私の音楽 & オーディオ遍歴

お気に入りアーティストや出会った音楽、使用しているオーディオ機器を紹介します(本棚8)。

2011年末の第九

2011年12月25日 | コンサート
 年末になると日本全国でベートーヴェンの第九交響曲「合唱つき」が演奏されます。
 ベートーヴェンの仕事の集大成が、一年の締めくくりに相応しいのでしょうね。

 さて、昨年に引き続き、今年も佐野市で第九を聴いてきました。
 オーケストラ:群馬交響楽団、指揮:円光寺雅彦、合唱:佐野市民合唱団「Voice」。

 高校生の長男が合唱団の一員として参加するので、半分サクラとして。
 でも、今年は会場一杯に観客が溢れており驚きました。これは佐野東高校が合唱団としてあらたに参加した影響もあるようです。

 私の座った席は前から6列目、ヴァイオリンにかぶりつき状態。
 弦の響きを堪能させていただきました。

 ちょいと辛口の印象を少々:

・第一ヴァイオリンの高音が伸びない。キーキー悲鳴のように聞こえることもある(離れた席で音響を入れるとまろやかな響きになるのかな?)。
・第一・二楽章では管楽器と弦楽器のバランスが今ひとつ。管の音が大きめで浮いてしまう箇所が数回気になった。
・ティンパニはキレがあり迫力あった。が、少々張り切りすぎの感がなきにしもあらず。
・チェロとコントラバスはよい響きでした。
・第三楽章の弦が美しかった。管楽器とのバランスも絶妙。
・合唱は昨年より男性が強化されてバランス、響きとも申し分なし。


 指揮者の円光寺さんはいかにも人のよいおじさんで、指揮にも人柄が表れているようでした。
 合唱指揮の辻端幹彦氏は陽気な人。
 長男は「辻端さんの人柄に惚れた」と言ってました。彼は緊張した面持ちの初参加の昨年とは違い、ニコニコして歌っていて「楽しめた」そうです。合唱仲間も増えてなにより。

 今年も残すところ一週間となりました。
 皆さんの一年はいかがでしたでしょうか?
 では、よいお年をお迎えください。

MP3で聴く「ライオネル・リッチー」

2011年12月24日 |  My Favorite Artist
 今はロシア製のMP3-CDが通販で入手できます。
 品質管理が甘く、不良品・欠陥品に遭遇することも希ではありませんが。

 さて、1970年代から活躍しているシンガー、ライオネル・リッチー。
 初期はブラック・ミュージック~R&B系ですが、後半は洗練されポップスターとして活躍しています(まだ現役)。
 当初コモドアーズというグループに属して人気を博し「黒いビートルズ」などと呼ばれたこともありました。
 1980年代前半に独立してソロ活動が始まり、バラードを売り物として人気は頂点に達してアルバム(「Can't Slow Down」「Dancing on the Ceiling」)は売れに売れました。
 そうそう、マイケル・ジャクソンとともにUSAフォー・アフリカのチャリティー曲「ウィ・アー・ザ・ワールド」(1985年)の中心人物の一人で、冒頭の歌い出しを担当してました。
 1980年代後半は失速し、挫折を経験して半引退。
 そして「back to front」というアルバムをひっさげてカムバックし、現在は往年の大ヒットはないものの、それなり。

 彼のキャリアを大まかにいうとこんなところでしょうか。
 MP3は圧縮してあるので、彼のキャリアのすべてが1枚のCDにギュッと詰め込まれています。時代を追って変化していくスタイルが分かって興味深い。
 MP3対応のカーステレオで心地よいBGMとしてずっと流しています。

 私は1980年代の人気絶頂期に彼の声(Voice)の洗礼を受けました。
 なんというか、野太くてややハスキーだけど、暖かい声。ナットキングコールの声をやや荒くワイルドにした感じかな。
 
 お気に入りのシングルは・・・
Endless Love duet with Diana Ross」(1981年)
Truly」(1982年)
Hello」(1984年)
Stuck On You」(1984年)
Say You, Say Me」(1984年)

 特に「Stuck On You」が好きです。歌い出しの第一音目の声がビシッと決まり虜になるのです。超一流のドラマーのキレのある音と共通しているモノがあると思います。

 今になって昔の彼のバラードを聴くと「1980年代は平和だったんだな」と感じますね。尖ったところが微塵もなく、人の優しさをデフォルメせずに素直に表現できたよき時代。
 現在の曲調はよりポップにより明るくなりましたが、う~ん、昔の方が魅力的だったなあ。

