週刊なんとか

考えたことを放り出すためのブログです。

契約社会2

2013-07-17 21:00:12 | 社会科
もうちょっとこの話を続ける。
ちょっと具体的に。

海外で製品を売るには国際規格に適合たり、
各国に申請しなければならなかったりするのだが、
これがまあ典型的な日本人の勘違いフィールドだったりする。

前項で述べたように、国際規格というのは、
「社会全体の合意」の明文化だ。
規格の根底には「合意」があり、それを上手く実現するために
規格を作ってガイドラインにする。

ただ、それを分かっている人ってあんまりいないんだよな。
だから皆、文面の字面を追いかける。
「規格の文面にこう書いてあるから、xxxxx」
などとゴリ押しをする人が出てくる。

文面は不完全であるのが前提なんだ。
その不完全な部分を埋めるのは、
潜在的な「合意」(常識といってもいい)による。


だから、文面の隙間を狙うようなことをしても
それはダメなんだ。
その隙間には、「常識」が埋まっているのだから。
恥ずかしいし、迷惑だし、
何より相手がこちらを「非常識」だと思って信用しなくなるから、

こういうことはやめよう。

(ちなみに、審査する方も同様で、
いろいろな審査機関を使用したが、
一番杓子定規なのが日本の審査機関だった)

契約社会

2013-07-17 20:57:15 | 社会科
日本が欧米の影響から契約社会的に
なって久しいが、
「本質的に契約社会というものを理解していない」
と思う場面がしばしばある。

契約社会というのは、本来、
1. 二者の間にある種の合意がされ、
2. 合意に基づいて物事がをすすめ、
3. 合意の内容を明確化するために文書化する。
という段階を踏む。
一番重要なのは合意であって、文書ではないわけだ。

ところが日本人は契約=文書だと思っているから、
1. 文書を作り
2. その文書を合意し、
3. 文書に従って物事を進める。
という手順を取りたがる。

相手と契約内容の話もせずに
自分勝手な(自社ルール的な)契約書を書いて相手に送り付け、
これで合意せい、などとゴネたりすること、
あなたの会社もやってない?

さらに、「文書に書いてありますから」等というのは、
こまったちゃんの感覚だ。
本人はグローバルな感覚のつもりなのだろうが、
さっぱりずれている。

文書というのは合意の明文化だから、
合意の内容に文書が沿っていない場合は
文書より合意が優先する。

もちろん何だかんだと争う時には文書をたてにするわけだが、
友好的に物事を進める場合は実際の合意の内容を
確認しながら進め、必要なら文書を直すわけだ。
文書をたてにするのは、
喧嘩を売っているということなんだよ。
(よく契約相手に喧嘩を売っている困った日本人がいるんだ)

疑念があったらまず相手と話す。
それが契約社会というものなんだ。


日本人の幸福

2013-07-08 20:55:00 | 社会科
日本人の幸福度(自分が幸福だと思っている割合と程度)というのは、かなり低いんだそうだ。

で、偉い人は言うわけだ。
日本人は、自分たちが物質的に豊だということを忘れがちだと。
それを思い出すことが大切だと。

しかし、こういうのは、
「物質的に豊かであるほど幸福」
という物質的幸福論にもとづいている。

物質的に豊かであれば幸福であるという理論は
幸福を理解していない。
たしかに日本は物質的には豊かであり、
医療は充実していて、治安がいいので、
生きるには困らない。

だがそれだから幸福だと思うほど、人間は単純ではない。

物質的に豊かなんだから幸福なんだという発想では、
日本人は幸福にはれないだろう。

物質的には豊かだが、社会に欠けているものがあり、
そのために人々は幸福ではない。
それが事実だ。事実を直視しない限り、何も進展しない。

欠けているのが何かは、ここには書かないが。