私の音楽 & オーディオ遍歴

お気に入りアーティストや出会った音楽、使用しているオーディオ機器を紹介します(本棚8)。

Tony Joe White 〜男の子守歌〜

2018年08月12日 | ブルーズ
「Blues Collection」というMP3-CDを手に入れて、ドライブ中に聴いています。
なんと1500曲が9枚のCDに入っているという究極のコレクション。
1枚に平均150曲以上が収められているのです。

まだ1枚目を聴いているところですが、その中で気に入ってリピートしてしまうアーティストに出会いました。
その名は“Tony Joe White”(トニー・ジョー・ホワイト)。
シンプルなギター中心のサウンドを背景に、太くて低い声でボソボソと、ときに唸るように歌うのです。



このタイプ、私は大好き。
もう少しハスキーだったら最高かな。

しかしこのアーティスト、今まで聞いたことのない名前です。
ネットで検索しても、あまり情報がありません。
日本では有名ではなさそう。

得た情報を整理すると、
・トニーは“スワンプロックの帝王”(King of Swamp)と呼ばれる存在である。
・“スワンプ”(Swamp)は“沼” “泥臭い”という意味。アメリカ南部の湿地帯をイメージしているとか、文字通り泥臭い音楽と説明しているものあり。
・音楽の方向としては、アメリカ南部の音楽のエッセンスをごった煮にした音楽、というところに落ち着きそう。
・アメリカのルーツをたどる分野の一つであり、その創生期に反応したのがイギリスのエリック・クラプトンやジョージ・ハリスンであり、彼らはこのエッセンスを元に世界に羽ばたいた。

といったことろでしょうか。
まあ、興味のある方は調べてみてください。

<YouTube>
The Beginning
The Path Of A Decent Groove
Closer To The Truth

他のスワンプロックも聴いてみましたが、私の好みに合うのはトニーしかいませんでした。
その要素は、

・ブルーズ・ギターの音が生きているシンプルなサウンド。
・高音のさびで売るのではなく、日常をつぶやくように、時に唸るように歌う。
だと思います。

<参考>
SWAMP ROCK
米スワンプ・ロック/ルーツ・ロック特集『沼へ行く』
英スワンプ・ロック選 ~ 米ルーツ・ミュージックの芳醇さ meets 英国叙情

でも、異国の田舎の音楽になぜこんなに心が惹かれるのでしょう。
不思議です。

同じような雰囲気で好みのアーティストは、

マーク・ノップラー
 ダイアー・ストレイツ(Dire Straits)のヴォーカル&ギタリストです。ややハスキーでつぶやくようなヴォーカル、泣きのギターはよいのですが、サウンドがちょっとカントリーよりなのが玉に瑕。「ブラザーズ・イン・アームズ(Brothers In Arms)」がマイベスト。
デクスター・ゴードン
 ジャズのテナーサックス奏者、ご太い音色でゴリゴリと吹きます。「Don't Explain」がマイベスト。男の子守歌ですね。
クリス・レア
 抑え気味のサウンドと印象的なギターにハスキーボイスが絡む「ON THE BEACH」が最高。

「魂をゆさぶる歌に出会う」(ウェルズ恵子)

2018年06月11日 | ブルーズ
 最近、YouTubeでブルースをよく聴きます。
 それもアコースティックギターを片手に、親父が唸るタイプの古いブルース(古いためか動画はありません)。
 お気に入りは“テキサスの不良オヤジ”「ライトニン・ホプキンス(Lightnin' Hopkins)」です。ぶっきらぼうな“ぼやき節”がいいですね。
 メジャーとは言えないアーティストもYouTubeで視聴できるようになったのは、インターネット時代の恩恵です。

Lightnin' Hopkins - Bluesville Story 1960-1962
Lightnin' Hopkins - Ebbetts Field, Denver, CO 1974


 エレキギターで盛り上がる暑苦しいブルースはからだが受け付けません。マディ・ウォータース(Muddy Waters)などはちょっと・・・(^^;)。

 さて、ブルースについては「アフリカから連れてこられた黒人による魂の歌」という程度しか知りません。
 その周辺の黒人霊歌、ゴスペル、リズム&ブルース、ソウル、ジャズとの関係もよくわかりません。
 というわけで、その分野に関する簡単な本を読んでみました。