「小澤征爾さんと、音楽について話をする」by 村上春樹

2011年12月10日 | クラシック
 作家の村上春樹さんによる指揮者の小澤征爾さんへのインタビューまとめた内容です。
 この二人、私のお気に入りの人物なので、ワクワクしながらページをめくりました。

 う~ん、さすが春樹さん、その辺のインタビューとは訳が違います。
 春樹さんがジャズに造詣が深いことはその小説から窺い知っていましたが、クラシックにもこれほど詳しいとは驚きました。
 
 ワイン愛好家に例えますと・・・

1.赤ワインと白ワインの違いを知っている
2.ワインの産地を国レベルで区別できる・・・フランスワイン、カリフォルニアワイン等
3.ワインの産地をフランス国内の地域で区別できる・・・ボルドー、ブルゴーニュ等
4.ワインの産地を地域内の土地名で区別できる
5.ワインの産地を畑・製造者で区別できる

 といろんなレベルがあるとします。
 春樹さんのクラシックへの造詣レベルは、ずばり「5」ですね。

 というわけで、この本の内容は「春樹さんが小澤征爾氏の音楽性の変遷を言語化した」あるいは「小澤征爾氏の半自伝」と云ってもよいくらいのレベルであり、読み応えがありました。
 グレン・グールド、ヘルベルト・フォン・カラヤン、レナード・バーンスタインなど、おなじみのアーティストの裏話も満載。
 春樹さんとの出会いがなければ、彼でなければ小澤征爾氏の音楽的魅力は引き出されることなくベールに包まれたままではなかったか、とまで思わせる深い対話集です。

 小澤征爾氏とともに斎藤秀雄氏の薫陶を受けたサイトウ・キネン・オーケストラの演奏家がTVのインタビューで答えたコメントが思い浮かびます。
 「セイジはぼくらのアイドルだった」
 彼の魅力は、この一言で言い尽くされるような気もします。
 単身でヨーロッパやアメリカに渡り、東洋人ながら西洋音楽の世界に飛び込み、カラヤン先生やレニーに可愛がられ(小澤征爾氏は二人の師匠をこう呼ぶ、他にもルービンシュタインやオーマンディに可愛がられたらしい)、ここまで成功したのは、皆に愛されるその人間的魅力に帰する所が大と思われます。

 私はインタビュアーの春樹さんの小説を同時代的に読んできた世代です。
 学生時代には初期三部作の「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」「羊をめぐる冒険」を下宿の四畳半で繰り返し読んだものでした。
 「肌にピシピシ音楽がしみ込んでくる」という表現を今でも覚えています。
 この本を読み進めるうちに、彼の音楽に対するスタンスが私自身にも染みついていることを改めて感じました。
 まあ、私のレベルは上記の分類では「3」ですけど。

 シリアスな対話の途中で挟まれる微笑ましい会話も春樹さんらしい。

小澤氏:「このおにぎり、食べていいかな」
春樹氏:「どうぞどうぞ、お茶も入れましょう」

小澤氏:「うん、これおいしいね。マンゴ?」
春樹氏:「パパイヤです」

<メモ>
私自身の備忘録です;

■ ニューヨーク・フィルはベルリン・フィルとかウィーン・フィルに比べると、どうしてもドイツ的な味わいには欠ける。シカゴはニューヨークに近く、ボストンとクリーブランドはもっとマイルド(P31)。

■ オーケストラは指揮者により音が違ってくる。そう言う傾向が一番良く出るのはアメリカのオーケストラ。ヨーロッパのベルリン・フィルとかウィーン・フィルは指揮者が変わっても自分たちの色をほとんど崩さない(P34)。

■ レニーは平等主義でオーケストラの団員の意見に耳を傾けたが、カラヤン先生は他人の意見なんてものはまず聞かなかった(P59)。

■ (インマゼールのベートーヴェンピアノ協奏曲第三番を聴いて)このオーケストラの演奏は子音が出てこない。音楽的に耳が良いというのは、子音と母音のコントロールができるということです(P73)。

■ グールドは対位法的要素を積極的に持ち込んでいく。ただオーケストラと調和的に音を合わせるというんじゃなくて、積極的に音楽をからめ、緊張感を作っていく。
 でも不思議なのは、彼が死んじゃった後、そういう姿勢を引き継いで発展させるような人が出てこなかったこと(P74)。

