「麓山の飛瀑」は、1882年(明治15年)に安積疏水の完成を祝い、開拓者たちの寄付によって造られた滝です。大臣の岩倉具視は、通水式典の前夜にこの滝の前で開催された祝宴に招かれた席において「移住した士族の開拓のために造った安積疏水なのに、このような見せ物のために滝を造るとはけしからん」と、中条政恒らをたいそう怒ったというエピソードがあります。
当時、この滝は多田野にある第5分水路(第22分水工)を取水口とし、高さが12メートル(三丈)余りあったようです。今ある滝は平成3年に復元されました。
↑再現された麓山の飛瀑
↑現在は水は流れていない。
↑当時の「麓山の滝」はかなり大きかったようだ。
↑堤の横には粋神宮がある。
↑上部から続く石造りの水路。
↑郡山市教育委員会による「麓山の飛瀑」説明書き
当時、この滝は多田野にある第5分水路(第22分水工)を取水口とし、高さが12メートル(三丈)余りあったようです。今ある滝は平成3年に復元されました。
↑再現された麓山の飛瀑
↑現在は水は流れていない。
↑当時の「麓山の滝」はかなり大きかったようだ。
↑堤の横には粋神宮がある。
↑上部から続く石造りの水路。
↑郡山市教育委員会による「麓山の飛瀑」説明書き
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