魂をゆさぶる歌に出会う〜アメリカ黒人文化のルーツへ」ウェルズ恵子著、岩波ジュニア新書、2014年発行



 「岩波ジュニア新書」だから、対象とする読者は中高生でしょうか。
 わかりやすいというだけで、内容は満足のいくものでした。

 まず、日本では「ブルース」が一般的ですが、アメリカでの正確な発音は「ブルーズ」とのこと。

 内容はマイケル・ジャクソンにはじまり、彼の音楽もパフォーマンスも黒人音楽のルーツにしっかり根ざしていることを解説しています。そして伝説のブルース歌手、ロバート・ジョンソンまで、その変遷を辿っています。
 
 黒人音楽のルーツを語るときに奴隷制度は外せません。
 奴隷貿易の犠牲者であるアフリカ系アメリカ人(=黒人)は、オークションにかけられて売買され、一つの農場でも出身地がバラバラだったので、元々の宗教を伝える術がありませんでした。集会も白人に対する反抗を怖れて禁止されました。
 ただ、労働効率を上げる「労働歌」(ワーク・ソング)だけは許されました。
 それが黒人音楽のルーツとなったようです。

 その昔、TVドラマでアレックス・ヘイリー原作の「ルーツ」が一世を風靡しました。
 そのワンシーンで出てきたワーク・ソングは今でも私の目に焼き付いています。
 TV放送から数十年後にDVDを入手して再視聴しましたが、すごい内容です(よく放送が許可されたなあ)。

 奴隷制度の影響が強い時代の歌は、直接的な歌詞は避けられ、比喩や架空のストーリーなど間接的表現に終始し、奴隷制度が終わりしばらくすると、直接的な歌詞が出てくると著者は分析しています。

 なるほど。
 なぜかといえば、奴隷制度時代は露骨に白人を非難すると命が危ないから。

 そして驚いたのは、そのつらさを客観視して自分から独立した存在(例えば“悪魔”)として歌い上げていたこと。
 「今朝起きるとベッドに“悪魔”がいた、どこかに行ってくれよ」
 ここの箇所を読んだとき、うつ病に対する精神療法(カウンセリング)が頭に浮かびました。

 考えてみると、奴隷の生活は、生涯過酷な肉体労働が続き、自由になるという幸せは望むべくもない、お先真っ暗な人生です。
 うつ状態になっても全然おかしくありません。
 それを回避するために思いついた方法の一つが、苦しみを自分から分離させて「自分が悪いんじゃない、仕方のないことなんだ」と歌うことだったのかもしれないと思いました。

 一番腑に落ちたのは、「ブルーズは失意や落胆の嘆き・うめきである」という文言でした。

<メモ>

■ ブレイクダンス
 プエルトリコ系移民の影響があるとされ、都会の貧しい少年達の間から発生した。
 「ヒップ・ホップのゴッドファーザー」と呼ばれるラッパー、アフリカ・バンバータは、ギャング化した少年達がナイフや銃で構想する代わりにダンスやラップで競い合う方がいいと考え、ブレイクダンスを競技にして流行を促した。

■ ラップ
 独特のリズムと言葉遣いを具えた語りのスタイルを指す。起源は南部黒人の語り遊びやブルーズにもたどることができるし、北部の都市で路上にたむろする若者達が使っていた黒人の俗語とも関連する。
 「ダーズンズ」という言葉の競技もラップと関係がある。ダーズンズでは、二人の競技者が聴衆の前で、リズムのついた言葉で自慢をしたり相手を侮辱したりして勝敗を争う。この遊びはアフリカに起源がある。

■ リズム&ブルーズ
 奴隷制度時代の仕事歌から発生したブルーズが、白人にも聞きやすく、ノリもよくて踊りやすい音楽になったものを「リズム&ブルーズ」と呼ぶ。マイケル・ジャクソンの音楽もこの分野に入る。

■ ハンマーソング
 ハンマー打ちや荷物の上げ下ろしなど重労働に伴う歌を「ハンマーソング」と呼ぶ。区切りが短く、繰り返しが多く、言葉遣いが乱暴である。ハンマーやツルハシを振るとき、歌のテンポがメトロノームの役目を果たし、怪我を防ぎ命を守る助けとなった。ハンマーソングは奴隷制度時代から歌い継がれた仕事歌で、変化しながら黒人歌の特色を今に伝えている。その名残は20世紀の刑務所労働で観察されている。
 多くの場合、意味は複数の解釈ができるようになっている。意味の多様性は、黒人が自分の気持ちや考えを隠さなければ危険だったという事情を反映している。
 「ハンマーを振る」ことは、黒人の歌の歌詞の中で「自尊心を表現する行為」「抑圧者に対する抵抗」という象徴的意味を持っている。

