もうちょっとこの話を続ける。
ちょっと具体的に。
海外で製品を売るには国際規格に適合たり、
各国に申請しなければならなかったりするのだが、
これがまあ典型的な日本人の勘違いフィールドだったりする。
前項で述べたように、国際規格というのは、
「社会全体の合意」の明文化だ。
規格の根底には「合意」があり、それを上手く実現するために
規格を作ってガイドラインにする。
ただ、それを分かっている人ってあんまりいないんだよな。
だから皆、文面の字面を追いかける。
「規格の文面にこう書いてあるから、xxxxx」
などとゴリ押しをする人が出てくる。
文面は不完全であるのが前提なんだ。
その不完全な部分を埋めるのは、
潜在的な「合意」(常識といってもいい)による。
だから、文面の隙間を狙うようなことをしても
それはダメなんだ。
その隙間には、「常識」が埋まっているのだから。
恥ずかしいし、迷惑だし、
何より相手がこちらを「非常識」だと思って信用しなくなるから、
こういうことはやめよう。
(ちなみに、審査する方も同様で、
いろいろな審査機関を使用したが、
一番杓子定規なのが日本の審査機関だった)
ちょっと具体的に。
海外で製品を売るには国際規格に適合たり、
各国に申請しなければならなかったりするのだが、
これがまあ典型的な日本人の勘違いフィールドだったりする。
前項で述べたように、国際規格というのは、
「社会全体の合意」の明文化だ。
規格の根底には「合意」があり、それを上手く実現するために
規格を作ってガイドラインにする。
ただ、それを分かっている人ってあんまりいないんだよな。
だから皆、文面の字面を追いかける。
「規格の文面にこう書いてあるから、xxxxx」
などとゴリ押しをする人が出てくる。
文面は不完全であるのが前提なんだ。
その不完全な部分を埋めるのは、
潜在的な「合意」(常識といってもいい)による。
だから、文面の隙間を狙うようなことをしても
それはダメなんだ。
その隙間には、「常識」が埋まっているのだから。
恥ずかしいし、迷惑だし、
何より相手がこちらを「非常識」だと思って信用しなくなるから、
こういうことはやめよう。
(ちなみに、審査する方も同様で、
いろいろな審査機関を使用したが、
一番杓子定規なのが日本の審査機関だった)