■ ルービンシュタインは遊び人、ゼルキンは真面目一方で田舎のおじさんみたいな人(P83)。

■ ベートーヴェンの方が管楽器と弦楽器との対話なんかが見えやすくなっています。ブラームスの場合になると、それを混ぜて音色を作っていく、ということです(P119)。

■ カラヤン先生から「長いフレーズを作るのが指揮者の役目だ」とよく云われました。スコアの裏を読みなさい、と。小節をひとつひとつ読むのではなく、もっと長い単位で音楽を読め、と(P121)。

■ 夏目漱石の文章はとても音楽的。あの人の場合は西洋音楽というよりは江戸時代の「語りもの」的なものの影響が大きいような気がします(P132)。

■ ニューヨーク・フィルでレニーのアシスタント指揮者をした。その後、アバド、デワールト、マゼール達も同じ職に就いた(P138)。

■ 一人の音楽愛好家としての勝手な感想を言わせていただきますと、1960年代の小澤さんがシカゴとかトロントのオーケストラと演奏しているのを聴くと、両手の手のひらの上で音楽が闊達に踊っているという感じがするんです、恐いもの知らずというか。それが1970年代に入って、ボストンとやるようになると、手のひらが少し丸くなって、その中に音楽がスッと包み込まれているような印象が強くなってきます(P165)。

■ (小澤征爾氏が指揮した3種類の「幻想交響曲」を聴いて)しかし三つの演奏を聞き比べてみると、これはほんと違うものだね。こんなこと(自分の演奏の聴き比べみたいなこと)は初めてやったから、自分でもけっこう驚きました(P169)。

■ 1960年代前半にバーンスタインが熱心に取り組むようになるまでは、ごく限られた人しかマーラーはやらなかった(P193)。

■ バーンスタインの指揮するウィーンフィルの「フィデリオ」をベームの隣の席で聴いた(P197)。

■ マーラーのスコアを初めて見たとき「オーケストラというものをこれほどうまく使える人がいたんだ」と驚いた(P206)。

■ マーラーの音楽って、伝統的なドイツ音楽から崩れていますよね。俗謡的なものが顔を見せたり、ユダヤ人の音楽が急に出てきたり。シリアスな音楽性、耽美的な旋律の中に、そういうものが乱入者のように混じり込んでいく。そう言う雑多性というのは、マーラーの音楽の魅力の一つになっていますよね(P219)。

■ 指揮者にとっては理解力が大事なのであって、記憶力なんかは特にどうでもいい。暗譜は一つの結果に過ぎず、そんなに大事なことじゃない。ただ、暗譜していいことは、演奏者とアイコンタクトがとれることですね(P230)。

■ (リヒャルト・シュトラウスとマーラーのオーケストレーションを比較して)マーラーは音が浮き出て迫ってくるんです。乱暴な言い方をすれば、音をどんどんナマで、原色で使っています。楽器ひとつひとつの個性・特性をある場合には挑発的に引き出していきます。それに比べると、シュトラウスは音を融合させてから使っています(P233)。

■ 日本人、東洋人には、独特の哀しみの感情があります。それはユダヤ人の哀しみとも、ヨーロッパ人の哀しみとも、すこし成り立ちの違うものです(P246)。

■ でもマーラーって、どうみても根っからまともじゃないというか、あえて分類すれば、分裂症的ですね(P239)。

■ ラヴィニア音楽祭にサッチモとエラ・フィッツジェラルドを呼んだことがあります。なにしろサッチモが大好きだったから。サッチモのあの味はもう、何ともいえないです。日本でいう芸の「シブミ」っていうか(P274)。

■ カラヤン先生に「セイジ、君は是が非でもオペラを勉強しなくちゃダメだ」と強く言われました。サンフランシスコからボストンに移る際、ひと夏のスケジュールを空けてカラヤン先生のところへ勉強に行きました(P288)。

■ 「ねえセイジ、今度は『ラ・ボエーム』」を一緒にやろうよ」ってミレラ・フレー二はずっと僕に言ってたんだけど、どういうわけか結局できなかったですね。
 カルロス・クライバーがスカラ座のオーケストラをつれて日本で「ラ・ボエーム」をやったのを観てあんまりにも良くて、「あ、これは僕にはできないな、これ以上のものはできない」と思いました(P289)。
 クライバーはよく勉強する人だったし、よく曲を知っていました。でもねえ、よくトラブルを起こす人でした。ただ彼にとってかわいそうだったのは、親父があまりにも偉い人だった(P296)。