 ハンマーソングの歌い手達が「生きている自分」と「死んだ仲間」、自由のない現実と想像上の解放とを区別して歌うようになるのは、1940年代後半から60年代前半までの約20年間に起こった変化である。それには、刑務所での処遇改善とブルーズの浸透が影響している。
 それ以前には、黒人の歌い手は自分の意思や考えをハッキリ示さず、「いま」を肉体感覚として受け入れつつ、過去と未来は茫漠と「あの世」の様に歌った。人間としての自己を否定され続けてきたためである。
 ところが1960年代には、歌い手が自分の人生の長さから割り出した時間を感覚し、自分の時間と死者の時間は今度されなくなった。自分と他人との区別が明らかになったのである。

■ ロックンロール(Rock'n Roll)
 “Rock and Roll” がつまったもの。「ロックンロール」というジャンル名は、若者向けの新しい音楽を商業的にプロモートするためにアラン・フリードというDJが命名したものとされている。
 「ロック」は前後に揺さぶること(例:ロッキングチェア)、「ロール」は波がうねるように揺する意味であり、「体を動かす音楽」と一般的に捉えられている。
 しかしそれだけではなく、この名前にはハンマーソングの歴史が刻まれている。黒人の歌で「ロック」は「働きながら歌う」(sing while working)を、「ロールすること」(rollin'=rolling)は「働くこと」(working)を意味する。
 体を強く動かす歌である「ロックンロール」のルーツには重労働をしていた黒人の仕事歌が存在する。
 エルビス・プレスリーは白人だが、貧しい家庭に育ったので黒人と生活域が近く、黒人のコミュニティに出入りしていた。そこで黒人音楽に出会い、強い影響を受けた。

■ 「ハンマーがあれば」(If I had a hammer, 邦題「天使のハンマー」)
 ピーター、ポール&マリーの「ハンマーがあれば」はハンマーソングと共通した意味を持っている。これは、テキサスの刑務所でハンマーソングを採録したピート・シーガーとリー・ヘイズが作詞・作曲したもので、自分は朝でも夜でもハンマーを振って、危険を叩き、警告を発し、人々に愛を呼び起こすよ、という内容の歌詞で、1949年当時の左翼運動と連動したフォーク・リバイバル時代(次項)にまず歌われた。
 歌の誕生から十数年が過ぎ、「ハンマーがあれば」は、人種差別撤廃を目指す公民権運動が盛んになってきていた1962年に全米トップ10に入る大ヒットとなり、公民権運動のテーマソングになった。
 アメリカガッシュ国の1950年代は、共産主義と左翼運動が厳しく弾圧された時代であり、変わって1960年代には、人権擁護と人種や性への平等を人々は訴えた。
 英語で“hammer of justice”(正義のハンマー)といえば、裁判官が判決の時にコンコンとならすハンマーのことでもあるし、「不公正を正す鉄槌」という意味でもある。そこへ黒人歌のもつ「労働」の象徴的意味が加わって「ハンマーがあれば」はできている。

★ 忌野清志郎「天使のハンマー

■ フォーク・リバイバル
 アメリカの民謡(フォークソング)が左翼インテリたちに再発見されて復活(リバイバル)し、民衆の地位の向上団結、自由が唱えられた音楽活動。この運動の中では、昔から歌い継がれたフォークソングも歌われたし、「ニュー・フォーク」「アーバン・フォークソング」とか呼ばれる新たな歌も作られた。
 「アーバン・フォークソング」の特徴は、そのメッセージ性にある。
 日本で「フォークソング」あるいは「フォーク」とされる音楽ジャンルは、アメリカ初のアーバン・フォークソングに大きな影響を受けている。しかし日本の場合は、政治的、社会的なメッセージ性を急速に失って、恋愛を中心テーマとした流行歌に近寄っていった感がある。

■ 奴隷制度下で文字を禁じられた黒人
 奴隷制度下では、南部の法律で奴隷に読み書きを教えることが禁じられていた。白人は奴隷の反乱を怖れたのである。
 文字を使えない黒人達には、歌うことや話すことがとても大切だった。歌やおしゃべりを創造的な表現手段として発達させていった。
 黒人にはつらいことが多すぎたが、主人や白人社会を露骨に批判すれば危険な目に遭うので、気持ちや歌を物語に上手にカモフラージュして表現した。

