楽園の泉

自転車とかカメラとかのブログ、たまにねこ。

ハイオク満タン。

2010-09-25 | 自転車
遠野に行ったときに印象に残ったもののひとつ、それは廃屋(もしくは「らしいもの」)の多さでした。

立派な(首都圏のウサギ小屋に住んでれば、その大きさだけで充分)家に見えて、近くに寄ると土壁が崩れていたり、埃まみれのガラスが割れていたりして、奥が暗かったりするとつい「廃屋?」と気になってしまいました。

そういう家でも、(外からみて)台所(と思われる場所)の窓ガラス越しに新しい(と思われる)什器などがあったりすると、「こんなボロ屋(大失礼!)でも住んでいるのか」と感心してみたり。

丁度行方不明の高齢者の事件で世間が騒がしい頃だったので、例えば踏み込んでみたらホトケが、なんて事態は歓迎したくない(おまけに不法侵入でもある)ので、敷地の外からあれこれ想像するに留まっていました。

住人が家を捨てたのか、家が住人を捨てたのか、理由は判りませんが、家屋が廃れるのを見ると「家と住人は両輪なんだな」と改めて感じます。先の日記「古軒」は築120年(柳田翁はこの建物を見ていた可能性がある)の家屋ですが、年季は感じましたが120年の古さは感じませんでした(隣に建っていた消防車の車庫のほうが廃屋然としていた)。
のどかな風景に溶け込んでいる廃屋を見ると、ちょっと切ないような不思議な気分になりました。

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