私の音楽 & オーディオ遍歴

お気に入りアーティストや出会った音楽、使用しているオーディオ機器を紹介します(本棚8)。

生きていてもいいですか

2023年07月18日 | オーディオ
知る人ぞ知る、中島みゆきのアルバム(1980年発表)です。
私がはじめて聞いたのは大学生時代だから数年後。
親友が彼女のファンで、
当時発表されていたアルバムを全部カセットテープに録音して、
プレゼントしてくれました。

一番はまって聞いていたアルバムがこれ。
真っ黒けのどん底の歌。

あるとき、サークルの部室で夜一人過ごしていたら、
先輩がギターを抱えて入ってきて、
「中島みゆきを歌うぞ」
と強引に私を巻き込んで弾き語りを始めました。

何曲か目に「異国」を歌い始めました。
しかし、歌詞が暗すぎて、重すぎて、
途中で言葉に詰まって二人とも歌えなくなってしまいました。
そんな曲です。

<生きていてもいいですか>
1.「うらみ・ます
2.「泣きたい夜に
4.「蕎麦屋
6.「(無題・Instrumental)」
7.「エレーン」「エレーン
8.「異国

残念ながらみゆきさん本人の歌声は、
YouTubeでは見つけられませんでした。
リンクした動画は本人歌唱ではなくカバーです。
でも、見事に中島みゆきの世界を再現してますね。

一方で、深夜ラジオ「中島みゆきのオールナイトニッポン」では、
オチャラケキャラがさく裂していました。


「アルゲリッチ 私こそ、音楽!」

2020年11月06日 | オーディオ
以前、知り合いのピアノ教師に聞いたことがあります。
「ピアノを弾く立場から見て、このピアニストはすごい!と思わせるのは誰?」
彼女の答えはマルタ・アルゲリッチ。
「あのピアノタッチ、音楽はとてもまねできるのものではない、彼女は天才。」
とのこと。

ふ〜ん、そうなんだ・・・とその時は聞き流していました。

マルタ・アルゲリッチ、言わずと知れた当代随一、ナンバーワンの女流ピアニストです。
彼女の娘がカメラを回して撮った映画が登場しました:

解説
世界的ピアニスト、マルタ・アルゲリッチの実の娘ステファニー・アルゲリッチが監督を務め、生身の母親の姿を捉えたドキュメンタリー。メディアの取材を受けないアルゲリッチの、家族だからこそ撮れた名ピアニストの素のままの姿を映し出す。元夫のロバート・チェン、シャルル・デュトワ、スティーヴン・コヴァセヴィッチらも登場。彼らとの間の3人の娘たちとの関係を軸に描かれる、一人の女性の生きざまに魅了される。
<あらすじ>
1941年、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスに生まれたマルタ・アルゲリッチは、幼いころからすでに音楽家としての頭角を現す。ペロン大統領のはからいにより奨学金をもらい、12歳でウィーン留学した彼女は16歳で二つのコンクールで優勝する。その後、24歳でワルシャワのショパン国際ピアノコンクールで優勝し、世界各地で人々を魅了し続けている。

TV放送を録画して視聴してみました。
演奏会シーンよりプライベートシーンが中心です。

天才と言われながらも、
人生の荒波に翻弄される1人の女性が描かれていました。

私はシャルル・デュトワと夫婦であると思い込んでいたのですが、
夫婦関係で居たのは一時だったようですね。

ホロヴィッツに会いたくてニューヨークに住んだものの、
結局会えず終いというエピソードには失笑。

リサイタル直前の舞台裏では、緊張した彼女の姿がありました。
「熱があるの」
「気持ち悪い」
「ピアノを弾きたくない」
などと子どものようにごねている彼女の姿が意外で新鮮でした。

しかし演奏終了後は、家族の心配と裏腹に自信と喜びにあふれていた、
と娘さん(この映画の監督)のコメントが入るのが微笑ましい。

ただ、映像からは彼女の音楽の神髄を垣間見ることはできませんでした。
残念ながら、ピアノ教師の言葉を理解し肯ける内容ではなかった。

そうそう、彼女のお気に入りの作曲家は、
ベートーベンでもなくシューベルトでもなく、
「シューマンに惹かれる」
とコメントしていました。
YouTubeで探して聞いてみよう。