■ 黒人奴隷をキリスト教徒にすることの意味
 奴隷にキリスト教を教えることは、彼らを「文明化」するための方法だった。一方、苦しみを背負った奴隷は宗教に救いを求めた。奴隷だけが集まることは禁じられていたが、彼らは夜中にこっそり集まり、歌や祈りや陶酔するような儀式により心の支えを得た。こうした礼拝集会は「ハッシュ・ハーバー」(a hush harbor:静かな避難所)と呼ばれる。
 このような礼拝集会に於いて、黒人達は自分の身の上と重ねてイメージできる旧約聖書の物語に強く共感した。

■ 「グリオ」の末裔たち
 西アフリカには「グリオ」と呼ばれる専門の歌人・語り部(ストーリー・テラー)がいた。グリオは部族の言語文化を率いていた人々で、王族を誉め称えたり心を鎮めたり、部族の歴史を伝え、社会批判や意見を述べ、権威ある発言をしたりした。また、歌で人々を楽しませ儀式の祭司もしたし、伝統的知識と文化的遺産を伝える役割を担っていた。グリオは歌と物語でこれらの役割を果たしていた。
 アフリカの伝統のうち、アメリカの黒人文化の大事な要素は、
・歌と物語で相互にコミュニケーションする
・集団の記憶を歌と物語に刻む
・それにより連携を強めていく
こと。
 アメリカ黒人は教育の機会に恵まれず、20世紀初頭になっても読み書きできる人は少なかったため、歌や物語といった口承文化が衰えずに生き続けた。
 1920〜30年代頃から教育レベルが上がりはじめ、ラジオやレコードなどの音楽普及メディアが発達すると共に、黒人が優れt歌手や演奏家としてエンターテイメント産業へ進出した。

■ コール・アンド・レスポンス
 リーダーの呼びかけ(コール)に応えて他の人々が合唱を返す(レスポンス)コミュニケーションや歌の形式。

■ 悪魔は友だち
 神から見放されたもの同士という感覚で、黒人は悪魔に親近感を抱いた。
 悪魔(ルシファ:Lucifer)はもともと、大天使ミカエル(英語ではマイケル)の次に強い天使だった。しかし自分の力を過信して神に背き、天国を追われた。デビル(Devil)は一般的な「悪の存在」と地獄の王となったルシファのイメージとが混ざったもので、ルシファよりは広い意味での「悪魔」を表す。ルシファの手下を意味することもあり、ルシファよりは身近である。デビルは話し言葉の英語で使われるが、ルシファを軽々しく言葉に出すことはない。
 悪魔は神に見捨てられた存在であり、決して幸せになることはない。そうした存在の悪魔にアメリカの黒人達は親近感を抱き、自分なりの悪魔像を造り出した。黒人の悪魔は、力は強いが弱みも持ち合わせた人間味のある存在となった。
 黒人の民話には、神様が頼りない一方で、悪魔が助け船を出してくれる話がある。よくも悪くも悪魔は相棒。上手く付き合えば得をするし、下手すれば命を取られる相手。「悪魔はあなたの側にいる」というのが、黒人にとっての人生のリアリティだった。

■ ハディ・レッドベター
 後に歌手となり“Leadbelly”(レッドベリー)の名前で知られた。
 1933年にジョン・ロマックスとアラン・ロマックス親子がルイジアナ州アンゴラ州立重罪犯矯正刑務所を訪れ、刑務所で黒人の彼の歌を最初に録音した。

Leadbelly - American Folk & Blues Anthology

■ 「Lost john」
 ハンマーソングの一つ。
 「lost」には「行方不明になった」「死んだ」「天国へ行けずに迷子になった」という3つの意味が隠されている。
 「lost john」は奴隷制度が廃止されて100年経った20世紀半ばの黒人刑務所で歌われ続けていた。逃亡奴隷ジョンは、逃げて殺されてしまう架空の囚人仲間に重ねられている。
 仲間の死や死者が自分の体に重なってよみがえる感覚が表現され、実現不可能な逃避願望を生き、逃避した後の非現実世界へと河岸の中の時間が幻想的に漂って行ってしまう。

Woody Guthrie - Lost John
Lightning- Long John (Old song by a chain gang)


