ましくふ~気ままに福島 見聞録~

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三穂田町・安積町牛庭に見る今の安積疏水(郡山市)

2007-12-14 17:48:02 | 安積疏水
猪苗代湖水を農業水利として利用する計画案は小林久敬によって進言され、その後、中條政恒(ちゅうじょうまさつね)の働きによって、大久保利通内務卿を通じ国の直轄事業として1879年(明治12年)に工事が開始されました。
3年後の1882年(明治15年)8月10日には岩瀬郡仁井田村まで試験通水を実施されています。

また、1878年(明治11年)から明治政府の士族授産と殖産興業の方針のもの、旧士族のうち全国の9藩から約2000人が郡山に移り住み安積開拓が始まりました。今でも郡山の各地に残る入植者の碑は当時の偲ばせてくれます。


↑今回は三穂田から安積町牛庭へ続く安積疏水を訪ねます。牛庭には安積開拓の松山藩入植の地として碑が建っています。


↑笹原川の下を通り安積疏水が流れます。


↑笹原川からの分水と合流して流れていく。


↑下流へどんどん流れていきます。


↑第7分水路がある。四十坦原へ流れていく。


↑全体が錆びており、古い取水工のようだ。


↑下流を望む。


↑高旗山方面が見える。その向こうには猪苗代湖が広がる。


↑疏水の上を用水2本が交差している。


↑下流へどんどん流れていきます。


↑小さな堰を超えていきます。


↑フェンスがきれいに直されて、疏水に沿って桜並木が続きます。


↑なるほど、平成7年3月桜植樹記念の碑が建っている。ちなみに市長名は藤森英二氏です。


↑この先も桜並木が続きます。


↑小さな分水工があるが、錆び錆びです。


↑桜並木も終わり、一面視界が広がる。


↑東都郡山ゴルフ場(通称ヤクルト)横を通ります。


↑ゴルフ場裏口の下を流れていきます。


↑山沿いを進みます。


↑県道の下を抜けて流れていきます。


↑養鯉場への分水工がある。ちなみに、安積疏水の完成後、発展した製糸工場から出る蚕の蛹(さなぎ)が鯉の餌になったため、郡山は養鯉が盛んになったそうです。


↑前方に養鯉場の池が見える。なんとカワセミを見ました。


↑この先も、細~く流れていきます。


↑「上の池」横を通って流れていきます。


↑上流を望む。左に見えるのが「上の池」


↑上の池を東側から望む。白鳥が上空を通り過ぎていく。


↑更に進んでいきます。


↑上流の「上の池」側を望む。


↑民家の間を抜けていきます。(ちょっとゴミが入っちゃってます)


↑茂みの中に分水工がある。(この辺は整備されていないようで、どれも錆びだらけだ)


↑さらに流れていきます。


↑分水工より上流を望む。(なんだかうらぶれた感じです)


↑民家の庭先を蛇行しながら流れていきます。


↑山沿いから田んぼを抜けて進みます。


↑だいぶ南下しました。


↑安積疏水の貫禄が見られなくなってきました。


↑ありました!牛庭原 旧松山藩士族入植者の碑。(何と!安積疏水の真上)


↑平成5年10月 郡山商工会議所青年部による建立です。


↑さらに進んでいきます。


↑東北自動車道の上を横切ります。(橋に安積疏水と書いてあってもいいのになあ~PR。PR)


↑これが安積疏水と知っている人はどの位いるのだろう?

《参考文献》
◇「安積疏水百年史」 発行:安積疏水土地改良区
◇「郡山市水道史」 発行:郡山市水道局
◇「誰にでもわかる安積開拓の話」 発行:歴史春秋社
◇「みずのみち 安積疏水と郡山の発展」 発行:歴史春秋社
◇「郡山市水道90年のあゆみ」 発行:郡山市水道局
◇「安積開拓120年記念 先人の夢に逢う」 発行:郡山市 ほか
◇「国営新安積土地改良事業」 発行:東北農政局 新安積農業水利事業所
◇「安積疏水125年の水しるべ」 発行:安積疏水土地改良区

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1 コメント

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質問 (元気な部長)
2014-07-25 13:28:44
安積疏水のこのあとの終点の写真が見たい。
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