週刊なんとか

考えたことを放り出すためのブログです。

議論の落とし所

2013-06-26 22:34:45 | ガジェット
ある人が
「日本人は、他社と議論するときに、自分の意見と
相手の意見の落とし所を見つけるという議論ができない」
と発言しているのを見て、腑に落ちるところがあった。

日本が似非国際化していることによって、外国と
ディスカッションする機会は多いのだが、

日本人というのは、会議は
「他人に(自分の代わりに)考えてもらうため」

「自分の言い分を押し通す
ためにすると思っているようなのだ。

僕は、昔、会議で良いアイディアが他部署から出たので
「そっちでいきましょうか」
ということにしたら、あとで上司から
「会議中に意見を変えないでほしい」
と言われたことがある。やれやれ。

ディスカッションというのは、
・自分の意見があり、
・相手の意見があり、
・それぞれの意見が違う中で、
・合意点を見つける。
ためにするんだ。

だから、ディスカッションの結論は、議論前の
「自分の意見」でも「相手の意見」でもないもの
ならないといけない。でなければ、議論をする価値がない。

ディスカッションは喧嘩だと思っていて、
自分の意見が通ることが勝ちだと思っているなら、
議論をする価値もないし、議論する資格もない。

議論は協力的、生産的でなければならないんだ。



写真を撮るのを見ていること

2013-06-26 22:30:40 | カメラ
散歩しながらスナップ写真を撮ったりする。

僕の場合、撮る時というのは、
「撮るよ」
と体のほうが話しかけてくる。

そうすると僕は
「あ、そうなの」
と、体が写真を撮るのにまかせる。見ている。

うっかり
「もう少し寄って角度を変えたらいいんじゃない?」
とか口を出してしまうと、ひどい写真が撮れる。
だから、なるだけ邪魔をしないようにする。

体にまかせると、少なくとも僕自身ににとっては
面白い写真が結構撮れる。
それを見るのは楽しい。

僕にとっては、スナップ写真を撮るというのは、
体と会話しながら仲良く過ごす時間だ。


PENTAX MX-1

2013-06-21 22:17:32 | カメラ


Ricohの傘下入ってから特に鼻息の荒いPENTAXから、高級コンデジ、MX-1が発売された。

スペックが公開された当初、OLYMPUSのXZ-2のOEMじゃないかとか一部で言われたが、実際はスペックも違うし写りも違う。別モデルだったようだ。

で、実物を見てきた。
良いぞ、これ。

モードダイヤル、露出補正ダイヤル、コマンドダイヤルの3つのしっかりした大きさのダイヤルが右手の親指周辺に配置されており、使いやすい。
コマンドダイヤルを回した時も、(おかしなゲージとかが出ずに)数値だけ色が変わって変化するので、シンプルで見やすい。

メニューと始終にらめっこするのではなく、シンプルに露出と絞りとシャッタースピードを調整しながらシャッターを切るような人には、ぴったりと思います。
ネット上の作例を見ると、ボケが固めなので「柔らかくぼかしちゃいましょう」的カメラではないと思うが、言い方を変えればしっかりしたオフフォーカス。レンズ自体は非常に癖のない良い描写で、日常スナップには気持よく使えそう。

海外向けに企画されたモデルだけあって、全体的に国産モデルにありがちな「いろいろギリギリまで頑張ってます」感がなく、どっしりとした感覚だ。
神経質な国内モデルにしんどくなったら、これいいんじゃないだろうか。
これを触った後に他の高級コンデジやミラーレスを触ったら、どれもせせこましくて嫌になってしまった。

あ、そうそう、真鍮だからずっしりとか雑誌などに書かれたりしているが、実際は重いってこともない。スペックどおりだよ。可動液晶をつけたこのクラスのカメラとしては普通だ。(XZ-2とほぼ同じ。P7700はもっと重い)

Nikon1とデザイン思考

2013-06-12 23:58:33 | Nikon1
「デザイン思考」という開発アプローチがある。

主に工業製品でイノベーションを起こすためのアプローチの一つで、欧米ではかなり広まっている。

Nikon1という製品を見ていて、ふとこれはデザイン思考のアプローチで作られたイノベーションの、典型的な製品ではないかということに気がついた。

デザイン思考では、新製品の開発は、ユーザー(になるはずの人物)の行動を観察し、推測することから始まる。ユーザーの一連の行動を観察し、推測、対話することによって、そこに「テクノロジーによって解決することが出来る課題」や「新しい楽しみ」を見つけ出し、それに対して「解決方法」をデザインする。それが、イノベーションとなる。

Nikon1の場合はこうなる。

まず、ユーザーキャラクターを設定する。この場合、「カメラを趣味としているわけではないし、普段あまりカメラを使用しないが、旅行やイベント等にカメラを持って行って良い写真を撮りたいという若い男女」という感じだ。

次にその人がカメラを使用するシチュエーションを徹底的に観察、推定する。そうすると、次のような課題が見えてくる。

・コンデジやスマホを持っていった人。
「運動会を撮ろうとしたがピントもタイミングも合わなかった」
「暗い場所で綺麗に取れない」
「一眼レフみたいな、もう少し綺麗な写真を撮りたい」
「集合写真で一人だけ目をつぶっている・・・」
「カメラの設定なんて、触ったこともないし、触りたくもない」
「ビデオもカメラもとか、無理」

・一眼レフを持っていった人
「いざというときにカメラの操作が難しすぎて上手く使えない」
「背景が全部ボケボケ」
「大きなカメラは重いし圧迫感があるから持ち歩けない」
「望遠レンズは高価だし巨大すぎる」

それを解決するために、Nikon1という特異なカメラがデザインされていくわけだ。(コンパクトサイズ、適度に深い被写体深度、基本的にフルオート、スマートフォトセレクター・・・)

デザイン思考のもう一つの特徴は、この想定とアイディアを元にした素早く反復的なプロトタイピングだが、これは完成品からはうかがえない。しかし、これは言えると思う。
Nikon1のユーザーインタフェースは「開発者が本当に使ったのか」などと酷評されることもあったが、あのユーザーインタフェースはユーザーとの間で徹底的に検討されて練り上がったインタフェースなんだ。ただ、カメラ誌に記事を書くようなライターが使用想定者ではなかっただけだ。

デザイン思考をどうやって取り入れていこうかと考えていたのだが、身近にこんな具体的な教材があるとは、気づかなかった。

デザイン思考について、詳しくは「デザイン思考家が知っておくべき39のメソッド」をダウンロードして読もう。


50mmという画角

2013-06-12 23:53:55 | Nikon1

Nikon1 J1 + 1Nikkor 18.5mm F/1.8

50mm(換算)という焦点距離で撮った写真を並べてみると、それは写真を撮った時の撮り手をトレースしていくドキュメンタリーになる。

撮り手がその時時に
・何を見て
・何を感じて
・何を選択したのか
ということが、一枚一枚の写真の中に写って、流れとなる。

広角レンズでは写真の主役は被写体だ。
望遠レンズでも主役は被写体だ。当たり前のことなのだが。

ところがこれが標準レンズになると、写真の主役が撮り手に移ってくる
撮り手の意志が、写真に写る。
これが標準レンズの特別な魅力なのかな、と思う。

50mmで撮った写真を並べてみていると、その時の自分を追体験しているような、不思議な感覚がある。