私の音楽 & オーディオ遍歴

お気に入りアーティストや出会った音楽、使用しているオーディオ機器を紹介します(本棚8)。

カテゴリーを超越した音楽家、ヴァンゲリス(Vangelis)を知っていますか?

2020年08月16日 | オーディオ
ヴァンゲリスを知ってますか?
ギリシャ出身のシンセサイザー奏者です。
しかしその壮大な音楽性は、とても一言では言い表せません。

日本では「南極物語」のテーマ曲で有名になりました。
でも、その前に公開された「炎のランナー」「ブレードランナー」で、すでに世界的にブレイクしていたアーティストです。
とくにブレードランナーは今でもコアなファンがたくさんいる、SF映画の名作です。

私はまだ映画音楽でブレイクする前、シンセサイザーからアプローチして彼にたどり着いていました。
冨田勲、喜多郎、ジャン・ミッシェル・ジャール・・・その先にいたのがヴァンゲリスです。

そして、彼のアルバムの中にカール・セーガンの科学啓蒙番組「コスモス」のテーマ曲「Alpha」を見つけて驚きました。
ああ、この曲を聴くと宇宙に夢を馳せていた中学生時代がよみがえります。
いい時代だったなあ。

私が一番衝撃を受けたアルバムは「天国と地獄」(Heaven and Hell)です。
美しすぎるジャケットに、クラシックを越えた音楽が詰まっているのです。


このアルバムのB面の曲『So long ago, So clear』はイエスのボーカル、ジョン・アンダースンをフィーチャーしていますが、これが極上のバラードで、魂が大気圏外にトリップしてしまいます。

彼のデビューは1968年、パリでギリシャ出身の仲間3人と造った「アフロディテス・チャイルド」名義です。もう半世紀以上活動を続けているのですね。
当時の『イッツ・ファイブ・オクロック』(1969年)のレコードを私、持ってます。青森県の中古レコード店で見つけました。



さて、世界的なアーティストではありながら、日本ではあまり話題になりません。謎に包まれた彼を珍しく取りあげた番組を見つけ、録画しておいた SONG TO SOUL 「炎のランナー」(BS-TBS)を見ました。

<番組内容>
1981年、1本のイギリス映画が公開された。
オリンピックに出場した実在のランナーたちをモデルに、彼らの周囲との葛藤や自己との闘いを格調高く描いたヒューマンドラマ。
映画の名は『炎のランナー』。映画は大ヒットとなり、アカデミー賞4部門に輝いた。
オリジナル作曲賞を受賞したテーマ曲もヒットし、ビルボードのシングル、アルバムチャートでそれぞれNo.1を獲得。
この曲を書いたのは、ギリシャ生まれの音楽家、ヴァンゲリス。以後、『ブレードランナー』や『南極物語』など、数々の名作で忘れがたい音楽を送り出している。
作曲からアレンジ、演奏までをたった1人で行う彼は、シンセサイザー音楽の旗手として、一部のファンの間では以前から大きな人気を集めていた。
やがて映像作品の音楽を手がけるようになり、ついにこの映画で世界的な人気と名声を得ることになったヴァンゲリス。
名画と名作曲家は、いつ、どのように出会ったのか…
そして、彼のサウンドづくりの実態は…
番組では、『炎のランナー』の監督ヒュー・ハドソンや、ヴァンゲリスのレコーディングをサポートしたエンジニアのラファエル・プレストンらを訪ね、名曲誕生の経緯を探っていく。

本人はあまり出てきませんでしたが、周囲の人々のインタビューから彼のサウンド作りが垣間見えました。
彼は楽譜を用意することなく、インスピレーションでアドリブで曲を作る天才肌。
映画音楽も、映像を見ながら即興で作曲するので、上記の映画も彼の音楽と共にイメージされるのですね。

