NHK-BSでタイトルの番組を見ました。
トスカニーニ、ベルリン・フィル、そしてカラヤンと三回シリーズだったようです。
第二次大戦後から数十年間ベルリン・フィルに君臨した「帝王」カラヤン。
残された映像と、周辺にいた人物達のコメントから構成された内容です。
私がクラシック音楽を聴き始めた高校生の頃、時代はカラヤン一色でした。
他に活躍している指揮者は、バーンスタイン、ズビン・メータ、カール・ベームなど。
ちょっと下がって通好みのショルティ、ブーレーズ、ムラヴィンスキー。
小澤征爾さんはまだ「期待の若手」という扱いでしたね。
印象に残った言葉をメモしておきます。
■ カラヤンが指揮者になるまで;
カラヤンのキャリアはピアノで始まります。なんと4歳でコンサートを開いたとか。
しかしあるとき、あることに気づきました。
「自分が表現したいことは、この2本の手では足りない」
そして指揮者を目指したのです。
■ バーンスタインは彼自身が音楽そのもの、カラヤンは音楽を造った才人;
当時世界で人気と名声を2分した二人。
アメリカの指揮者バーンスタインは感情的で、一方カラヤンは理性の塊。
ふと、ヘルマン・ヘッセの「知と愛~ナルシスとゴルトムント~」という小説を思い出しました。
ストイックに生きる聖職者のナルシスと、愛に生きるゴルトムント。
人生の最後を迎えたとき、どちらが幸せだったか? と考えさせられる、余韻の残る小説です。
もちろん、「知=カラヤン」「愛=バーンスタイン」に重なりました。
日本の小澤征爾さんは、実はこの2大巨匠の共通の弟子です。
カラヤンの指揮ぶりを見ていると「小澤征爾さんに似ているなあ」と感じ、でもバーンスタインの指揮ぶりを見るとやはり「小澤征爾さんに似ているなあ」と感じてしまう私。2大巨匠の知的財産を受け継いでいるのですね。
■ カラヤンの耳;
ある曲のリハーサルで、オーケストラの団員は気づいていない程度ですが、どうしてもオーボエの息が続きません。本番ではそのパートのテンポを少し速くしました。オーボエ奏者は演奏が終わった後、「どうしてわかったんですか?」と聞いてきたところ、カラヤンの答えは「感じたんだよ」。
■ カラヤンの美学;
「美しいものは聴いても、見ても美しくなければダメだ。」
カラヤンは演奏を映画仕立てで撮影させた初めての指揮者でもあります。
依頼先は映画監督のクルーゾー。
DVDが発売されており、拝見しましたが、カメラワークが素晴らしい・・・と思ったら、実は「やらせ部分」があったと暴露していました。録音された演奏をバックに楽器を弾く姿を撮影した、云ってみれば「口パク」箇所があったそうです。
それほどまでに(悲しいほど)完璧を目指したのですね。
■ ワーグナーの魔力;
ワーグナーは「この曲を私の理想とするレベルで演奏できれば、演奏禁止になるだろう」と予言しました。「ベルリン・フィルで演奏して初めてこの言葉の真意がわかった。」とカラヤン。ワーグナーの音楽はベルリン・フィルのためにある?
■ カラヤンの魔術;
ベルディの歌劇「オテロ」の指揮をしているカラヤンの後ろの席にいた劇場関係者のコメント。
「カラヤンの体からほとばしるエネルギーがすさまじく、金縛りにあったように動けなくなってしまった」
そして体が火照って眠れず、一晩ザルツブルクの街をさまよったそうです。
別の話;演奏会のリハーサルでカラヤンも団員も納得する素晴らしい出来。カラヤンのコメントは「本番でもこの音に命を吹き込んでください」。
■ 世界一孤独な人;
インタビューに答えた女性(奥さんだったかオペラ歌手だったか・・・)のコメントにハッとしました。
たしかに楽団員にジョークを飛ばしている映像はありましたが、他人と打ち解けて談笑している場面はありません。
唯一、家族と過ごす時間、特に夫人と寄り添って散歩する様は微笑ましい。
一見、ベタベタしているだけにも見えますが、私には「カラヤンにも心底くつろげる相手がいたんだ」とちょっぴり安心したのでした。
自分に厳しく、他人にも厳しいカラヤン。
アルコールを飲んだ上での閃きなんか信じておらず、規律正しい生活の中に真の美を追究する求道者でした。
・・・晩年は「響きの美しさ」の強くこだわり、批評家からけなされたり、ベルリン・フィルとの確執があったりと必ずしも順風満帆のキャリアではなかったかもしれません。でも、もともと下積みの長い苦労人ですから肝が据わってました。
もっとも、「響きの美しさ」は後に「アダージョ」シリーズとしてクラシック音楽では異例のヒットを飛ばし、現代人を癒してくれたことは記憶に新しいですね。
バーンスタインとしつこく対比されていましたが、なぜかそれ以前のライバルであるフルトヴェングラーは出てきませんでした。
共演者として、若き日のパバロッティやプラシド・ド・ミンゴの姿もありました。
私は今でもチャイコフスキーの「悲愴」はカラヤン&ベルリン・フィルの演奏が一番好きです。あの濃厚で深い感情表現は他の追随を許しません。
