのですが、ビールとつまみ、乗車券をセットにした月見列車の運行(写真左下)など、マイカーが普及する前の時代、通勤に行楽にと人気だったそうです。
が、やがて後述する豊平駅での交通渋滞の問題や、山間部も多く宅地分譲発展の余地が少なくて、利用者拡大が見込みにくかったのが廃止の要因かな?とも思いますが。
そんな定鉄の跡を探し、石山陸橋から石切山駅まで歩いてみました。地図で緑ヶ丘という駅があった辺り?から下ってゆくと、定鉄跡地と書かれた看板がありました。
石山北公園に一部が残り、そこから先は公園の歩道。
ここからすぐ近くに石切山駅だった場所が残され、現在は石山振興会館として利用されていて、予めアポを取ると中も見せていただけるそうです。
そう遠くない所に石山緑地があり、昔の札幌軟石を切り出した跡が残されていますが、これが石切山駅から積み込まれてのでしょうか?支笏カルデラの大噴火から4万年の時を経ての札幌軟石、太古のロマン…とは少し違いますが、すてきな場所です。
さて、定鉄は白石や東札幌といった駅もあったそうですが、記念パンフレットが作られた頃の始発は豊平駅となっています。
今はループ化し、一路線だけとなった市電ですが、以前はススキノから豊平方面に行く豊平線も走っていて、菊水遊郭のあった大正時代は大門通という電停もあったそうですが、私が乗った時は無くなっていて、豊平_条と変っていましたが。
左は現在の豊平橋、右が昭和初期の古い豊平橋で、ゆったりと(多分)市電が走り、橋のたもとで子供達が石並べをして遊んでいます。こんな時代もあったのですね。
36号線を進んでいくと豊平駅跡で、ここで市電と定鉄が交わり、真駒内方面に路線があったのですが、今は平岸のあたりの緑地帯に名残りを留めるだけ。
そしてその先に白く覆われた屋根が見えますが、あれが地下鉄が地上に出る部分の覆いで、平岸方面から真駒内にかけての地下鉄の路線は、ほぼ定鉄が走っていた場所と重なっているそうです。
半年雪に埋もれる札幌ですから、地下鉄は大歓迎ですが、電車に乗り街並み過ぎたら豊平川の流れを見ながらビールの缶をプシュッと開け、定山渓温泉までゆったりと…そんな旅もして見たかったですね。
※路線図等は「つきさっぷ資料館」で拝見した「開業50年を記念して」を参照しました。