元イエスのリック・ウェイクマンのインタビューでは、リックがジョン・アンダーソン(イエスのボーカル)からヴァンゲリスを紹介され、リックが脱退した後に後任としてグループに誘った事実があるそうです。
ただ、ヴァンゲリスは自分ひとりで音楽を構築していくスタイルであり、イエスというバンドはバンドのメンバーがみんなで音楽を緻密にくみ上げていくスタイル、合わないのではないかとの予感が的中して、ヴァンゲリスは誘いを断りました。

あ、ジョン・アンダーソンとは、アルバム『Short Stories』も作っていますね。

ヴェンゲリスノ父はオリンピック選手(五種)であり画家、母は音楽家と紹介されていました。
映画「炎のランナー」の監督は、テーマ曲としてヴェンゲリスの既成の曲を予定していましたが、ヴァンゲリスは「新しい曲を作る」ことにこだわり、紆余曲折を経てできあがったのがあの有名なテーマ曲です。
父親へ捧げた楽曲かもしれない、という監督のコメントが心に残りました。

「エルトン・ジョンの全豹」

2020年08月14日 | オーディオ
1970年代にビリー・ジョエルが登場する前は、“ピアノ・マン”といえばエルトン・ジョンでした。
私が中学生の時にビリー・ジョエルがストレンジャーでブレイクしたので、リアルタイムにエルトン・ジョンは知りません。

大学生時代に読んだ柴門ふみのマンガ「僕の歌は君の歌」の、題名の歌を歌っていたのがエルトン・ジョンだと間接的に知っていたくらい。

「ベストヒットUSA」などでたまに動画を目にすると、ピエロみたいな派手な衣装で身を包んでいる姿。
なんだかピンと来ませんでした。

その後、ダイアナ妃の追悼コンサートで“Candle in the wind”を歌い、世界に再認識されました。
うん、いい歌だな、と私も思いました。

しかしそれ以降、彼に関する情報はあまり聞こえてきません。

そんな折、この番組が放送されました。


今やでっぷりメタボのエルトンが、インタビューに答えて自分の人生のかけらをポツリポツリつぶやきます。

コカインで身を崩したこと、
ゲイであることを受け入れられない家族(特に母親)との葛藤、
心臓にはステントが入り、前立腺癌とも闘病、
家族を持つ喜びに目覚めたこと。

波瀾万丈の人生を過ごしてきた満身創痍の彼を見ていると、
人生一筋縄ではいかないもんだな、とつくづく感じました。

「エルトン・ジョンの全豹」2020.4.1放送、NHK-BS
 50年にわたるポップ音楽のキャリアの集大成として「最後の世界ツアー」を行っているエルトン・ジョン。最新インタビューで、「ロケットマン」の軌跡と、独自の世界観を語る。
 自伝を刊行し、映画「ロケットマン」を自ら製作総指揮した72歳のエルトン・ジョン。フランス・ニースの自宅で、BBC司会者グラハム・ノートンを相手に「今年唯一のメディア対応」を行った。番組では、5度のグラミー賞に輝くヒットメーカーの名曲の数々を紹介。愛情の薄い家庭に育った少年時代や、ドラッグと酒に溺れた日々、そして自己再生や社会貢献活動などを、カラフルな記録映像と、ユーモアと自嘲にあふれた回想で描く。
原題:Elton John Uncensored
制作:BBC(イギリス 2019年)


今更のクイーン(Queen)

2020年08月14日 | オーディオ
昨年、イギリスのロックバンド“Queen”が映画『ボヘミアン・ラプソディ』と共に話題になりましたね。
その頃に放送されたTV番組を録画してあったので、ほとぼりの冷めつつある今、見てみました(天邪鬼!)。

イギリスのロックバンドといえば、レッド・ツェッペリン、ローリングストーンズ、ディープ・パープルあたりが有名どころです。
クイーンはちょっと毛並みが違う印象。
解説によると、
「ツェッペリンやローリングストーンズはマッチョなイメージで男子に人気があった、クイーンは初めて女子にも人気の出たロックバンド」
「クイーンのメンバーはやんちゃな不良少年達ではなく、エリートでお坊ちゃま」
だそうです。

