ゲーテルの不完全性定理という理論がある。
科学者(とりわけ数学者にとって)は憂鬱な発見で、
どのくらい憂鬱かというと、発見者のゲーテルが引きこもりになって
とうとう死んじゃうくらい憂鬱な発見だった。
ものすごく簡単に言うと
「ある理論があったとして、それが正しいということを証明することは出来ない」
という理論である。
つまり、
なにか言ったとしても、
それを「間違っている」と証明することは出来ても
(矛盾や反証を上げれば良い)、
それを「正しい」と証明することは出来ない。
この定理により、科学者は、永遠に
「これが正解」という理論を持つことができなくなった。
科学者の夢を永遠に打ち砕いた定理だ。
だが、われわれ工学者は違う。
これは「進歩の無限性」を言う定理だ。
すなわち、いくら「もう限界だ」と言っても、
それを証明することは出来ない。
つまり、我々は限界を知ることが出来ない。
現在我々が知っている知識や理論で、
(これから我々が知ることになる知識すべても)
我々の進歩の限界を示せる知識や理論は一つもない。
我々には、常に進歩する可能性が残されていて、
それは決して閉ざされることはない。
なんと明るい定理ではないかな。
科学者(とりわけ数学者にとって)は憂鬱な発見で、
どのくらい憂鬱かというと、発見者のゲーテルが引きこもりになって
とうとう死んじゃうくらい憂鬱な発見だった。
ものすごく簡単に言うと
「ある理論があったとして、それが正しいということを証明することは出来ない」
という理論である。
つまり、
なにか言ったとしても、
それを「間違っている」と証明することは出来ても
(矛盾や反証を上げれば良い)、
それを「正しい」と証明することは出来ない。
この定理により、科学者は、永遠に
「これが正解」という理論を持つことができなくなった。
科学者の夢を永遠に打ち砕いた定理だ。
だが、われわれ工学者は違う。
これは「進歩の無限性」を言う定理だ。
すなわち、いくら「もう限界だ」と言っても、
それを証明することは出来ない。
つまり、我々は限界を知ることが出来ない。
現在我々が知っている知識や理論で、
(これから我々が知ることになる知識すべても)
我々の進歩の限界を示せる知識や理論は一つもない。
我々には、常に進歩する可能性が残されていて、
それは決して閉ざされることはない。
なんと明るい定理ではないかな。