奥州街道だった国道294号沿いの福島県と栃木県の県境には、かつての国境に祀った一対の明神があります。国境の内側に女神を、外側に男神を祀るそうで、関東から見れば内に当たる下野(栃木県)側は玉津島神社、外に当たる奥羽(福島県)側は住吉神社となり、白河側から見ると男神と女神に位置関係が逆になるそうです。(なんとも不思議!祀事に支障はないのであろうか?)
また、ここが「白河の関跡」と提唱している岩田孝三氏により、道を挟んで「白河二所ノ関址」碑が建てられています。でも、奥の細道で有名な松尾芭蕉や弟子の曾良は、白河の関跡を訪ねるために、ここから先の「旗宿の古関蹟」まで足を伸ばしています。(境の明神と白河の関は、違う場所にあったと考えていたようです)
その100年後に当時の白河藩主・松平定信が旗宿を「白河の関跡」としました。今では白河神社が建ち、男神の中筒男命(なかつつおのみこと)女神の衣通姫(そとおりひめ)が祀られています。
補足:交通量は少ない道沿いにありますが、木が生い茂る峠道の頂上は薄暗く、道幅も狭く見通しも悪いので見学にはかなり注意が必要でしょう。
↑下野(栃木県)側にある玉津島神社。
↑奥羽(福島県)側にある住吉神社。
↑白河市教育委員会による「境の明神」説明。
↑これより白河領の碑。
↑県境付近。この先は栃木県。(歩道もないので歩行に注意が必要)
↑「白河二所ノ関(白河の関)址」碑。昭和57年5月建立
また、ここが「白河の関跡」と提唱している岩田孝三氏により、道を挟んで「白河二所ノ関址」碑が建てられています。でも、奥の細道で有名な松尾芭蕉や弟子の曾良は、白河の関跡を訪ねるために、ここから先の「旗宿の古関蹟」まで足を伸ばしています。(境の明神と白河の関は、違う場所にあったと考えていたようです)
その100年後に当時の白河藩主・松平定信が旗宿を「白河の関跡」としました。今では白河神社が建ち、男神の中筒男命(なかつつおのみこと)女神の衣通姫(そとおりひめ)が祀られています。
補足:交通量は少ない道沿いにありますが、木が生い茂る峠道の頂上は薄暗く、道幅も狭く見通しも悪いので見学にはかなり注意が必要でしょう。
↑下野(栃木県)側にある玉津島神社。
↑奥羽(福島県)側にある住吉神社。
↑白河市教育委員会による「境の明神」説明。
↑これより白河領の碑。
↑県境付近。この先は栃木県。(歩道もないので歩行に注意が必要)
↑「白河二所ノ関(白河の関)址」碑。昭和57年5月建立
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