1980年代にクイーンのツアーに参加経験のあるピアニストのモーガン・フィッシャー(★)は、
「ブライアン・メイのソロは20分続いてもアドリブがない、毎回全く同じなんだ」
と半分あきれたように告白。
ノリノリで盛り上がりアドリブ三昧、
というステージではなく、
用意周到、カッチリ完成された楽曲、
なのですね。

緻密・繊細というところでは、やなりイギリスのロックバンド“YES”と通じるところがあるかもしれません。

まあ、エネルギーが枯渇しつつあるアラ還の私にとっては、どのバンドもうるさく聞こえてあまり興味はありませんが・・・
あ、ファンの方、すみません(^^;)。

★ モーガン・フィッシャーは以前から知ってました。ただし、クイーン繋がりではなく、シンセサーザーによるヒーリングミュージック『都市生活者のための音楽』のアーティストとしてですが。

 ベストヒットUSA、クイーン1時間スペシャル!!
 映画『ボヘミアン・ラプソディ』が空前の大ヒット!クイーンは時代を選ばず、なぜ愛されるのか?
 洋楽を最前線で紹介し、多大な影響を与えた雑誌『ミュージック・ライフ』の元編集長であり、その先見の明からクイーンを追い続け、日本に紹介した東郷かおる子さん。
 クイーンの来日は全て撮影、ライヴアルバムのジャケット写真をも撮影したカメラマン、長谷部宏さん。
 モット・ザ・フープルのメンバーで、クイーンが初めてサポートメンバーとして迎え、1982年のヨーロッパツアーに同行したキーボーディスト、モーガン・フィッシャーさん。
 記者として、カメラマンとして、サポートメンバーとして、様々な立ち位置でクイーンに直接会ってきたゲスト3名を迎え、彼らにしか知り得ない本当のクイーンの姿をたっぷりと語って頂きます!

鈴木康博、オフコース解散の秘話を明かす。

2020年08月05日 | オーディオ
オフコースファン、それも小田と鈴木の2人時代(昭和)からのコアなファンが知りたい情報です。

先日、昔のフォーク&ポップスを懐かしむBS番組で、
元オフコースの鈴木康博さんがゲスト出演しているのを視聴しました。
若い司会の女性(小林星蘭)が、事情を知っている人が聞けない質問をボンボン放ちます。



「オフコースはなぜ解散したんですか?」
(一瞬、その場がし〜んと静まりかえる)
“さよなら”という曲がヒットしてから、オフコース=小田和正の声というイメージができあがり、曲作りができなくなった
とバンド内に居場所がなくなり、
別の場所で活動しなければいけないと思った
との決心を解散の3年ほど前から小田さん伝えていたことを明かしました。

なるほど。

さらに女性司会者は続けます;

再結成の予定はないんですか?」
(再びし〜んと静まりかえる)
ずいぶん時間が経ってしまったから・・・
と言葉を濁す鈴木さん。
そこに番組のレギュラーメンバーであるイルカ(元同じ事務所所属)が、
「まだオフコースが売れない頃、事務所で2人でギターを弾いて練習していた光景が忘れられない。あのときの雰囲気でもう一度オフコースを聞きたいな。」
と助け船を出しました。

鈴木さんが静かに頷いてその場は終わり。

オフコースの2人(鈴木&小田)の出会いは、
なんと小学生時代にまで遡るそうです。

2人の小学校は別でした。
たまたま同乗していた電車で「トンネルに入ると警笛を鳴らす」というイタズラをしていた小田に、
鈴木が近づいて便乗して一緒にイタズラをしたエピソードに始まります。
気がついたら同じ中学校に通うことになり意気投合、
その後、クリスマス会のイベントの準備で鈴木はギターを弾くようになり、
小田もそれに続き、
2人は音楽に目覚め、その後一緒にやるようになった・・・
途中でいきなり「オレ、ピアノを弾く」と小田が言い出してキーボードもやるようになったけど、最初は下手でミスしまくった・・・。

