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アメリカ本土を爆撃した男

2016年06月13日 | 




アメリカ本土を爆撃した男

アメリカ大統領から星条旗を贈られて男がいる。
アメリカ本土を爆撃し全米を震撼させた男になで大統領は星条旗を贈ったのか。

物語は太平洋戦争の真っ最中。百二十余隻の潜水艦が海底深く沈んでいる・・・。


昭和十七年四月十八日、日本が初めて空襲に見舞われた。アメリカ軍空母から発艦したどーリットル中佐が指揮B25爆撃機十六機は東京:川崎:横須賀:名古屋:四日市:神戸を爆撃した。
「大本営発表~大した被害ではない」とされているが、実際は家屋の火災の他に機銃掃射などで小学生が亡くなっている。結局のところ、奇襲作戦に有効な反撃をすることが出来なかったため大慌ての状態であった事は多く知られている事です。これに対する反撃として潜水艦に飛行機を積んでアメリカ本土を空爆する計画が立ち、帝国海軍のエースパイロット『藤田信雄』に白羽の矢が立った。

この計画事態、日本の潜水艦技術がいかに優れていたかを物語る事で、当時の世界中の潜水艦の中で飛行機を積んでいたのは日本海軍だけ。本来は偵察用だったが攻撃機を積んでアメリカオレゴン州の山林を爆撃。これはアメリカ史上初めて本土が攻撃された出来事だった。
 とは言っても戦果は戦況を変えるほどではなく住民の少ない山林を少し焼いた程度ではあったがアメリカ軍としては本土防衛に多大な精力を注がねばならなくなった。しかしながら泥沼化した戦争は誰もが知る敗戦へと進んだ。
 
 戦後、金物屋を営んでいた藤田の元に昭和37年、大平正芳官房長官から連絡入り、「日米友好親善のためオレゴン州に爆弾を投下した貴殿及びご家族を当地に招待したい」とのオレゴン州市長サイン入りの手紙を受け取った。藤田がアメリカを爆撃して20年が経っていた。
オレゴン市民は藤田を英雄として迎い入れた。半信半疑で渡米した藤田にとって忘れられない日となった。

昭和59年、時間がかかってしまったが今度は藤田がオレゴン州の高校生を筑波万博へ招待。費用は藤田がコツコツと貯めていた。

この粋な計らいを知った時の大統領【ロナルド レーガン】
「藤田信雄元海軍中尉殿、貴殿の厚意と惜しみない友情にアメリカ国民を代表して感謝の意を捧げます。さらに私は貴殿の立派でまた勇敢な行為を讃えホワイトハウスに掲揚されていた合衆国国旗を贈ります」と、メッセージと星条旗が贈られたのだった。

後にも先にもアメリカ大統領から星条旗を贈られた元帝国軍人は藤田信雄ただ1人であろう。
それは彼が本物の侍だった証であったと思う。


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