吉幾三、デビュー45周年

2020年10月04日 | オーディオ
吉幾三さんの古い思い出。

私は学生時代(35年くらい前)を津軽で過ごしました。
友達と飲みに行った居酒屋に、その頃はやり始めたカラオケがありました。
賑わう店内に、痩せ気味の中年男性が静かに入ってきてお酒を飲みはじめ、
「雪国」を歌いました。

素人とは思えない上手さ!
彼は一曲歌うとスッといなくなりました。
なんだかカッコイイ・・・その潔さに感心したことを記憶しています。

吉幾三さん、45周年だそうですね。
TVで特集番組を放送していたのを偶然見ました。
おめでとうございます。

番組の中で歌った「山谷ブルース」にゲストの川中美幸さんが涙を拭っていました。
私の目にも自然に涙があふれてきました。
それほど見事な歌いっぷりでした。
(オリジナルの岡林信康さんよりいい!)

幼い頃の話を聞いて驚きました。
父親が民謡歌手で、
よく高橋竹山が来て三味線を弾き、
父親が合わせて歌ったと。
高橋竹山(故人)と言えば、伝説的な津軽三味線の大御所です。
幼い吉幾三さんは父親に抱かれて、
竹山と父親のコラボを子守歌にしていたんだ〜。
これはもう、筋金入りとしか言い様がありません。

コミック的な歌で人気が出てその路線の歌手と思いきや、
その体には民謡〜演歌歌手の血が脈々と流れていた。

そして「雪国」「酒よ」「津軽平野」などで花開いたのですね。
下積みの長い人生を知ると、
彼の歌う「山谷ブルース」がますます心にしみてきます。


カテゴリーを超越した音楽家、ヴァンゲリス(Vangelis)を知っていますか?

2020年08月16日 | オーディオ
ヴァンゲリスを知ってますか?
ギリシャ出身のシンセサイザー奏者です。
しかしその壮大な音楽性は、とても一言では言い表せません。

日本では「南極物語」のテーマ曲で有名になりました。
でも、その前に公開された「炎のランナー」「ブレードランナー」で、すでに世界的にブレイクしていたアーティストです。
とくにブレードランナーは今でもコアなファンがたくさんいる、SF映画の名作です。

私はまだ映画音楽でブレイクする前、シンセサイザーからアプローチして彼にたどり着いていました。
冨田勲、喜多郎、ジャン・ミッシェル・ジャール・・・その先にいたのがヴァンゲリスです。

そして、彼のアルバムの中にカール・セーガンの科学啓蒙番組「コスモス」のテーマ曲「Alpha」を見つけて驚きました。
ああ、この曲を聴くと宇宙に夢を馳せていた中学生時代がよみがえります。
いい時代だったなあ。

私が一番衝撃を受けたアルバムは「天国と地獄」(Heaven and Hell)です。
美しすぎるジャケットに、クラシックを越えた音楽が詰まっているのです。


このアルバムのB面の曲『So long ago, So clear』はイエスのボーカル、ジョン・アンダースンをフィーチャーしていますが、これが極上のバラードで、魂が大気圏外にトリップしてしまいます。

彼のデビューは1968年、パリでギリシャ出身の仲間3人と造った「アフロディテス・チャイルド」名義です。もう半世紀以上活動を続けているのですね。
当時の『イッツ・ファイブ・オクロック』(1969年)のレコードを私、持ってます。青森県の中古レコード店で見つけました。



さて、世界的なアーティストではありながら、日本ではあまり話題になりません。謎に包まれた彼を珍しく取りあげた番組を見つけ、録画しておいた SONG TO SOUL 「炎のランナー」(BS-TBS)を見ました。

<番組内容>
1981年、1本のイギリス映画が公開された。
オリンピックに出場した実在のランナーたちをモデルに、彼らの周囲との葛藤や自己との闘いを格調高く描いたヒューマンドラマ。
映画の名は『炎のランナー』。映画は大ヒットとなり、アカデミー賞4部門に輝いた。
オリジナル作曲賞を受賞したテーマ曲もヒットし、ビルボードのシングル、アルバムチャートでそれぞれNo.1を獲得。
この曲を書いたのは、ギリシャ生まれの音楽家、ヴァンゲリス。以後、『ブレードランナー』や『南極物語』など、数々の名作で忘れがたい音楽を送り出している。
作曲からアレンジ、演奏までをたった1人で行う彼は、シンセサイザー音楽の旗手として、一部のファンの間では以前から大きな人気を集めていた。
やがて映像作品の音楽を手がけるようになり、ついにこの映画で世界的な人気と名声を得ることになったヴァンゲリス。
名画と名作曲家は、いつ、どのように出会ったのか…
そして、彼のサウンドづくりの実態は…
番組では、『炎のランナー』の監督ヒュー・ハドソンや、ヴァンゲリスのレコーディングをサポートしたエンジニアのラファエル・プレストンらを訪ね、名曲誕生の経緯を探っていく。