■ 「シャウト」から「黒人霊歌」へ
 アメリカの奴隷制度時代、奴隷達が仕事を終えた夜中に始まる集会は「祈りの集会」(a prayer meeting)、「野外集会」(a camp meeting)、「シャウト」(a shout)などと呼ばれた。
 「シャウト」というと大声で怒鳴ることを連想しがちであるが、意味のない叫びや暴力的な言語行為を指すものではない。宗教集会で歌ったり祈ったり踊ったりする行為や表現、発せられた言葉とお互いのやり取りの全てを「シャウト」と呼ぶ。要するに、黒人教会での礼拝に関連する行為全体を指す。
 奴隷制度時代から行われていたのが「リング・シャウト」(the ring shout)。信者達が輪になって歌いながらすり足で回り続ける。移動の時に足を床から離さない、左右の脚を交差させないのが決まり。歌いながら、といっても、リズムと節の付いた単調な旋律に合わせて詠唱しながら動く。皆が一斉に合唱するのではなく、リーダーのソロに残りの人々が歌で応える「コール・アンド・レスポンス」で声を掛け合う。
 リング・シャウトで足を引きずるわけは、ひとつにはアフリカの伝統があると思われるが、もう一つには、プロテスタントのキリスト教では踊るのが悪いことだったから。快楽は悪魔がコントロールする領域である。
 シャウトでは、説教や歌や呼びかけ(コール)に対し、信者は熱狂的な反応をした(失神することもある)。
 西アフリカの土着信仰では、自然界の霊(あるいは多神教の神)が人に乗り移り陶酔状態になることが宗教儀式の一部である。そしてアフリカ系アメリカ人のキリスト教礼拝には、その伝統が生きていると言われている。
 黒人教会に集う信者たちは、シャウトにより一時的に自己を解放し体を意識から自由にすることで、精神的な苦痛を緩和したと考えられている。シャウトの歌では、救い主を賛美するよりは、救いを求めたつぶやきのような歌詞が多く、何を言うかや何処でどのように終わりになるかなどは固定していなくて、状況に応じて変化していた。
 この黒人宗教歌が「黒人霊歌」のルーツである。
 南北戦争で解放奴隷部隊を率いる隊長を務めたトーマス・ヒギンスンは黒人部隊の生活で耳にした宗教歌の歌詞を書き取り、「黒人霊歌」(Negro Spirituals)と名付けて、東武で発行されていた文芸誌『アトランティック・マンスリー』に紹介した(1867年)。
 その後、フィスク大学(南北戦争直後にできた黒人大学)のジョージ・ホワイトが発起人となり黒人学生の混声合唱団(フィスク福音合唱団)を結成して公演旅行に出かけ、そこで歌われた、西洋音楽の合唱曲にアレンジした黒人霊歌の美しさが人々を感動させ、黒人霊歌をスタンダードナンバーに変えた。
 さらにポール・ロブソンのような優れた黒人歌手が歌ってからは、独唱用の歌としても愛されるようになった。

Swing Low Sweet Chariot - Fisk Jubilee Singers (1909)
Paul Robeson - Ol' Man River (Showboat - 1936)


■ ゴスペルソング
 20世紀に世界的な影響力を持って知られるようになった黒人宗教歌。1920年代から全米キリスト教洗礼派教会大会などで歌われていたが、1930年代には北部の都市を含めアメリカ合衆国にある数々の小さな黒人教会でも愛されるようになった。1930年代は不景気の時代で、多数の黒人が農業中心の南部から北部の工業地帯へ引っ越していった(「黒人の大移動」The Great Migration)。この人々と共に、音楽や信仰の形態が北部へ伝わっていった。
 ゴスペルソングと黒人霊歌の違いは、歌詞の点で言えば、内容の明るさにある。
 黒人霊歌の関心は、死んで苦しみから逃れられるか、天国へ行けるかどうかということだった。あるいは、歌いながら天国を幻想し気持ちを現実の苦痛から遊離させようとする歌だった。
 一方、ゴスペルソングの歌い手たちは、悲しみや苦しみを歌いながらも、苦痛を背景として輝く信仰の歓喜を感情を込めて歌った。ゴスペルソングは、すでにある喜びを表現するものではなく、歌いながら喜びを自分の中にわき上がらせてゆく、インスピレーショナルで創造的な歌である。ゴスペルソングと黒人霊歌の歌詞には違いが読み取れるが、歌いながら歓喜と陶酔を自分の中に呼び起こすという点で、ゴスペルソングはリング・シャウトの伝統のもとにあるといえる。
 一方、黒人霊歌もゴスペルソングも、白人の賛美歌から大きな影響を受けている。その流れの中で、ゴスペルソングが発生したとされる1870年代から1920年代にかけて、従来の白人賛美歌ではないポピュラー音楽に乗せたプロテスタントの宗教歌が新たに作られるようになった。そのうち黒人音楽ベースの「ゴスペル・ブルーズ」や「ゴスペルソング」が特に注目された。今では黒人音楽ベースのキリスト教歌をひとくくりに「ゴスペルソング」と呼ぶようになっている。
 以上をまとめると、ゴスペルソングとはキリスト教のメッセージを持つ歌で、主に20世紀以降に作られたものを指す。

