ましくふ~気ままに福島 見聞録~

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逢瀬町多田野に見る今の新安積疏水(郡山市)

2007-12-03 01:09:54 | 新安積疏水
新安積疏水は、1941年(昭和16年)に従来の疏水路ではカバーしきれなかった地区に対する開田の必要性により計画されました。猪苗代湖に面した湖南町浜路に新たな取入口を予定していましたが、戦争激化による資材不足のため止むなく事業は一時中止されました。その後、1945年(昭和20年)に再開されましたが、当初の浜路ルートから旧安積疏水の上流部を利用する計画に変更されました。(猪苗代町田子沼にて分岐しています)
ただし、浜路取入口からは飲用水専門の水路が1979年(昭和54年)に完成し、郡山市民の飲み水として利用されています。
1970年(昭和45年)からの国営安積疏水農業水利事業に伴い、ほ場整備事業として深田調整池や多田野第一頭首工が新設されました。
新安積疏水は山間部を貫いて通っているため、なかなか馴染みが薄いかもしれませんね。


↑今回は猪苗代町の田子沼分水工から延々と山中のトンネルを通り、逢瀬川上流部分で顔をだす新安積疏水を訪ねます。


↑人知れず山の中を通り顔をだす新安積疏水。よく工事をしたなあーと、感心します。


↑下には逢瀬川源流の一つが見える。案内が何もない。(ただ単に水路でしかないのか)


↑逢瀬川源流の上流を望む。


↑逢瀬川源流の下流を望む。ここから見えないがこんな奥地まで水田がある。


↑暗渠の隙間からかすかに疏水の流れが見える。


↑この先はまたしてもトンネルで新安積分水工へ進んでいく。


↑階段の上の茂みの中にある地中工作物の表示。


↑途中、郡山市が飲用水として浜路から引いてきた堀口浄水場の沈砂池がある。猪苗代湖から最短距離として引いた水路は、奇しくも新安積疏水の当初の取水口予定地であった湖南町浜路である。


↑「郡山水道局 沈砂池」の看板。この堀口浄水場の完成により慢性的であった郡山の水不足は解消されました。


↑沈砂池の自動除塵機。竣工は昭和54年3月の表示。


↑小さな沢を新安積疏水が横断。(本当に表示が何もないのが残念)


↑ひっそりと山の中に佇む姿はけなげだなぁ。(ここからしばしお別れです)


↑何だかうれしくて、こんなアングル撮ってみました。


↑三森峠から猪苗代湖へ抜ける手前、休石(やすみいし)地区にある「新安積分水工」
(この道もよく通る道だが、今まで全然気が付きませんでした)


↑先程の堀口浄水場方面からトンネルを通って出現。
(新安積疏水にやっと会えました)


↑分水され、左側は多田野川へ注ぎます。右の本線は再びトンネルへ。


↑新安積分水工局


↑占有許可標識


↑多田野川の上を横切る新安積疏水。用水路が真新しい。


↑多山へ入る水路は古いまま。新旧合体。このまま須賀川市岩瀬(旧岩瀬村)の滑川まで続いていきます。


↑横断する疏水上から、分水の多田野川への合流部分がみえる。


↑北側の山中で「水地中工作物」の標識


↑当然新安積疏水(新安積幹線用水路)の表示です。


↑少し下った多田野川には第一頭首工が現れる。


↑川下側から望む多田野川第一頭首工。


↑多田野川第一頭首工から上流を望む。(この辺は人影も見えず寂しい)


↑頭首工から下流を望む。


↑多田野川第一頭首工の表示。製作年月日は昭和52年12月とある。


↑水利使用標識。


↑多田野川を横断する水路。


↑水をたたえる深田調整池。有効貯水量は804万立法メートルで、建設当時アースダムとして我国第1位であったようです。


↑安積疏水農業水利事業と深田調整池の概要が表示してある。


↑国営事業深田調整池の定礎式は昭和48年9月。猪苗代湖の水をいつでも溜めておけるようになりました。


↑深田調整池から三穂田方面を望む。


↑深田調整池の下にあるトンネルから勢いよく流れてきます。


↑なかなか年季の入った分水工。


↑分水されて竹林をコンコンと流れていく。

《参考文献》
◇「安積疏水百年史」 発行:安積疏水土地改良区
◇「郡山市水道史」 発行:郡山市水道局
◇「誰にでもわかる安積開拓の話」 発行:歴史春秋社
◇「みずのみち 安積疏水と郡山の発展」 発行:歴史春秋社
◇「郡山市水道90年のあゆみ」 発行:郡山市水道局
◇「安積開拓120年記念 先人の夢に逢う」 発行:郡山市 ほか
◇「国営新安積土地改良事業」 発行:東北農政局 新安積農業水利事業所
◇「安積疏水125年の水しるべ」 発行:安積疏水土地改良区

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