本人はあまり出てきませんでしたが、周囲の人々のインタビューから彼のサウンド作りが垣間見えました。
彼は楽譜を用意することなく、インスピレーションでアドリブで曲を作る天才肌。
映画音楽も、映像を見ながら即興で作曲するので、上記の映画も彼の音楽と共にイメージされるのですね。

元イエスのリック・ウェイクマンのインタビューでは、リックがジョン・アンダーソン(イエスのボーカル)からヴァンゲリスを紹介され、リックが脱退した後に後任としてグループに誘った事実があるそうです。
ただ、ヴァンゲリスは自分ひとりで音楽を構築していくスタイルであり、イエスというバンドはバンドのメンバーがみんなで音楽を緻密にくみ上げていくスタイル、合わないのではないかとの予感が的中して、ヴァンゲリスは誘いを断りました。

あ、ジョン・アンダーソンとは、アルバム『Short Stories』も作っていますね。

ヴェンゲリスノ父はオリンピック選手(五種)であり画家、母は音楽家と紹介されていました。
映画「炎のランナー」の監督は、テーマ曲としてヴェンゲリスの既成の曲を予定していましたが、ヴァンゲリスは「新しい曲を作る」ことにこだわり、紆余曲折を経てできあがったのがあの有名なテーマ曲です。
父親へ捧げた楽曲かもしれない、という監督のコメントが心に残りました。

「エルトン・ジョンの全豹」

2020年08月14日 | オーディオ
1970年代にビリー・ジョエルが登場する前は、“ピアノ・マン”といえばエルトン・ジョンでした。
私が中学生の時にビリー・ジョエルがストレンジャーでブレイクしたので、リアルタイムにエルトン・ジョンは知りません。

大学生時代に読んだ柴門ふみのマンガ「僕の歌は君の歌」の、題名の歌を歌っていたのがエルトン・ジョンだと間接的に知っていたくらい。

「ベストヒットUSA」などでたまに動画を目にすると、ピエロみたいな派手な衣装で身を包んでいる姿。
なんだかピンと来ませんでした。

その後、ダイアナ妃の追悼コンサートで“Candle in the wind”を歌い、世界に再認識されました。
うん、いい歌だな、と私も思いました。

しかしそれ以降、彼に関する情報はあまり聞こえてきません。

そんな折、この番組が放送されました。


今やでっぷりメタボのエルトンが、インタビューに答えて自分の人生のかけらをポツリポツリつぶやきます。

コカインで身を崩したこと、
ゲイであることを受け入れられない家族(特に母親)との葛藤、
心臓にはステントが入り、前立腺癌とも闘病、
家族を持つ喜びに目覚めたこと。

波瀾万丈の人生を過ごしてきた満身創痍の彼を見ていると、
人生一筋縄ではいかないもんだな、とつくづく感じました。

「エルトン・ジョンの全豹」2020.4.1放送、NHK-BS
 50年にわたるポップ音楽のキャリアの集大成として「最後の世界ツアー」を行っているエルトン・ジョン。最新インタビューで、「ロケットマン」の軌跡と、独自の世界観を語る。
 自伝を刊行し、映画「ロケットマン」を自ら製作総指揮した72歳のエルトン・ジョン。フランス・ニースの自宅で、BBC司会者グラハム・ノートンを相手に「今年唯一のメディア対応」を行った。番組では、5度のグラミー賞に輝くヒットメーカーの名曲の数々を紹介。愛情の薄い家庭に育った少年時代や、ドラッグと酒に溺れた日々、そして自己再生や社会貢献活動などを、カラフルな記録映像と、ユーモアと自嘲にあふれた回想で描く。
原題:Elton John Uncensored
制作:BBC(イギリス 2019年)