■ トーマス・ドーシー
 「ゴスペル・ブルーズ」を盛んにした立役者。
 ドーシーは1930年代から亡くなるまでに1000を超える数のゴスペルソングを作り、サリー・マーティンやマヘリア・ジャクソンといったゴスペル界のトップ歌手たちに歌を提供した。黒人が作詞作曲したゴスペルソングの楽譜販売を手がけ、サリー・マーティンと協力して「全米ゴスペル聖歌隊合唱隊協会」を組織した。その他にもゴスペルソングの普及に尽力し、「ゴスペルの父」と呼ばれている。黒人が黒人音楽の著作権を管理したのは、ドーシーが初めて。
 黒人にとって、1930年代から70年代にわたる約40年間は、経済不況からジム・クロウ法の撤廃にいたる厳しい時代で、ちょうどこの時期に、ドーシーは人々の心に希望の灯火をともす歌を作った。楽譜の大量印刷やレコードの流通と、ラジオ放送がゴスペルソングの普及を助けた。
 ドーシーは力強い神の支えよりも柔和な優しい救い主を求めた。アフリカ系アメリカ人が強い神より慈悲深い救い主を求めたことは、とても大事な点である。悪を罰して正す強い神は、社会の権力者や奴隷制度時代の農園の主人を思い起こさせる。しかしアメリカの黒人が必要としていたのは、権力にうちひしがれた絶対的弱者の自分を哀れむ救いの手と、安心できるホーム(癒え、故郷)だった。

■ ゴスペルソングとブルーズの違い
 両方とも19世紀末から20世紀初頭にかけて生まれた黒人歌。道に立って神の教えを説く辻説教師たちは、ギターを弾いて自前の神の歌(ゴスペルソング)を歌ったが、彼らの歌を音楽だけに集中して聴くと、まさにブルーズそのもの。

ブラインド・ウィリー・ジョンソン

 両者は音楽的には通じていたものの、歌詞がハッキリ異なっていた。ブルーズを「悪魔の歌」、ゴスペルソングを「神の歌」として区別することがある。ブルーズでは、歌い手は悪魔に声をかけたり呪いの言葉を吐いたりするし、人殺しや暴力などの不道徳な話題が多く、性欲や金銭欲、食欲といった人間の現実があからさまに表現される。ゴスペルソングは希望や勇気を呼び起こし、ブルーズは失意や落胆のうめきを再現しようとする。ブルーズの歌い手は人生に失敗した人間の「仮面」を被って人生を語り、一方のゴスペルソングの歌詞は物語ではなく、心情や信仰の叙情的表現である。

■ 仮面をかぶって人生を嘆くブルーズ
 ブルーズの歌い手は、人生がうまくいかない人々、女に振られる男、恋人につれなくされる女、社会ののけ者、といった「人生の敗者」「哀れな自分」を仮面とし、そういう人間のふりをし、そういう人間になりきって「嘆く声」で歌う。つまり、ブルーズは「人生がうまくいかない人の嘆き歌」である。

■ ブルーズの誕生
 1865年に奴隷が解放され、黒人の生活は依然として苦しかったものの、徐々にいくらかの余暇が生まれた。1900年代のはじめ頃までに、黒人達は一人で歌う歌を発達させた。歌というより「弾き語り」といった感じの、投げやりで乱暴なお話のような歌だった。
 初期のブルーズは、日本の三味線流しに似ているところがある。葉巻の空き箱(木箱)を使ってギターのようなものを作り、それをジャラン、ジャランとやりながら、運のない男になりきって歌い語りをすると、人々が集まってきてそれを聞いて楽しみ、みんなで息抜きをする。
 この頃のブルーズを「カントリー・ブルーズ」と呼ぶ。全米でも人種差別が非常に厳しく黒人が貧しかったミシシッピ州デルタ地帯を中心に発生した。
 1930年代、40年代には北部の工業都市へ仕事を求めて黒人達が大勢移動した。そこで「シティ・ブルーズ」が発達する。都市では白人の音楽とも接する機会があるので、ブルーズはだんだん田舎っぽさをなくし、商業的なポピュラー音楽に近づいていった。南部の都市で発達した「アーバン・ブルーズ」というジャンルもあった。
 ブルーズは「ソウル」「リズム&ブルーズ」などにも発展していく。このようなブルーズの発展と変容には、黒人の都市への移動とそこで出会った白人音楽の影響が欠かせなかった。
 ブルーズもコール・アンド・レスポンスを使う。自分でギターとでコール・アンド・レスポンス、歌い手の声がコール、合間にジャランジャランと入るギターがそのレスポンスである。
 また、ブルーズは「ブルーノート」というちょっと変わった音階を使う。
※ 「ブルーズ」というジャンル名で分類されるようになったのは、1914年にW.C.ハンディが「セントルイス・ブルーズ」を作詞作曲して楽譜を出版してから。