意外にも、2人の絆は音楽がはじまりじゃなかったんですねえ。

よみがえれ!!あなたの青春フォーク&ポップス!パート2 3時間スペシャル



<番組紹介>
J-POP 礎を築いた名曲の数々をお届けしたスペシャル番組の第2弾!
音楽界のご意見番「小室等&イルカ」と共にゲストの音楽人生・音楽界の真実を掘り下げます!
日本のミュージックシーンの礎を築いた豪華なアーティスト達が大集合!
時代を超えて愛され、世代を越えて歌われ続けるフォーク&ポップス名曲の数々を豪華スタジオライブと、もう二度とみられない!?伝説となった貴重なライブ映像で3時間にわたりお届けします! 今だから聞ける「誰もが口ずさんだあの名曲誕生の意外なきっかけ」「伝説の超人気グループ十代の出会いから別れ」「歌謡界の歌姫を支えたフォークの名曲」など貴重な裏話が続々明かされます!スペシャルゲスト・八代亜紀 が70年代フォークをカバー!この番組でしか見られない音楽界のレジェンド達による一夜限りのスペシャルコラボも必見!あなたの青春がよみがえります!!

マイルス・デイビス、“青”の時代

2020年08月02日 | オーディオ
マイルス・デイビスはジャズファンである私のアイドルです。
マイルス以前のジャズは、スイングや Be-Bop など、高速のアドリブで盛り上がる傾向がありました。

マイルスはそこに一石を投じ、
抑制されコントロールされた音による美(というかカッコ良さ)を求めたのです。
“秘すれば花”という日本美の精神に通じるのかもしれません。

さて、録りためてあったTV録画から、
『巨匠たちの青の時代 マイルス・デイビス 帝王への扉を開けたサウンド』
(NHK-BS、2017.6.19)
を視聴しました。



巨匠達の“青”の時代を扱うシリーズの一つとして制作され、
地元のジャズ・バンドではスターだった彼が、
チャーリー・パーカーとディジー・ガレスピーの演奏に衝撃を受け、
親にウソをついてまでニューヨークに進出し、
自分の音、スタイルを身につけていく過程をクローズアップした内容です。

それまでの譜面通りに演奏するスイング・ジャズから、
時代は短いテーマをアドリブで展開し、ソロをつないでいく Be-Bop へ変化していました。

当時大人気の天才的トランペッター、ディジーの演奏に憧れたマイルス。
トランペットで高速&高音を吹き続けることはプロでも難度が高く、
ディジーにしかできないテクニックでした。
多くの肺活量と、唇をすぼめ続ける筋力が必要なのだそうです。

「ディジーにはなれない・・・」

体が小さく唇の筋力も弱いマイルスには無理であることをある日、悟りました。
そして自分の音、演奏スタイルを目指すよう、方向転換したのでした。

マイルスは友人でもあるフレディ・ウェブスターの“間”を活かした演奏に惹かれました。
ゆったりしたテンポと強弱、そして“間”。
高速の Be-Bop とは異なる方向性。
彼はフレディの演奏をまねし、取り入れ、唯一無二のサウンドのキッカケにしました。
★ フレディは若くして亡くなりました。

それが最初に花開いたのがパーカー名義の「ナウズ・ザ・タイム」(超名盤!)。
そこで初めてのミュートプレイも録音されました。
これは高音の出ないマイルスを見て、パーカーが勧めたそうです。

★ 伝説的なジャズ評論家のアイラ・ギトラー氏や名盤「カインド・オブ・ブルー」のドラマー、ジミー・コブ氏が“生きて”出演していることに驚きました。