20世紀が生んだ希有な才能です。
トスカニーニ、ベルリン・フィル、そしてカラヤンと三回シリーズだったようです。
第二次大戦後から数十年間ベルリン・フィルに君臨した「帝王」カラヤン。
残された映像と、周辺にいた人物達のコメントから構成された内容です。
私がクラシック音楽を聴き始めた高校生の頃、時代はカラヤン一色でした。
他に活躍している指揮者は、バーンスタイン、ズビン・メータ、カール・ベームなど。
ちょっと下がって通好みのショルティ、ブーレーズ、ムラヴィンスキー。
小澤征爾さんはまだ「期待の若手」という扱いでしたね。
印象に残った言葉をメモしておきます。
■ カラヤンが指揮者になるまで;
カラヤンのキャリアはピアノで始まります。なんと4歳でコンサートを開いたとか。
しかしあるとき、あることに気づきました。
「自分が表現したいことは、この2本の手では足りない」
そして指揮者を目指したのです。
■ バーンスタインは彼自身が音楽そのもの、カラヤンは音楽を造った才人;
当時世界で人気と名声を2分した二人。
アメリカの指揮者バーンスタインは感情的で、一方カラヤンは理性の塊。
ふと、ヘルマン・ヘッセの「知と愛~ナルシスとゴルトムント~」という小説を思い出しました。
ストイックに生きる聖職者のナルシスと、愛に生きるゴルトムント。
人生の最後を迎えたとき、どちらが幸せだったか? と考えさせられる、余韻の残る小説です。
もちろん、「知=カラヤン」「愛=バーンスタイン」に重なりました。
日本の小澤征爾さんは、実はこの2大巨匠の共通の弟子です。
カラヤンの指揮ぶりを見ていると「小澤征爾さんに似ているなあ」と感じ、でもバーンスタインの指揮ぶりを見るとやはり「小澤征爾さんに似ているなあ」と感じてしまう私。2大巨匠の知的財産を受け継いでいるのですね。
■ カラヤンの耳;
ある曲のリハーサルで、オーケストラの団員は気づいていない程度ですが、どうしてもオーボエの息が続きません。本番ではそのパートのテンポを少し速くしました。オーボエ奏者は演奏が終わった後、「どうしてわかったんですか?」と聞いてきたところ、カラヤンの答えは「感じたんだよ」。
■ カラヤンの美学;
「美しいものは聴いても、見ても美しくなければダメだ。」
カラヤンは演奏を映画仕立てで撮影させた初めての指揮者でもあります。
依頼先は映画監督のクルーゾー。
DVDが発売されており、拝見しましたが、カメラワークが素晴らしい・・・と思ったら、実は「やらせ部分」があったと暴露していました。録音された演奏をバックに楽器を弾く姿を撮影した、云ってみれば「口パク」箇所があったそうです。
それほどまでに(悲しいほど)完璧を目指したのですね。
■ ワーグナーの魔力;
ワーグナーは「この曲を私の理想とするレベルで演奏できれば、演奏禁止になるだろう」と予言しました。「ベルリン・フィルで演奏して初めてこの言葉の真意がわかった。」とカラヤン。ワーグナーの音楽はベルリン・フィルのためにある?
■ カラヤンの魔術;
ベルディの歌劇「オテロ」の指揮をしているカラヤンの後ろの席にいた劇場関係者のコメント。
「カラヤンの体からほとばしるエネルギーがすさまじく、金縛りにあったように動けなくなってしまった」
そして体が火照って眠れず、一晩ザルツブルクの街をさまよったそうです。
別の話;演奏会のリハーサルでカラヤンも団員も納得する素晴らしい出来。カラヤンのコメントは「本番でもこの音に命を吹き込んでください」。
■ 世界一孤独な人;
インタビューに答えた女性(奥さんだったかオペラ歌手だったか・・・)のコメントにハッとしました。
たしかに楽団員にジョークを飛ばしている映像はありましたが、他人と打ち解けて談笑している場面はありません。
唯一、家族と過ごす時間、特に夫人と寄り添って散歩する様は微笑ましい。
一見、ベタベタしているだけにも見えますが、私には「カラヤンにも心底くつろげる相手がいたんだ」とちょっぴり安心したのでした。
自分に厳しく、他人にも厳しいカラヤン。
アルコールを飲んだ上での閃きなんか信じておらず、規律正しい生活の中に真の美を追究する求道者でした。
・・・晩年は「響きの美しさ」の強くこだわり、批評家からけなされたり、ベルリン・フィルとの確執があったりと必ずしも順風満帆のキャリアではなかったかもしれません。でも、もともと下積みの長い苦労人ですから肝が据わってました。
もっとも、「響きの美しさ」は後に「アダージョ」シリーズとしてクラシック音楽では異例のヒットを飛ばし、現代人を癒してくれたことは記憶に新しいですね。
バーンスタインとしつこく対比されていましたが、なぜかそれ以前のライバルであるフルトヴェングラーは出てきませんでした。
共演者として、若き日のパバロッティやプラシド・ド・ミンゴの姿もありました。
私は今でもチャイコフスキーの「悲愴」はカラヤン&ベルリン・フィルの演奏が一番好きです。あの濃厚で深い感情表現は他の追随を許しません。
20世紀が生んだ希有な才能です。