■ ブルーズに登場する人物達
 古いブルーズには歌詞にも基本パターンがある。登場人物は、
①「被害者としての歌い手」
②「歌い手に対する加害者」
③「不安や憂鬱(ブルーズ)」
 歌い手はゆううつにさいなまれ、不活発でお金がない。彼を追い詰めた「加害者」は浮気している恋人だったり、彼を酷使するボスだったり。
 このうち、③の「不安や憂鬱を表す登場人物」が特に大切で、この登場人物がいることが部ルーズの歌詞の特徴である。歌い手の抱える憂鬱や不安や悩みが人や動物や形のない何かの名前で呼びかけられるもので、それらは恋人の隠れた浮気相手だったり、猫や蛇だったり、天や幽霊だったり「ブルーズ」と呼びかけられる「憂鬱」の化身だったりする。
 「ブルーズ」で表される登場人物は、意地悪な悪魔のように、あるいは悪意あるトラブルメーカーとして歌い手につきまとい、歌い手の足を引っ張る。

■ 限りなく憂鬱なブルーズマン
 アメリカの黒人達は、200年以上にわたって奴隷として搾取され、むごい扱いを受け、一瞬一瞬を上と暴力におびえながら暮らしてきた。彼らの中に植え付けられた人間に対する不信感や恐怖は、生きていく希望を根こそぎ借りたってしまった。
 ぬぐいきれない不安や、ほんとうに自分を押しつぶしてしまう「いや〜な気持ち」を、彼らをとても苦しめた。頑張って何かをしようという気になれないのである。だいたい、朝、憂鬱すぎて起きることができない。他党としても、足の下に悪魔がいるような気がする、そんながんじがらめの気分。
 ブルーズが生まれた頃の南部の黒人の多くは、今の私たちから見ると「どうやって生き続けていたんだろう」と思うほどの苦難を生きていた。
 でもすごいのは、その苦難を「トラブル君」と呼び、自分の鬱状態を「ブルーズ君」というキャラクターにしてしまったこと。トラブル君やブルーズ君に文句を言ったりして「やれやれ、かなわないなあ」と歌って「ダメ男」の仮面を演じ、深刻な事態をまるで人ごとのように扱っている。「たいへんさ」を自分から取り出して、壁に掛けて、眺めて、話しかけて、茶化して、歌ってしまう。
 もしあなたがいま、とてもゆううつで動けないような気がしていたら、あなたの「うつ君」に「おい、相棒、オレの側をウロウロすんなよ」と話しかけるといい。
 ブルーズの歌い手はいつも不安である。そして歌には、彼の不安を化身したような気味悪い生き物が「ブルーズ君」として現れる。

★ ブラインド・レモン・ジェファーソン(Blind Lemon Jefferson)1893-1929

■ チャーリー・パットンCharley Patton)1891-1934年
 初期ブルーズの代表歌手。パットンが生まれたミシシッピ州デルタ地方は、黒人の小作農が多く住む人種差別の激しいところだった。洪水や日照り、害虫など天災も多かった。その土地で、パットンは巡回興業のような催し物を中心に歌と演奏で生計を立てていた。
 荒削りで粘るような歌い方としゃがれた声が特徴で、その演奏の巧みさや影響の大きさにより「デルタ・ブルーズの父」と呼ばれる。
 パットンの歌は主として、恋人が歌い手の留守に浮気をして、歌い手が彼女に振られるストーリーがパターンである。

■ ブルーズマンの生活
 ブルーズの歌い手(仮面、ペルソナ)は、女性に振られるのを極度に怖れている節がある。恋人に振られたら、歌い手の人格は破壊され死んでしまうのだと言わんばかりの歌が少なくない。
 その理由の一つは、ブルーズでは、理不尽なアメリカ社会を恋人の女性にたとえて歌っていること。自分を追い詰める看守と不実な恋人が、歌い手の男性にとって同じように脅迫的な存在として歌われるのはそのためである。
 もう一つは現実的な理由で、ブルーズミュージシャンの多くが衣食住を女性に依存する場合が少なくなかったこと。これは人種差別時代のアメリカ社会が生み出した深刻なひずみ現象で、大多数の黒人男性は、不当に収入が少ない苦しい肉体労働や危険な仕事にしか就けなかった。しかも、住居や仕事を一定させて生活を安定させるのは困難であった。一方女性には白人家庭の家事育児の手伝いや農作業など何種類かの職種に可能性があった。こうした社会的事情を背景に、女性の収入が家族の家計を支えている場合が珍しくなかった。
 初期のブルーズミュージシャンは、旅をしながらジュークジョイントと呼ばれる黒人酒場で歌ったりして、日銭を稼ぐ放浪者的性格を持っていた。行く先々で彼らに恋した女性たちが、経済的にも精神的にも彼らを支えてくれた。

■ ロバート・ジョンソン(Robert Johnson)1911-1938
 ブルーズを嘆きのラブソングとして完成させた人物。
 彼は破滅型の詩人だった。27歳で恋人の夫に毒殺された。
 彼は「孤独な恋人」と「不吉な運命を背負った男」の仮面(ペルソナ)で歌い、ペルソナそのものの人生を送った。語り手と詩人本人との区別がしがたい、「告白型」とも呼べる新しいタイプのブルーズ詩人だった。
 20世紀初頭、ブルーズミュージシャンの多くは盲目で、ジョンソンもまた生まれつき視力が弱く、それが理由で小学校教育を中断している。
 彼の人生は混沌としていた。
 家庭に恵まれず、安心できる居場所がなかった。
 母ジュリアは、夫のチャーリー・ドッズとの間に7人の子どもがいた。チャーリーにはジュリアの他にセリーナという愛人もいて、セリーナにはチャーリーとの間に2人の息子がいた。チャーリーは、白人との口論が元でテネシー州のメンフィスへ逃亡し、そこへジュリアの子どものうち何人かと、セリーナとその子ども2人を引き取った。ジュリアは夫に呼ばれなかったので、ノア・ジョンソンという男性と内縁関係になって、ロバートが生まれた。1914年、ジュリアはミシシッピ州ヘイゼルハーストを出なければならなくなり、手元にいる子どもたちとロバートを連れて、別れていた夫のチャーリーと同居することになった。チャーリーは、妻が他の男性との間にもうけたロバートを、はじめは拒否した。
 つまり、そのとき3歳だったロバートは、自分を歓迎しない継父のもとで、自分の母と父の愛人と、多くの異父兄弟や父の愛人の子供らと共に幼児期を過ごしたことになる。しかも2年後には、母は子どもたちを全部置いて家出し、ウィリィ・ウィリスという男性と再婚した。
 1918年頃には母はロバートを呼び寄せ、ロバートは今度は母の再婚相手の男性と暮らすことになった。
 ロバート・ジョンソンはこのように、少年時代を複雑な人言関係のジレンマの中で過ごした。
 そして18歳で結婚し、翌年、まだ16歳だった妻が出産で赤ん坊と共に死んでしまうと、小作農の仕事を辞めて自分が生まれたヘイゼルハーストへ戻った。この間、彼は音楽と本格的に出会い、黒人用の居酒屋でギターを弾くようになった。
 ロバートは年上の女性にもてたらしく、1931年に再婚したカレッタ・クラフトは彼につくしたという。
 それでもロバートは彼女とも別れて旅に出る。ギターで稼ぎ、知り合った女性に援助してもらうという不安定な生活を続けた。その孤独な行動の陰には「失われた父」と「失われた母」、そして「失われた故郷」という喪失感がつきまとっている。
 ロバート・ジョンソンの歌には憂うつ(ブルーズ)がつきまとう。「さびしい」「やさしくしてほしい」「一緒にいたいのにいてもらえない」「人生はうまくいかない」などの気持ちを表している。
 彼は幼いときに母に置き去りにされた経験があるためか、女性にべったり甘える傾向があった。肉体を触れ合わせることに安心と保護を求め、セックスを天国の代わりにするかのような歌詞を書いた。その必死さが特別な魅力を発している。
 彼の歌詞は、言葉にいろいろな意味を隠さずに、ストレートに気持ちを表した。この率直さにはもはや、奴隷制度時代の複雑な仮面や声はない。
 黒人の娯楽的な語りや歌では、神様は救いをもたらさず、具体的な救済策を講じてくれるのは悪魔である。「どんなに神様に祈ってもよくならない」という気持ちと、「天国よりは地獄の法が身近に感じる」という事情が影響しているモノと思われる。